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2019年12月 3日 (火)

小田城、平沢官衙遺跡

今回はドライブがてら、ずっと未訪のままになっていた小田城跡(茨城県つくば市)へ。

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小田城
築城時期は定かではありませんが、鎌倉期以降、常陸国で勢力を張ってきた小田氏が代々居城としてきました。南北朝期には小田治久(7代)に迎えられた南朝方の重臣・北畠親房が、同城で「神皇正統記」を執筆しています。
小田氏15代・氏治は、上杉謙信や佐竹氏との争いの中で幾度となく居城を追われますが、その都度、しぶとく旧領を回復しました。
しかし永禄12年(1569/但し元亀4年=1573説が有力)に佐竹氏に敗れて土浦へ逃れると、それ以降、氏治が小田城に返り咲くことは叶いませんでした。
小田城には佐竹氏の家臣・梶原政景が城代として入城しています。この政景によって小田城には大改修が加えられたと考えられていますが、慶長7年(1602)、佐竹氏の秋田転封に伴って廃城となりました。

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本丸北隅から、西面の堀と土塁。
北隅の土塁に開けられた通路?より、本丸内へ入ってみます。

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土塁を貫通する通路。
土塁の断面についての説明書きも。

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小田城本丸から振り仰ぐ筑波山(左奥)

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本丸内
様々な遺構が復元展示されていました。

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南西虎口

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南西虎口の先、南西馬出。
堀からは橋脚が出土しており、本丸との連絡は木橋で繋がれていました。

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南東隅の櫓台

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本丸から見る東曲輪

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東曲輪へと続く東虎口。
東曲輪とは、土橋と木橋を組み合わせて築いた橋で繋がっていたようです。

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東曲輪
東曲輪からは建物跡が殆ど検出されておらず、こちらもやはり馬出だったのではないか、とも考えられています。

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東曲輪に建つ城址碑と、奥に本丸北東隅の櫓台。

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本丸北東隅櫓台から、右に本丸、左に東曲輪。

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本丸全域

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本丸北面の堀と土塁。

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北虎口
北虎口を出た先にも、馬出が築かれていたようです。

小田城は綺麗に復元整備されており、とても「わかりやすい」城跡でした。
いずれは前出の図面を元に、本丸に限らず全域の痕跡探しなどもしてみたいですね。

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平沢官衙遺跡
奈良~平安期にかけての常陸国筑波郡の官衙(役所)跡です。
小田城跡から近かったので寄ってみました。

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発掘調査の結果、大型の高床式倉庫らしき建物が建ち並び、その周囲を溝で囲っていたことが判明しているそうです。
その建物の一部が復元されています。

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復元建物以外にも、建物跡の位置などが地面に示されていましたが、礎石に関しては、その全てが元の位置から動かされていたため、元の位置を推定して再配置されたとのことです。

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天気にも恵まれ、いいドライブになりました。

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