丁サ、叶同館、他 ― 箱館戦争めぐり⑧ ―
史上最大級とも言われ、日本各地に甚大な被害をもたらした2019年の台風19号。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げますと共に、被害に遭われた方々へは1日も早い復旧を願いつつ、お見舞い申し上げます。
さて、その台風19号が迫りつつある10月11日からの3泊4日、北海道は函館へ5年越しの箱館戦争めぐりの旅へ出かけてきました。
2019年は、箱館戦争終結からちょうど150年の節目の年。「何がなんでも今年のうちに」との思いから、旅の実現に漕ぎ着けました。
※5年前の記事はコチラ(①~⑦まであります)。私の中で今回の旅は「5年前の続き」という位置づけでもあったので、記事のタイトルも⑧からスタートすることにしました)
初日は単独での自由行動。
のんびりと昼過ぎのフライトで函館へ向かい、まずは空港バスでホテル近くまで移動してチェックイン。週初めからかつて経験ないほどの腰痛に悩まされており、荷物を置いて身軽になってから市電で再出発。
まずは、明治元年(1868)12月に行われた入札によって旧幕府脱走軍(以下 旧幕府軍)の陸軍奉行並、裁判局頭取、及び箱館市中取締に就いた土方歳三が、箱館での宿所にしていたと云う丁サ跡地へ。
丁サとは箱館大町の商家、佐野専左衛門方(万屋)のことで、その紋が「丁」の字の中に「サ」としていたため「丁サ」と呼ばれました。
丁サ跡の具体的な位置については諸説あるようですが、明治初期に作成された古地図によれば、市電も走る現在の道が大幅に付け替えられたものでない限り、この高田屋本店跡碑から通りを挟んだ向かい辺りではないかと思われます。
土方が最後の日々を過ごしたであろう、丁サ跡。
新選組が屯所としていた称名寺(当時は弥生小学校付近)も近くにありました。
お次は人気の観光スポット、八幡坂を少し上がって・・・
会所町(現末広町)にあった写真師・田本研造の写真館跡。
田本は榎本武揚やJ.ブリュネ(元フランス軍事顧問団副団長。幕府瓦解後、箱館で旧幕府軍に加わる)ら旧幕府軍幹部の写真を撮影したことでも知られますが、彼がこの地に写真館を開業したのは箱館戦争が終結する明治2年(1869)のこと。
榎本らの雄姿を捉えた有名な写真が撮影されたのはここではなく・・・
叶同館跡に建つ東本願寺函館別院。
写真向かって左の石碑に「史蹟 叶同館之阯」とあります。
旧幕府軍幹部らの依頼を受けた田本研造は、この地にあった叶同館の近くに露天の写場を開き、彼らを撮影したと云われています。
東本願寺函館別院がこの地に移ってきたのは明治12年(1879)のことで、明治40年(1907)の大火で一度焼失し、大正4年(1915)に日本初の鉄筋コンクリート寺院として本堂を再建、現在に至ります。
現在は境内になっている一画のどこか片隅で、こうして撮影していたのかもしれませんね。
この後は、同行メンバーとの集合場所である函館山ロープウェイ山麓駅に向かいつつ・・・南部藩陣屋跡。
幕府の命で蝦夷地防衛の任にあたった南部藩が築いた陣屋跡です。
すぐ横の坂道は、南部藩の陣屋があったことから「南部坂」。
合流後は函館観光のド定番、函館山からの夜景を堪能し・・・
夜は、翌日からの旅の成功を祈念して乾杯☆
やっぱり函館に来たら、活イカは外せないですよね♪
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