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2020年1月 3日 (金)

小田原の史跡めぐり…2日目

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小田原史跡めぐりの旅、2日目はホテルのすぐ隣に眠る北条氏政・氏照兄弟をお参りして・・・

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駅前の早雲(伊勢宗瑞)像にも挨拶してからスタート。

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初日に引き続き、小田原城包囲陣跡めぐりにはこちらの図を用います。

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まずは羽柴(豊臣)秀次陣跡(推定地)付近から、小田原城方向。
やや右寄りに水之尾口で、左側のベージュの建物が並ぶ辺りには、攻城のための前線陣地「荻窪仕寄」が築かれました。
秀次の陣跡と推定した周辺には、それを思わせる造成の痕跡らしきものも確認できましたが、私有地と思われるので詳細は伏せます。

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続いて羽柴(豊臣)秀勝の陣跡推定地から。
正面の丘陵全体が荻窪口~水之尾口にかけての小田原城総構のラインで、手前の大きな建物がある辺りが荻窪仕寄になります。

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尾根を振り返り、道路の先に見えている少し高い場所が秀次陣跡の推定地です。

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玉宝寺
小田原城の北を東西に細長く伸びる舌状台地の先端に位置し、五百羅漢像を安置することで知られています。

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寺の背後の裏山から続く尾根筋には中世の多古城もあり、この台地の先端付近とされる織田信雄の陣もこの辺りだったのではないかと推測しました。

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今井陣場跡
豊臣軍の先陣を務める徳川家康が布陣しました。
すぐ背後に酒匂川を控える低地で、周囲は湿地帯が広がる難所だったと云います。当地には元々、柳川和泉守という人物が住んでいて、その宅地を本陣に定めたとか。
柳川家には今も、家康から拝領した鑓などが残っているそうです。

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現在は東照宮が祀られ、小さな家康像が安置されていました。

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周辺には田畑が広がり、湿地帯だったという当時の面影も少し感じさせてくれます。

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蓮上院土塁
家康が布陣した今井に面する、小田原城総構の北東面の土塁になります。
土塁脇の道路はやはり暗渠になっていて、堀跡だったことを伺わせます。

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蓮上院土塁に残る、第2次世界大戦終戦間近の1945年8月13日に小田原を襲った空襲の、爆弾が着弾した痕跡。

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小田原市内めぐりのラストは、やはり小田原城へ。
写真は個人的にツボった、御茶壺曲輪の門跡。

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この図面で、「現在地」のすぐ右上の部分です。

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銅門

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久しぶりに天守にも上りました。

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小田原城天守からの、早川口~石垣山城方面。

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さて、旅のラストは小田原市内を離れて、箱根湯本の早雲寺へ向かいます。
写真はその道中、渋滞中に車を降りて撮影した山崎の古戦場案内碑。

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早雲寺山門

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早雲寺には、箱根山崎の戦いで命を落とした遊撃隊(旧幕府方)戦没者を供養する碑が建てられています。
※箱根山崎の戦い、遊撃隊についてはコチラ

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建碑者は遊撃隊を率いた人見勝太郎です。
戦没者の名を刻んだ右側の碑の最後に、静岡縣士族 人見寧の文字も見えます。
(寧は勝太郎が明治以降に名乗った名です)

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無論、北条五代の墓所にもお参り。

早雲寺には他にも、医家・曲直瀬家の三代目で秀忠の侍医も務めた今大路(曲直瀬)道三玄鑑や、連歌師宗祇らの墓所もあります。

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小田原北条家の祖・伊勢宗瑞の末子で、五代・氏直の代まで長老として重きをなした幻庵の作庭とも伝わる枯山水石庭「香炉峯峰」
しかし、その様式から1600年代中盤の作ではないかともされ、江戸時代に入ってから整備し直している可能性も指摘されているようです。

さて、これにて2019年の歴旅もおしまい。
この後は箱根湯本駅から帰路に就きました。

2019年もなんだかんだで、感慨深い旅を多く経験できました。
この記事がUPされている頃には年も明けていますが、2020年も時を超えたいい出会いが待っていますように♪

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