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2019年11月19日 (火)

広徳寺

ようやく秋の気配も漂い始めた11月のとある日曜日。
本当ならば筑波方面へ遠征しようと思っていたのですが、寝過ごしてしまい断念。
代わりに手近なところで、あきる野市の広徳寺へお邪魔してみました。

道中、先の台風による土砂崩れなどの影響で通行止め箇所がいくつかあり、幾度となく迂回を余儀なくされました。
広徳寺の周辺は道幅も狭く、車での走行には注意が必要です。

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広徳寺総門(市指定文化財)
掲げられた額の「穐留禅窟」は松江藩主・松平不眛の筆によりますが、実際に額が製作されたのは不昧が没した1年後の文政2年(1819)。
松江の不眛と広徳寺に、どのような繋がりがあったのでしょうか。

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山門
こちらも市指定文化財。

広徳寺は応安6年(1373)の開基。
天文年間に北条氏康によって堂舎が再建され、江戸時代には幕府から40石の朱印地も与えられていました。
現在、その境域は東京都の史跡に指定されています。

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山門を抜けた先、大きな銀杏の木の間から本堂が覗いています。

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とても素敵な茅葺屋根の本堂(左)と庫裡(右)。

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広徳寺には、発給名義は真月斎道俊(大石定久)ですが、北条氏の「禄寿応穏」の虎朱印が捺されている寺領書立文書が残されています。
大石定久は北条氏康の子・氏照を養子に迎えて家督を譲り、五日市の戸倉城に隠居して道俊と号しました。
但し、その没年は天文18年と伝えられており、天文20年9月6日付の本文書と整合性が取れないことになってしまいますが、この辺りはどういうことになるのでしょうか。。。
※定久の没年については、天文22年とする史料も存在しているそうです。

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東京都の天然記念物に指定されているタラヨウ(モチノキ科)

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同じく都指定天然記念物、カヤ(イチイ科)

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まだまだ豊かな自然が残るあきる野。
周辺の情景をゆったりと愉しみながら、ウォーキングのついでにでも立ち寄ってみるのもいいのではないでしょうか。

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