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2020年10月29日 (木)

群馬県で「織田」めぐり

今回は群馬県甘楽町までドライブ。
織田信長の次男・信雄にもゆかりのある、上野国甘楽郡小幡の地をめぐります。

大坂の陣が終結した元和元年(1615)、信雄は徳川家康より大和国宇陀郡に3万石、上野国甘楽郡に2万石を与えられます。
元和3年に上野国甘楽郡の方を四男の信良に分知し、小幡藩を立藩させました。
以来、明和4年(1767)に出羽国高畠藩(後、陣屋の移転に伴い天童藩)へ移封となるまでの約150年間、小幡は織田氏による統治が続きます。

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小幡八幡宮
小幡陣屋の鬼門封じとして、正保2年(1645)に勧請されました。

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拝殿には龍の天井画が描かれているそうです。
参道には、「織田家の守護神」との幟も見受けられました。

まだ楽山園の開園時間まで少しあったので、八幡宮周辺を散策します。

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養蚕農家群の町並み(明治中期頃)と雄川堰。
近くの富岡市には明治5年に富岡製糸場が建設されたように、小幡でも養蚕が盛んに行われていたようです。
雄川堰は一級河川の雄川から取水している用水路で、最初に開削された年代は不明ながら、小幡に陣屋を築く際に城下の地割と共に用水割も計画され、現在見られる姿に改修されたものと考えられています。

では陣屋の方へ。

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小幡陣屋見取図
小幡陣屋は寛永6年(1629年)、織田信昌によって築かれました。

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陣屋の大手門から藩邸までを繋いでいた中小路。
陣屋の中心的な路との意味から「中小路」と呼ばれましたが、道幅などは「小路」という規模ではありません。
写真の左手前は武家屋敷「高橋家」、勘定奉行の役宅だったそうです。
小幡陣屋は藩主屋敷(藩邸)にとどまらず、こうした家臣屋敷なども取り込み、広大な面積(34ヘクタール)を誇りました。

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松平家大奥
織田氏の後に小幡へ入った松平(奥平)氏の藩主夫人や、仕える女中らが住んでいたと伝わります。
幕末、ペリー来航の折には江戸城大奥の女中ら15~16人ほどを、親藩である小幡藩のこの大奥に避難させたとも云われています。

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松平家大奥の庭園。
江戸後期の作だそうです。

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喰い違い郭(山田家)の石垣…中小路の曲がり角に位置します。
「喰い違い郭」と名づけられた家臣屋敷か何かの虎口、という理解でよかったでしょうか?

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小幡藩邸の中門

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中門前の道路が緩やかにカーブし、それに合わせて石垣もカーブしていましたが、前出の陣屋見取図にも中門前の通りがカーブして描かれていますので、往時もこのような形状をしていたのかもしれません。

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小幡藩邸図

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中門を潜ると石垣で小さな桝形が築かれており、その先にも行く手を遮るように土塁が立ち塞がります。

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土塁の手前には空堀も。

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土塁を抜けて内郭に入り、中門方向を振り返った様子。

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藩主の屋敷などが建ち並んでいた内郭。
地面には屋敷などの配置が展示されていました。

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藩邸の庭園「楽山園」、国の名勝にも指定されています。
昆明池越しに、左から腰掛茶屋・梅の茶屋。

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熊井戸
小幡藩邸(楽山園を含む)は、小幡氏の重臣だった熊井戸氏の屋敷跡地を利用して築かれたと「上野国誌」に書かれているらしいのですが・・・その熊井戸氏と、この「熊井戸」は何か関係しているのでしょうか?

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泉水

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楽山園の面積は、藩邸全体の半分以上にも及ぶ広大なものです。
二万石クラスの大名屋敷としては、確かに少々贅が過ぎるような気もします…(;・∀・)
これも「織田」の自負がなせる業、なのかなぁ・・・?

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腰掛茶屋前から、藩邸全体を俯瞰。

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外廓の拾九間長屋前から内郭の土塁。
手前の石垣と土塁の間は空堀になっています。

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拾九間長屋
藩邸のジオラマや、信雄の書状(小牧長久手戦に関連)などが展示されていました。

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藩邸を辞し、次の目的地へと向かう途中で見かけた分水路。

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小幡藩(松平家)の中老を務めた松浦氏屋敷。
こちらも綺麗に整備されています。

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主屋から、熊倉山を借景にした眺め。

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庭園の池には、かつては滝も流れていたそうです。

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お次は車で少し移動して、崇福寺の織田氏七代の墓所にお参り。
右手前から信雄・信良・信昌・信久・信就・信右・信富の墓石が並びます。

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さすがに信雄のお墓だけ、一回り墓石が大きいようでした。

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崇福寺本堂
奥は織田氏位牌堂。2度の火災を免れた、織田氏歴代藩主の位牌が安置されています。

元々、小幡織田氏の菩提寺は宝積寺に定められていましたが、4代・信久が廃寺となっていた崇福寺を再興して菩提寺とし、先の3代の墓石も宝積寺から移したのだそうです。

本当に久しぶりの遠出でしたが、天候にも恵まれて良き散策となりました。

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