飯道寺
行場巡りを無事にクリアした後は、飯道寺跡へ。
飯道神社(図左上)の眼前にはかつて、神仏習合の飯道寺として栄えた時代の名残として数多くの僧院跡が残っています。
1枚目の写真の石段を上がった先は東照宮跡。
明治の神仏分離・廃仏毀釈で寺院(仏教)関連は廃され、今はこうした痕跡を留めるのみとなっています。
思いのほか立派な石垣も。
十月九日、伊賀国御見物として、岐阜中将信忠、織田七兵衛信澄御同道にて、其の日、飯道寺へ、信長公御上りなされ、是れより国中の躰御覧じ、御泊り。
(信長公記 巻十四「伊賀国へ信長御発向の事」)
天正9年(1581)、次男・信雄を総大将とした軍勢を派遣して伊賀国を制圧(第二次天正伊賀の乱)した織田信長は、嫡男の信忠、甥の信澄を同道して伊賀の視察へ向かいます。
その道中、伊賀入り前日の10月9日にはここ、飯道寺に泊まりました。
参道を挟んで左に梅本院跡、右奥に智積院跡。
信長らが泊まった僧院は果たして、いずれにあったのか・・・想像を膨らませながらめぐります。
智積院跡
高野山を再興したことでも知られる木食応其上人は、晩年を飯道寺で過ごしました。
智積院跡の向かいには、彼の入定窟も残ります。
岩本院跡に残る石積み。
岩本院跡
この岩本院と先ほどの梅本院は、醍醐寺三宝院を本寺とする真言宗本山派に属す寺院で、山内でも特に有力な存在だったようです。
不思議な切石状の石積みも。
岩本院跡から見る、智績院跡の石垣。
左の下段は行満院跡。
鳥居坊跡
飯道寺跡(飯道神社)からは、紫香楽宮跡などを見渡すことができます。
まさに、飯道寺に上がった織田信長が御覧じた国中の躰の光景。
数年来の念願叶い、飯道寺跡を訪れることができて感無量です。
※現在、甲賀市水口町に所在する飯道寺は、天台宗の本覚院が明治25年に廃寺となっていた飯道寺の寺号を継承したものです。
御本尊は飯道山から移されたものとか。
折角なので山頂まで足を延ばします。
山頂からは杖の権現を経由して飯道寺跡まで戻り、その後に下山します。
飯道山山頂
飯道寺跡から山頂までは7~800m。緩やかな登りの尾根道が続きました。
山頂からの眺め。
辛うじて近江富士の姿も確認できました。
杖の権現
山頂から杖の権現までは、急勾配な直線の尾根を一気に下ります。
飯道寺跡まで戻りました。
行場巡りに、念願の飯道寺跡・・・とても楽しい山歩きになりました。
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