« 上平寺城 | トップページ | 飯道神社と行場巡り »

2019年12月14日 (土)

弥高寺

20191207b01
上平寺城跡から山中を少し北へ回り込み、西の尾根へ雪中行軍・・・(;^_^A

20191207b02
伊吹山も心なしか、少し近くなってきました。

20191207b03
尾根の北側から弥高寺跡へアプローチすると、最初に出迎えてくれる大堀切。
この先(南)にある本坊の背後を断ち切っています。

20191207b04
大堀切の近くには、これも規模の大きな畝状竪堀も。

20191207b05
更に南へ進むと、規模は小さいながら堀切や・・・

20191207b06
竪堀が続きます。

20191207b07
弥高寺の墓地跡。
発掘調査で、火葬された人骨が数十体も納められた大きな甕が出土しているそうです。
寺の長い歴史の中である時期、墓地が手狭になってまとめて改葬されたものではないかとのことでした。

20191207b08
いよいよ本坊跡が見えてきました。
雪に埋もれてはいますが、周囲を囲む土塁や虎口もはっきりと見て取れます。

20191207b09
本坊手前に切られた竪堀。

20191207b10
弥高寺本坊跡

20191207b11
本坊の虎口から真っ直ぐに伸びる参道。
参道の両側には、数多くの削平地が見受けられます。

弥高寺は仁寿年間(851~854)に創建された伊吹山寺を前身とし、後に分立した伊吹山四ヶ寺の一つ。
弥高百坊とも呼ばれ、この大きな本坊跡をはじめ、60をも超える坊跡が残る巨大な山岳寺院の跡です。

20191207b12
本坊から南の方角。
2本の鉄塔の先には上平寺城の記事で触れた、件の長比城がありました。

20191207b13
弥高寺本坊から見る上平寺城。
つい先ほどまでは、あちらから弥高寺跡を見ていました。

20191207b14
琵琶湖に浮かぶ竹生島も見えています。

20191207b15
それでは本坊をあとにし、こちらの参道伝いに下りていきます。

20191207b16
少し下った先から本坊を振り返る。
土塁の高さがよくわかります。

20191207b17
弥高寺の玄関口でもある大門跡に差し掛かりました。
右へグイッと曲げた枡形になっています。

20191207b18
大門跡
高い土塁で仕切られた見事な枡形、そして土橋。

20191207b19
大門の脇には横堀も掘られています。

本坊背後の堀切や竪堀群、そして大門の枡形や横堀・・・弥高寺が城郭として改修されていることは明らかです。
現地説明板にも、京極氏や浅井氏らによる改修が想定される、といったことが書かれていました。
直に遺構を目にした個人的な印象としては、元亀元年(1570)に敵対する織田軍に備え、上平寺城と共に浅井氏や越前衆が改修した痕跡ではないかと感じました。

20191207b20
大門の南西、登山道を林道まで下り、更に林道を伝って下山する途中に現れる2本の大きな竪堀。
やはりこれは、歴とした軍事施設です。

20191207b21
そのまま林道を下っていくと、悉地院(弥高護国寺)に至ります。ここが今回のゴール地点。
所要4時間強、山中は積雪の中での行程となりましたが、見応えのある素晴らしい遺構を堪能し、参加16名全員無事に下山いたしました。
なお、悉地院は伊吹山四大護国寺の一つで、弥高寺の法灯を現在に伝えているお寺とのことです。

20191207b22
下山後は伊吹山文化資料館にお邪魔して、上平寺城の模型や・・・

20191207b23
弥高寺跡で出土した、火葬された人骨が納められていた大きな甕などを見学させていただきました。

20191207b24
夕暮れの伊吹山。

夜は彦根駅前へ移動し、これまた恒例の忘年会。
踏査会に参加した皆さんと、2次会まで楽しく盛り上がりました。

|

« 上平寺城 | トップページ | 飯道神社と行場巡り »

お城、史跡巡り 近畿」カテゴリの記事

織田信長・信長公記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 上平寺城 | トップページ | 飯道神社と行場巡り »