江差、乙部 ― 箱館戦争めぐり⑮ ―
江差の町が近づくにつれ、鴎島の姿がだんだんと大きくなってきました。
開陽のマストも3本、小さく見えています。
開陽丸青少年センター
昭和50年からの発掘・調査プロジェクトで引き揚げられた遺物などを見学。
巨大なスクリューシャフトも。
これほどのシャフトが歪む姿に、座礁・沈没事故の衝撃を見る思いがしました。
そして遂に、原寸大に復元された開陽丸(開陽丸記念館)とご対面!
榎本武揚率いる旧幕府脱走軍(以下 旧幕府軍)の旗艦・開陽。
明治元年(1868)11月15日未明、陸軍部隊よりも早く江差沖に到着した開陽。
海上から砲撃を加えてみたものの応戦もなく、榎本らは既にもぬけの殻となっていた江差に上陸して無血占拠に成功しました。
ところがその夜、碇泊していた開陽は地元で「タバ風」と呼ばれる特有の暴風に煽られて座礁してしまいます。
艦内で留守を預かっていた機関長の中島三郎助は大砲を一斉に放ち、その反動を利用しての離礁を試みますが叶わず、乗組員は全員脱出しましたが、当時、世界でも最大級を誇った旧幕府軍の最強兵器、最新鋭艦・開陽はあえなく数日のうちに冷たい海の底へと姿を消してしまいました。
既に土方らが松前城を陥落させた後のことで、江差攻略戦は開陽を用いるまでもない作戦だったこともあり、安易に出港させて最強の兵器を失う要因を作った榎本に対し、旧幕府軍内部にも批判的な見方をする向きがありました。
陸軍部隊に比して活躍の場を得られない海軍将兵の鬱憤を押さえきれなかった、というのが実情だったようですが、数日後には開陽の救出に回天と共に駆けつけた輸送船・神速をも座礁~沈没させてしまい、旧幕府軍の制海権を一気に減退させ、その後の戦局に大きく影響を及ぼす要因となったことは確かでしょう。
開陽の甲板
開陽は度々遭遇した時化によって舵に不調をきたしており、修理や処置は施されていたものの、万全ではなかったとの説もあります。
甲板から鴎島
船首
緊急脱出用の短艇。
中島三郎助らも、これで脱出したのでしょう。
艦内には海底から引き揚げられた遺物が所狭しと陳列されていましたが、一つ一つ挙げていってもキリがないので、遺物保存のための脱塩処理をしている様子の1枚を。
つづいて江差の町へ。
夕暮れ時も迫り、主だったところを駆け足でめぐります。
能登屋の坂
足元にも。この坂を少し上がった先が・・・
江差で合流した榎本と土方が休息したと伝わる能登屋跡。
芭蕉の句碑がありました。
文化元年(1804)に江差を訪れた太呂という俳人が、この地にあった町医者・本田快庵の屋敷に庵を結び、芭蕉の120回忌にあたる文化11年(1814)に句碑を建立したと云います。
文化13年になって、能登屋の六代目が快庵からこの屋敷地を購入しました。
向かって左が当時からの句碑ですが、明治5年(1872)の火災で能登屋が焼失した際、句碑も焼けて剥離が進み、修復が困難なために右の新しい句碑が建立されました。
榎本や土方も、この句碑を目にしたのかな?
・・・まぁ、開陽を失ってそれどころではなかったでしょうけど(;^_^A
土方歳三嘆きの松
現在は明治20年に建てられた旧檜山爾志郡役所が復元されていますが、土方らが江差に入った当時は檜山奉行所が置かれていました。
明治元年11月16日、江差に到着した土方は、高台に建つ奉行所の前から沈みゆく開陽を眺め、この松を叩いて嘆いたと云われていますが、あくまでも伝承の域を出ません。
眼下の町へと続くこの坂は、奉行所が置かれていたことから「奉行坂」。
何はともあれ、江差を占拠した旧幕府軍はなおも追撃の手を緩めず、逃げる松前藩兵を藩領北端の熊石まで追い詰めます。
松前藩主・徳廣は既に船で弘前へ逃亡した後で、残された藩兵も降伏・投降し、旧幕府軍による蝦夷地平定は達せられました。
江差を占拠した旧幕府軍の拠点が置かれた東本願寺江差別院(旧順正寺)
高台にあって眺望が効くため、明治2年4月9日に江差北方の乙部に新政府軍が上陸した際は、江差沖を北上する新政府軍艦隊を確認できたと云います。
この日のラストに、我々も江差を北上して乙部へ向かいます。
乙部、新政府軍上陸の地碑。
付近にはこんな看板も。
蝦夷地奪還を目指す新政府軍は明治2年4月9日、この付近の2ヶ所から上陸を開始したと云います。
新政府軍が上陸した海の夕暮れ。
国道229号から上陸地碑へと続く道は、「官軍上陸通り」と名付けられているようです。
これにて3日目の行程も全て終了。
移動距離が長く、全てまわりきれるか心配でしたが、なんとかコンプリートできて一安心。松前・江差・乙部は鉄道も通らず、なかなか容易に足を伸ばせる場所ではないですからね・・・。
江差からは、迫る日没との勝負で急ぎ足になってしまいましたが満足です。
この後は二股口の古戦場を通過し、一気に函館市内へ。
2日間お世話になったレンタカーを返却し、函館最後の夜をのんびりと楽しみました。
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