茂別館、咸臨丸終焉の地、他 ― 箱館戦争めぐり⑬ ―
3日目は朝7時に宿を出発。
松前方面を目指し、国道228号をひたすら進みます。
まず最初の立ち寄り地は矢不来台場。
しかし、当初の訪問予定に入っておらず軽装備だった我々は、取り付き口の結構な繁り具合にあえなく撤退。
矢不来台場跡では最近、大規模な伐採があり、重機も入って遺構が壊されているとの情報もあるので気がかりです。
北斗市の史跡にも指定されている大切な文化財・・・もし本当なら残念でなりません。
※矢不来台場の5年前(2014年)の様子はコチラから。
矢不来台場の案内板前から見た海と函館山が奇麗でした。。。
お次は茂別館跡。こちらも再訪になります。
大館と小館の2つの郭から成り、写真は大館跡に鎮座する矢不来天満宮。
茂別館は津軽十三湊を追われた安藤太郎盛季によって築かれました。
道南十二館の一つで、志苔館/大館(松前町)/勝山館・花沢館と共に国の史跡に指定されています。
矢不来天満宮の裏参道脇に残る堀と土塁(切岸)
道南十二館はコシャマインの戦いで10までが陥落していますが、花沢館と茂別館だけは持ち堪えました。
旧茂辺地中学校のグラウンドを利用した茂辺地北斗星広場。
引退した寝台特急北斗星が展示されています。後方の丘陵上が茂別館跡。
なお、明治元年(1868)10月28日に五稜郭を出陣した土方歳三率いる松前攻略軍は同29日、ここ茂辺地に宿陣しています。
咸臨丸が座礁沈没したサラキ岬にも立ち寄り。
咸臨丸終焉の碑
北海道への移住を余儀なくされた仙台藩白石城主・片倉小十郎の家臣団一行を乗せた咸臨丸は明治4年(1871)9月20日、函館経由で小樽へ向かう途中、このサラキ岬沖で座礁沈没しました。
しばし、咸臨丸が消えた海を眺める。
この後も土方ら松前攻略軍の足取りを辿るように、彼らが宿陣した木古内(10/30)、知内(11/1~2。1日の夜に松前藩兵の夜襲を受けるが撃退)、福島(11/4)と通過して・・・
北海道の最南端・白神岬の展望広場から、青森県の竜飛岬を遠望。
ついつい、あの歌を口ずさんでしまいますね♪
1988年に廃線となった松前線の廃線跡。
・・・いよいよ目指す松前が近づいてきました。
| 固定リンク
「お城、史跡巡り 北海道・東北」カテゴリの記事
- 新宮熊野神社の長床(2022.05.26)
- 鶴峰城(2022.05.25)
- 五稜郭、立待岬、碧血碑 ― 箱館戦争めぐり⑯ ―(2019.10.31)
- 江差、乙部 ― 箱館戦争めぐり⑮ ―(2019.10.30)
- 勝山館 ― 箱館戦争めぐり(番外編) ―(2019.10.29)
「新選組・戊辰戦争」カテゴリの記事
- 石田散薬 製造体験(2022.04.29)
- 扇町屋から飯能へ ~飯能戦争を辿る~(2022.01.06)
- 振武軍が宿営した箱根ヶ崎(2021.12.19)
- 近藤芳助が所持していた近藤・土方肖像写真(2021.11.23)
- 近藤勇愛用の湯呑を拝観(2020.09.20)
コメント