« 志苔館 ― 箱館戦争めぐり⑨ ― | トップページ | 意冨比神社、戸切地陣屋 ― 箱館戦争めぐり⑪ ― »

2019年10月24日 (木)

大圓寺、権現台場、四稜郭 ― 箱館戦争めぐり⑩ ―

20191012b01
函館市神山の大圓寺
箱館戦争で戦死した旧幕府脱走軍(以下 旧幕府軍)兵士21名の霊を弔っています。

20191012b02
土方歳三埋葬伝承地の一つでもある二本松の根元。
近年になって慰霊碑も建てられたようです。
※土方歳三の埋葬地については、5年前の極楽寺願乗寺跡(本願寺函館別院)五稜郭の記事も参照してください。

20191012b03
河合要之助(福山藩)、中村幸六郎、鮫嶋辰造(以上、在住隊)のお墓。
墓石に「明治元年十月廿四日」とあるので、箱館戦争の緒戦ともいえる大野か七重での戦闘に新政府(箱館府)軍として従軍し、命を落としたものと思われます。

20191012b04
つづいて権現台場
この地には、五稜郭の鬼門の守護として東照宮が祀られていました。

旧幕府軍は明治2年(1869)、新政府軍の襲来に備え、五稜郭の北の守りとして四稜郭を急造しますが、その中間に位置する東照宮も台場としました。

20191012b05
戦闘で社殿は焼失し、東照宮も後に移転(現北海道東照宮)しましたが、現在鎮座する神山稲荷神社の大鳥居は1862年、五稜郭や弁天台場の石垣を築いた石工による作で、箱館戦争の戦火も潜り抜けています。
北海道東照宮に移された石造りの手水鉢に残る弾痕が有名ですが、こちらの大鳥居にも怪しい痕跡が・・・。

20191012b06
神山稲荷神社

20191012b07
社殿背後の気になる土塁・・・いつ築かれたものでしょうか。

20191012b08
そして四稜郭へ。
建設を指揮したのは陸軍奉行の大鳥圭介とも、ブリュネとも伝えられています。

20191012b09
稜堡外縁の堀跡。

20191012b10
唯一の虎口は、小さいながらも枡形。

20191012b11
郭内から虎口の枡形。

20191012b12
北西側の稜堡先端から、四稜郭全体の撮影を試みるも・・・ちょっとフレームに入りきりませんでした。
見た通り、緩斜面の台地上に築造されており、当時は箱館を一望することができたと云います。

20191012b13
稜堡先端部。
全ての稜堡先端部に、大砲の昇降用と思われるスロープ状の坂がつけられていました。

20191012b14
古絵図で見る、四稜郭と権現台場の位置関係。

明治2年5月11日の新政府軍による箱館総攻撃時、未だ完成前の四稜郭には江差奉行だった松岡四郎次郎隊が守備につきますが、先に権現台場を占拠され、退路が断たれるのを恐れて五稜郭へ撤退しました。

|

« 志苔館 ― 箱館戦争めぐり⑨ ― | トップページ | 意冨比神社、戸切地陣屋 ― 箱館戦争めぐり⑪ ― »

お城、史跡巡り 北海道・東北」カテゴリの記事

新選組・戊辰戦争」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 志苔館 ― 箱館戦争めぐり⑨ ― | トップページ | 意冨比神社、戸切地陣屋 ― 箱館戦争めぐり⑪ ― »