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2019年11月10日 (日)

黒野城

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黒野城本丸跡の案内板

織田・豊臣に仕え、甲府24万石を領した加藤光泰が朝鮮出兵の陣中で没すると、まだ幼かった子の貞泰は文禄3年(1594)7月、美野国黒野4万石へ移されました。
貞泰は黒野に城を築き、関ヶ原合戦(1600)では東軍について所領を安堵され黒野藩を立藩しますが、慶長10年(1610)に伯耆国米子へ移封となったため、黒野城は築城から僅か16年ほどでその歴史に幕を閉じました。
貞泰はその後、元和3年(1617)には伊予国大洲へ移っています。

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黒野城本丸、南東隅の外郭より。
本丸土塁には北西と南東の2ヶ所に張り出しを伴う櫓台櫓があり、横矢を掛けられるようになっていましたが、昭和期に造成された南面の土塁(写真左側)は南へ少し位置がずれてしまったため、現状ではその張り出しが失われています。

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南西端部分

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四方を囲む土塁上を一周します。
写真は西面の枡形部分の折れ。

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黒野城本丸跡を北西隅の土塁上から俯瞰。

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南東隅の櫓台

これだけ岐阜県に何度もお邪魔しておきながら、実は黒野城を訪れたのはこれが初めて。
夕暮れ迫る中、駆け足での城攻めとなりましたが、とても見応えのある遺構でした。

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夜は岐阜駅前にオープンしてまだ日の浅いSABARにて、恒例のギフナイト☆
さすがは織田信長ゆかりの岐阜。ロゴ?が織田木瓜・・・サバ(笑)

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