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2019年11月28日 (木)

有子山城

城友会2019 in 但馬、2日目は有子山城を攻めます。

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朝8時前、霧が立ち込める山麓の出石城。
出石城には7年ぶりの再訪となりました。

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出石城本丸に建つ感応殿。
宝永3年(1706)以降、出石藩主となった仙石氏の祖・仙石権兵衛秀久を祀ります。
我々も登山の無事を祈って参拝。

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出石城稲荷曲輪(有子山稲荷神社)脇の登山口。
7年前は少し登った先で、日没を考慮して断念しました。

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但馬国の守護だった山名氏は、室町時代の最盛期には一族で日本66ヶ国のうち11ヶ国もの守護を兼ね、「六分の一殿(衆)」と称されるほどの勢力を誇りましたが、戦国期にはその勢いも衰退していきます。
そして永禄12年(1569)、織田信長の命を受けた木下秀吉の侵攻(出雲の奪還を目指す尼子氏の残党が挙兵して祐豊がそれを支援したため、毛利氏と友好関係にあった信長が元就の要請に応じて兵を差し向けた)を受け、祐豊は居城の此隅山城(有子山の北方4~5㎞)を追われました。

堺に亡命した祐豊はその後、信長に取り入って但馬国出石への復帰を許されます。天正2年(1574)、彼が新たな居城としたのが有子山城でした。此隅=「子盗み」を連想させる名を嫌って「有子」と命名されたとも伝わります。
その後、織田×毛利の関係が友好から対立へと変化してゆく中で山名氏の方針も揺れ動き、最終的には天正8年(1580)、再び織田軍の侵攻を受けて有子山城は落城しました。
江戸時代に入り、山麓に出石城が築かれたことで廃城になっています。

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有子山城へは、ご覧のような急勾配の尾根をひたすらに直登します・・・とにかくキツい。
岩肌が露出した箇所も多く、地面が濡れている時などは特に下りに注意を要します。

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尾根を寸断する堀切Aに架かる土橋。

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堀は斜面を綺麗に落とされていました。

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ひたすら急斜面を登り詰めた先に広がる曲輪B
本丸(主郭)まではまだ距離にして500mほどもありますが、ここまで来ればもう急勾配の登りは終わりです。
ここまでの道中、樹間からチラチラと見えていた雲海がまだ残っていて間に合いそうだったので、兎にも角にもまずは本丸へ急ぐことにしました。

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井戸曲輪の下、砂防目的で築かれたと思われる石垣。

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ようやく主郭部の石垣たちも見えてきました。
目指す本丸もすぐそこ!

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第六~第三曲輪に残る石垣を振り返りつつ・・・

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いよいよ本丸へ。
写真は第二曲輪から見た本丸の石垣(西面)。

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石垣と雲海・・・やっぱり、いいですよねぇ~。

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本丸石垣(北面)

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本丸内。そして・・・

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本丸から眺め渡す見事な雲海!

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視界に入る限りの一面びっしりと、隙間なく広がっていました。
ただただ感動・・・。

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疲れも語彙力も全て吹き飛び「すごい・・・」と呟くことしかできず、しばらくは呆然と見惚れていました。
(写真提供:流星☆さん)

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さて、ひとしきり雲海を堪能したところで、ようやく城攻めを再開します(笑)
写真は、本丸から千畳敷を見た様子。間の大堀切がまた、とんでもなく規模が大きい!

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第四曲輪
ここから南へ回り込み、先ほどの本丸⇔千畳敷間の堀切へ向かいます。

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第三曲輪南面の石垣。

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同じ石垣を反対側から。

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本丸⇔千畳敷間の大堀切。

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千畳敷から見る、大堀切越しの本丸。

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千畳敷
その名の通り、かなり広い曲輪でした。

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千畳敷を東へ少し下った先、Cの堀切。

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更に堀切D

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堀切Dの北側。見事な竪堀になっていました。

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再び第六曲輪辺りまで戻り、今度は石取り場を目指します。
写真は、第五曲輪南西面の石垣。

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堀切E

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堀切Eもいい感じに切れていますねぇ~。

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石取り場

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石取り場に取り残された矢穴石。

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Fの竪堀へ向かう途中にあった、窯?のような痕跡。

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竪堀F

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最後は北西に伸びる尾根に築かれた曲輪群(写真)を下り、堀切GHへ向かいます。

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数段下った先の曲輪。不思議な石列も。

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堀切G

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とても規模の大きな堀切です。

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堀底から。

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堀切Gを対岸(下方)から。
攻城側からしてみれば、絶望的な高低差。

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堀切H
こちらには土橋が架けられていたようです。

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下山する頃には雲海も晴れてきて、城下町が見えるようになっていました。

有子山城・・・石垣に堀切、雲海、登山のキツさ、、、なにもかもが想像を超える凄さでした。
登り始めから下山完了まで3時間強、たっぷりと堪能させていただきました。

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