但馬八木城
11月の下旬といえば、毎年恒例の城友会。
時の移ろいは早いもので・・・今年でなんと、8年連続での参加となりました。
今回攻める地は、来年の大河ドラマの主人公・明智光秀が平定したことでも知られる丹波!・・・だったはずが、気がつけば行先リストはどれも但馬のお城?宿泊地も但馬豊岡??
・・・という訳で、城友会2019 in 但馬のスタートです(笑)
新神戸駅で集合し、まず向かった先は・・・
但馬八木城
但馬八木城の築城時期は不明ですが、中世には但馬国の守護でもあった山名氏の家臣で、山名四天王にも数えられる八木氏が居城としていました。
城山には、南東側に伸びる尾根を直登します。
それほどの急勾配には見えなかったのですが、どうした訳か息が上がり、私だけペースが遅れてしまいました・・・。
どうにか辿り着いたⅢ曲輪。
Ⅲ曲輪の南西端にて。
奥にⅡ曲輪の切岸を見る。
本丸の石垣
天正8年(1580)、羽柴秀吉の但馬侵攻に伴って八木氏は秀吉の軍門に下り、因幡の若桜鬼ヶ城へ移されました。
この石垣は、天正13年に八木城主となった別所重棟(三木城主・別所長治の伯父)、及び子の吉治(一説には長治の子とも)による改修と考えられています。
本丸南西面の石垣
高い山の上に忽然と姿を現す石垣に心を奪われます。
緩やかに描かれる曲線がまた、なんとも言えず格好いい・・・。
こちらは、本丸を北側に回り込んだ先。
そして、本丸虎口付近。
本丸
奥には櫓台らしき土盛りも。
A地点にある堀切。
上の図面には載っていませんが、主郭部から更に北西方向へ伸びる尾根を進んだ先には、八木土城があります。
ご覧のような細尾根を進み・・・
200mほどで八木土城に到着。
土城は尾根上一列に並べられた曲輪が、階段状に連なる構造になっています。
そして何故か、城下町に面した南西側にだけ土塁が盛られていました。
曲輪をいくつか登っていくと、しっかりとした外枡形も。
こうした遺構の特徴から、土城にも別所氏時代の改修が入っているのではないかと考えられています。
外枡形の先の曲輪。
奥に見える切岸の上が、ピークに位置する土城の主郭です。
八木城の麓には旧山陰街道が走り、16世紀後半までの城主居館跡とされる殿屋敷遺跡と、それ以降の居館跡と考えられている御里遺跡も残っているようです。
但馬八木城、とても見応えのある城跡でした。
移動距離(時間)が長かったこともあり、この日の城攻めは但馬八木城のみで終了。
この後は宿泊地の豊岡まで移動し、豊岡城の移築門などを車で少しめぐりました。
夜は居酒屋での飲み会でしたが、疲労もあって1次会で終了・・・城友会史上初めて、2次会のカラオケ無しでお開きとなりました。年々、あまり無理がきかないお年頃になってきたということか・・・(;^_^A
誰かさんは、この日のために用意してきた替え歌の新曲を披露する機会を失って、部屋で一人悶々としていたみたいだけど(笑)
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