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2020年3月28日 (土)

白井城と白井宿

最近は自身の体調不良やら仕事上のトラブル、そして新型コロナ・ウィルス問題など、様々なことが重なって休日に出かけることができていませんでした。blogの更新も、気がつけば2月上旬以来滞ったまま。
その間、愛車にもあまり運動をさせてあげられていなかったので、3月後半のよく晴れた週末、思い切って群馬県渋川市までドライブしてきました。

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目的地は旧子持村の白井宿、及び白井城です。

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まずは白井宿の散策から。

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白井宿は白井城の城下町として整備され、利根川と吾妻川の合流点で沼田⇔前橋を結ぶ街道(沼田街道西通り)や、三国街道と連絡する脇往還なども通る交通の要衝として発展しました。

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嘉永2年(1849)に建てられた道標。
説明板には「北へ進むと沼田、南へは日光江戸道へ通じる」とありました。
ここから南へ、前橋の先にも日光街道に通じる街道が通じていたということでしょうか。

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宿場の街道沿いには、多くの井戸も見受けられました。

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白井宿歴史資料館は、どうやらお休みの模様。
これも新型コロナの影響でしょうか・・・?

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それでは、白井城へ向かいます。

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白井城は、利根川と吾妻川に挟まれた舌状台地が、両河川の合流点に突き出す先端に築かれたお城です。
15世紀中頃、関東管領・山内上杉氏の家宰で、上野・武蔵両国の守護代をも務めた白井長尾氏の長尾景仲による築城と伝えられています。
山内上杉氏が後北条氏によって越後に追われた後も、白井長尾氏は甲斐・武田や後北条の傘下に入るなどして命脈を保ちましたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原征伐の際、前田利家・上杉景勝らの北方軍に北曲輪まで落とされて開城し、白井長尾氏による当地の支配は終わりを告げました。
それ以後、徳川家康の関東入封に伴って白井には本多広孝・康重父子が配され、康重が初代白井藩主となります。
康重の岡崎転封後は松平・井伊(直孝)・西尾・本多(紀貞/康重の子)と城主を変え、元和9年(1623)、紀貞が嗣子なくして死去したために廃藩となり、白井城も破却されました。

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まずは舌状台地東側の中腹を、北から南の方向へ進みます。
写真は二の丸東側の横堀。

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奥へ延びるのは、二の丸と本丸間の空堀。

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二の丸と本丸間の堀底から。

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さらに南へ、本丸東側に続く横堀。

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横堀は台地の先端付近まで続いていました。

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白井宿方面を望む。
すぐ直下には、南曲輪や新曲輪などが配置されていたようです。

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それでは台地に上がって、主郭部を見ていきます。
写真は北曲輪跡付近に残る櫓台。現在は城山不動尊が建ちます。

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北曲輪越しに三の丸方向。
前田・上杉軍は、ここまで攻め寄せたのですね。

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三の丸
杉の木が横並びに茂っている辺りが二の丸との境で、空堀が通っています。

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三の丸と二の丸間の空堀、その西側と・・・

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東側。

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二の丸
この先が本丸になります。

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空堀手前から、本丸虎口を望む。
虎口の枡形には石垣の痕跡も見られますが、これは本多氏以降の手によるものだそうです。

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二の丸と本丸間の空堀も見事です。
こちらは西側で・・・

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東側は先ほど、堀底も歩きました。
現地には「三日月堀」との案内標識も。確かに湾曲はしているけど・・・。

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本丸側から、虎口・空堀越しに二の丸。

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本丸
土塁も綺麗に残されています。

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本丸に建てられていた歌碑。
相国寺の僧・万里集九が東国巡歴の途次、長享2年(1488)9月28日に白井城に立ち寄り、“城主”上杉顕定の知遇を受けて城中を歴観した時のことを綴った旅日記に収められた漢詩とのことです。
長尾景仲の孫・景春が、総社長尾氏との主導権争いから山内上杉氏に反旗を翻した(長尾景春の乱)際、白井城は一時的に山内上杉氏のものになっていたこともあるようですが、万里集九の来訪はその間のことだったのでしょうか。

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本丸の先、台地先端に築かれた笹曲輪。

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白井城・・・なかなか見応えのある遺構でした。

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こちらは城下の源空寺。
本多広孝が自らの菩提寺として開いたお寺です。

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源空寺に眠る広孝(中央)・広孝夫人(右)・紀貞(左の宝篋印塔)の墓所。

白井城に白井宿、いい散策になりました。

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