日野駅南にあった旧甲州街道踏切
2020年1月現在、開業130周年を迎えたJR日野駅では、日野宿発見隊さんの主催で「まちかど写真館 in ひの」が開催されています。
その展示されている古い写真の中に、かつて日野駅ホーム南端の先で線路を横切っていた旧甲州街道の踏切を写したものがありましたので、令和を迎えた現在の光景と比較してみることにしました。
こちらが昭和46年(1971)に撮影された、旧甲州街道踏切の姿。
中央の屋根がとんがっている建物は坂下地蔵堂。
その現在。赤い屋根が坂下地蔵堂です。
旧甲州街道は写真右奥から坂を上ってきて、左側の線路を越えて続いていました。
坂下地蔵堂と旧甲州街道の踏切跡。
ここにあった踏切を越えた先は「大坂上」。
日野宿佐藤家の御子孫が著した「聞きがき新選組」の中で、京から日野に戻っていた土方歳三が佐藤彦五郎の長男・源之助俊宜を伴い、大坂上から馬を攻めて甲州街道を日野宿まで駆け下った、というエピソードが紹介されていますが、まさにここが、2人が馬で駆け下ったという場所でもあります。
昭和56年(1981)11月、封鎖される直前に撮影された旧甲州街道の踏切。
その現在。
ちょっと視界が開けるポイントがありませんでした。
そして同年12月、封鎖された直後の踏切。
同じアングルから。
正面に見えているクネクネとした道路や、建物のいくつかは今も変わっていませんね。
旧甲州街道は線路を越えた先で左へ折れ、坂を下って日野宿へ入っていきました。
最後に日野駅の姿も。
こちらは昭和12年(1937)に撮影されたものとのことです。
レトロな駅舎は今も殆どその姿を変えることなく、人々の日々の生活を見守り続けています。
私も学生時代から通学・通勤で毎日利用している身。
この風情ある佇まいがこの先、幾世代も長く守り伝えられていくことを願ってやみません。
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