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2020年10月

2020年10月30日 (金)

麻場城

前記事でご紹介した甘楽町小幡について事前に調べていた際、同じ甘楽町の白倉に遺構の良さ気な城跡を見つけたので、出かけたついでにちょっと立ち寄ってみました。

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城跡東側の駐車場から。
私の愛車と比較して、土塁の高さがよく伝わるかと思います。

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麻場城図
お城の歴史についても、こちらの案内板をご参照ください。この城も小田原征伐時に攻められていたのですね。

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城域北面。
なかなかの高低差です。

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笹曲輪から、本丸(東側)方向。
見事な横堀ですが、土塁の傾斜が途中で不自然に変わっているのが気になります。

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本丸との間には木橋が架けられていました。

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本丸北西端方向。

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本丸側に渡り、笹曲輪を振り返った様子。

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本丸。
奥に二の丸が見えています。

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二の丸との間に架かる土橋。

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土橋から二の丸方向。
行く手を土塁が遮り、二の丸への虎口は少し右へずらしてあるようです。

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虎口側から土橋を見るとこんな感じ。
桝形の原型というか、同じ意図を持った構造とは思いますが、何故二の丸側だけにあるのでしょうか?…むしろ、本丸側にこそあってよさそうな気もします・・・。
それとも、土塁と土橋との間にある通路状のスペースが、実は馬出のような役割を担っていた・・・??
いずれにせよ、不思議な構造でした。

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二の丸から虎口部分。

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二の丸から本丸の西面。
やはり、斜面の途中から急に落ち込んでいますね。
本来の残存遺構はもっとなだらかで浅くなっていたものを、調査に基づいて往時の深さまで掘り下げたということでしょうか。

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麻場城想像図
城址公園としてよく整備されていて遺構の状態も良く、見応えのある城跡でした。

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2020年10月29日 (木)

群馬県で「織田」めぐり

今回は群馬県甘楽町までドライブ。
織田信長の次男・信雄にもゆかりのある、上野国甘楽郡小幡の地をめぐります。

大坂の陣が終結した元和元年(1615)、信雄は徳川家康より大和国宇陀郡に3万石、上野国甘楽郡に2万石を与えられます。
元和3年に上野国甘楽郡の方を四男の信良に分知し、小幡藩を立藩させました。
以来、明和4年(1767)に出羽国高畠藩(後、陣屋の移転に伴い天童藩)へ移封となるまでの約150年間、小幡は織田氏による統治が続きます。

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小幡八幡宮
小幡陣屋の鬼門封じとして、正保2年(1645)に勧請されました。

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拝殿には龍の天井画が描かれているそうです。
参道には、「織田家の守護神」との幟も見受けられました。

まだ楽山園の開園時間まで少しあったので、八幡宮周辺を散策します。

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養蚕農家群の町並み(明治中期頃)と雄川堰。
近くの富岡市には明治5年に富岡製糸場が建設されたように、小幡でも養蚕が盛んに行われていたようです。
雄川堰は一級河川の雄川から取水している用水路で、最初に開削された年代は不明ながら、小幡に陣屋を築く際に城下の地割と共に用水割も計画され、現在見られる姿に改修されたものと考えられています。

では陣屋の方へ。

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小幡陣屋見取図
小幡陣屋は寛永6年(1629年)、織田信昌によって築かれました。

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陣屋の大手門から藩邸までを繋いでいた中小路。
陣屋の中心的な路との意味から「中小路」と呼ばれましたが、道幅などは「小路」という規模ではありません。
写真の左手前は武家屋敷「高橋家」、勘定奉行の役宅だったそうです。
小幡陣屋は藩主屋敷(藩邸)にとどまらず、こうした家臣屋敷なども取り込み、広大な面積(34ヘクタール)を誇りました。

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松平家大奥
織田氏の後に小幡へ入った松平(奥平)氏の藩主夫人や、仕える女中らが住んでいたと伝わります。
幕末、ペリー来航の折には江戸城大奥の女中ら15~16人ほどを、親藩である小幡藩のこの大奥に避難させたとも云われています。

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松平家大奥の庭園。
江戸後期の作だそうです。

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喰い違い郭(山田家)の石垣…中小路の曲がり角に位置します。
「喰い違い郭」と名づけられた家臣屋敷か何かの虎口、という理解でよかったでしょうか?

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小幡藩邸の中門

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中門前の道路が緩やかにカーブし、それに合わせて石垣もカーブしていましたが、前出の陣屋見取図にも中門前の通りがカーブして描かれていますので、往時もこのような形状をしていたのかもしれません。

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小幡藩邸図

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中門を潜ると石垣で小さな桝形が築かれており、その先にも行く手を遮るように土塁が立ち塞がります。

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土塁の手前には空堀も。

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土塁を抜けて内郭に入り、中門方向を振り返った様子。

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藩主の屋敷などが建ち並んでいた内郭。
地面には屋敷などの配置が展示されていました。

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藩邸の庭園「楽山園」、国の名勝にも指定されています。
昆明池越しに、左から腰掛茶屋・梅の茶屋。

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熊井戸
小幡藩邸(楽山園を含む)は、小幡氏の重臣だった熊井戸氏の屋敷跡地を利用して築かれたと「上野国誌」に書かれているらしいのですが・・・その熊井戸氏と、この「熊井戸」は何か関係しているのでしょうか?

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泉水

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楽山園の面積は、藩邸全体の半分以上にも及ぶ広大なものです。
二万石クラスの大名屋敷としては、確かに少々贅が過ぎるような気もします…(;・∀・)
これも「織田」の自負がなせる業、なのかなぁ・・・?

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腰掛茶屋前から、藩邸全体を俯瞰。

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外廓の拾九間長屋前から内郭の土塁。
手前の石垣と土塁の間は空堀になっています。

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拾九間長屋
藩邸のジオラマや、信雄の書状(小牧長久手戦に関連)などが展示されていました。

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藩邸を辞し、次の目的地へと向かう途中で見かけた分水路。

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小幡藩(松平家)の中老を務めた松浦氏屋敷。
こちらも綺麗に整備されています。

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主屋から、熊倉山を借景にした眺め。

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庭園の池には、かつては滝も流れていたそうです。

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お次は車で少し移動して、崇福寺の織田氏七代の墓所にお参り。
右手前から信雄・信良・信昌・信久・信就・信右・信富の墓石が並びます。

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さすがに信雄のお墓だけ、一回り墓石が大きいようでした。

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崇福寺本堂
奥は織田氏位牌堂。2度の火災を免れた、織田氏歴代藩主の位牌が安置されています。

元々、小幡織田氏の菩提寺は宝積寺に定められていましたが、4代・信久が廃寺となっていた崇福寺を再興して菩提寺とし、先の3代の墓石も宝積寺から移したのだそうです。

本当に久しぶりの遠出でしたが、天候にも恵まれて良き散策となりました。

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2020年10月24日 (土)

特別展「桃山―天下人の100年」拝観

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今回はトーハクの平成館へ。

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2020年10月6日~11月29日まで開催されている特別展「桃山―天下人の100年」を拝観させていただきました。

屏風絵や茶器、甲冑、刀剣、文書類、etc...
あらゆるものが国宝・重文のオンパレードで、「さすがはトーハク」といった規模の充実した展示内容。
「なるべく90分以内でご観覧ください」との掲示を見かけましたが、一つ一つの展示品拝観にあまり時間をかける方でもない私ですら、気がつけば1時間を優に超えていましたので、なかなかハードルが高いかも(笑)…それほどの展示ボリュームです。

なお感染症対策のため、入館は30分刻みで人数制限されており、web等での事前予約(購入)が必要となります。
前後期など期間内に展示替えもありますので、ご興味をお持ちの方は公式サイトでご確認の上、お出かけになってみてください。

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個人的には山形の致道博物館が所蔵する;
太刀 銘 真光(梨地糸巻太刀)
を拝観できたことも嬉しかったです。
そう、天正10年(1582)の甲州征伐からの凱旋の折、酒井忠次が織田信長から拝領したと伝えられる一振です。
迷わず絵葉書もゲット♪

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2020年10月23日 (金)

江戸城天守復元模型

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久しぶりに江戸城本丸へ・・・

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今回の目的はこちら、2020年9月29日から公開されている江戸城天守の復元模型です。

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模型は、本丸休憩所に増築された建物の中で展示されています。
検温を受けてから室内へ・・・

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模型で復元されたのは寛永15年(1638)に完成し、明暦3年(1657)の大火で焼失した寛永期の天守になります。
(3代家光~4代家綱期)

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江戸幕府の大棟梁を務めた甲良家に伝えられた「甲良家文書」の図面を基に設計され、外観は写真の「江戸図屏風」を参考に、約2年の歳月をかけて製作されたそうです。

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模型は原寸の1/30スケール。
それでも寛永期天守は、天守台を含めると約60mもあったと云いますので、模型の高さも2mに達します。

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かなり細部まで細かく作り込まれているようでした。

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模型の製作に約5000万円、そして模型展示のため?の増築棟にも約5000万、計1億円もの大金が費やされたという江戸城天守復元模型。
さすがに、想像していたものより見応えはありました。

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2020年10月18日 (日)

10月前半の記録 ~家庭菜園⑨~

■10月1日(159日目)

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前日に収穫したばかりの生の鷹の爪を使って、あるものを作ってみます。

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フライパンにオリーブオイルをひき、鷹の爪とニンニクを入れて弱火にかけます。
※辛みを出すため、鷹の爪には予め楊枝で穴を開けておきました。

泡が立つようになってから更に弱火で5分・・・

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鷹の爪の調味オイルが完成しました。
いろんな料理の、ちょっとしたアクセント足しに重宝しそうです。


■10月3日(161日目)

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この日の収穫は茄子にシシトウ、ライムホルン、ピーマン、京みどり(10号)、そして、、、
ついに平莢インゲンも、初めての収穫を迎えました。

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新たな花が咲いていた鷹の爪。
収穫を終えても株を残していたら・・・やはり新しい実がつき始めました。

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オクラはこうして、毎日花は咲く(実になる前段階)ものの、肝心の実の成長が遅くなって収穫も遅れがちになってきました。

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さて、収穫した茄子とシシトウは、またオリジナルの漬物にしていきます。

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シシトウは種を除き、適度な大きさに刻みます。
漬けダレは、ポン酢・胡麻油・辣油・甜麺醤・豆板醤・創味シャンタンを、全て目分量で(笑)

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(幸い?)今回も美味しく仕上がりました。

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ところで、この日の昼食は自家製の鷹の爪と、お手製の鷹の爪オイルを使ったペペロンチーノ(風)パスタにしました。
しっかりと辛みが効いていたので、育てた身としては嬉しくなりました。


■10月11日(169日目)

この1週間は仕事が忙しく、天候も優れない日が続いたので、あまり畑に出ていませんでした。

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まずはオクラの様子から。
チラホラと実はついているのですが、あまり大きく育たなくなってきました。

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オクラの茎。
側枝の節の上に、縦に伸びる枯れた枝のようなものが、実を収穫した跡です。
茎が一番太く成長した右の株だけ、どういう訳か殆ど実をつけてくれませんでした。

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ブロッコリーとつるなし平莢インゲン。
ブロッコリーは相変わらず元気に、順調に成長しているのですが・・・

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平莢インゲンの葉に、また心配な兆候が表れました・・・。

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ライムホルンは好調な収穫が続いています。

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アイコはこうして、至るところに実はつけているのですが、株が古いだけにちゃんと育つか・・・?

茄子はもう実が大きくならず、新たな実をつける様子もないので今季は終了ですね。


■10月13日(171日目)

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ここまで食害に遭うこともなく、順調な成長を続けるブロッコリー。
茎も太く逞しくなってきました。

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晴れた日は鷹の爪も外で乾燥。
そろそろいい感じで乾いてきました。


■10月15日(173日目)

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オクラ。
これまで殆ど実をつけてくれなかった株に、今頃になってようやく花や蕾がつき始めました。
ちゃんと育ってくれるのでしょうか・・・?

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全ての実を収穫した後に育ち始めた、鷹の爪の新たな実。
まさかと思いつつ、日々観察してきましたが・・・ゆっくりながらも大きくなってきているようです。


■10月17日(175日目)

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また自家製野菜の漬物シリーズです。
今回は最近好調のライムホルンを浅漬け(昆布だし)にしました。
昆布茶でアクセントをつけます。

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これまた自家製のオクラを添えて完成。
さっぱりとした風味で美味しく出来上がりました。

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また、辛い子ばかりになって料理に使いづらいシシトウは、ピーマンや京みどりと一緒に、いつものポン酢・胡麻油・辣油・豆板醤・香味ペーストで漬け込み、夜のお酒のお供にします。

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そして鷹の爪の第2弾もしっかりと乾いたので、いよいよ一味唐辛子を作ってみます。
へたと中の種を取り除き・・・

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ミルサーにかければ・・・

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あっという間に完成です♪
乾燥が足りなかったのか、若干しっとりとしているのはご愛敬。
種は念のために保管して、来年試しに植えてみようと思います。


■10月18日(176日目)

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畑A
10月も中旬を過ぎ、さすがに夏野菜には厳しい季節。
という訳で、少し実がついているピーマンを残し、アイコ(トマト)・茄子・シシトウを撤去します。

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作業後…随分と寂しくなりました。
今後は土を休ませて、また来年に備えます。

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ちなみに、畑Bの現状はこんな感じ。
ライムホルンはまだまだ元気、京みどりも頑張っているので、もう少し様子見です。

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オクラは、身長178㎝の私が手を伸ばして辛うじて届くくらいにまで成長しました。
こんなに大きくなるものなのでしょうか・・・?
さすがに最近は実のつきも成長も悪くなってきたので、そろそろ終わりなのでしょう。

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さて、この日のランチは自家製の鷹の爪を使い、自分でペペロンチーノを作ってみることにしました。
なお、料理は完全無欠の初心者です…(;^_^A

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Youtubeで仕込んだ作り方を参考に進めます。

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最後に、先日作ったお手製の唐辛子オイルで仕上げて完成!お味は・・・
麺の茹で加減も味もイメージ通りではあったのですが、オリーブオイルの量が多過ぎたようです。
そのため、茹で汁をまぶしても上手く乳化させられませんでした・・・。

最後に、記事ではご紹介していなかった収穫履歴を。

10月1日
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10月4日
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オクラはなかなか、このサイズ以上には大きく育たなくなってきました。

10月6日
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茄子はこれが最後か、もう一つ採れるか・・・。
ピーマンの色の悪さも気になります。

10月8日
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雨の中での収穫。
1日間隔が空いたからか、特にライムホルンの実が良く育っていました。
平莢インゲンは2度目の収穫。

10月11日
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京みどり(11号)の色が悪いなぁ・・・。

10月13日
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10月15日
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ライムホルンが変わらずに好調。
京みどりは12個目の収穫。色艶が悪く、気候も寒くなってきたので、そろそろ終わりかもしれません。

10月17日
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基本的に夏野菜専門でやっている(一部違う種類もトライしていますが)家庭菜園なので、今年はもう終わりが見えてきましたが、残された野菜たちが頑張っている間はもう少々お付き合いください。

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2020年10月 4日 (日)

「中世青梅の城館跡」展

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今回は青梅市の釜の淵公園までドライブ。

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目的はこちら。
青梅市郷土博物館の企画展「中世青梅の城館跡 ~静かに眠る杣保の城~」です。

青梅市内に残る勝沼・今井・辛垣・桝形山・楯の城・藤橋といった城跡を、縄張図や鳥瞰図などを用いて紹介し;
・各城跡からの出土品
・鎌倉期から青梅一帯を支配した三田氏やその旧臣、三田氏と敵対して滅亡へと追い込んだ北条氏照らの関連文書
などが展示されていました。

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個人的には三田氏の扇の前立と軍旗が印象に残っています。
ちなみにアンケートに記入すると、勝沼城跡の御城印(コピー)をいただけます。

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博物館隣りに移築されている旧宮崎家住宅も見学し・・・

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釜の淵公園内を少し散策。
写真は、多摩川がU字に折れ曲がる釜の淵先端部。

のんびりして、いい気晴らしになりました。

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