当目の虚空蔵菩薩
焼津市浜当目の虚空蔵山。
かい道より左、田中の城より東山の尾崎、浜手へつきて、花沢の古城あり。是れは、昔、小原肥前守楯籠り候ひし時、武田信玄、此の城へ取り懸け、攻め損じ、人余多うたせ、勝利を失ひし所の城なり。同じく山崎に、とう目の虚空蔵まします。
(信長公記 巻十五「信長公甲州より御帰陣の事」)
花沢城の記事で織田信長が田中城近くから花沢城を眺めていたことをご紹介しましたが、「信長公記」にはとう目(当目)の虚空蔵についても言及されています。
虚空蔵菩薩は聖徳太子作とも伝わる日本三大虚空蔵菩薩尊の一つ。
現在は麓の功徳院に安置されているようですが、元々は虚空蔵山々頂の香集寺(現在は無住)に祀られていました。
虚空蔵山の登り口ともなる、香集寺参道。
参道から眺める当目砦方向。
武田軍が築き、徳川家康によって攻略されたと伝えられます。
想像以上に急勾配な参道が20分ほども続き、さすがに息が上がります。
ようやく最後の階段前まで到着。
この辺りには市の文化財にも指定されていた仁王門が建っていたようですが、老朽化が著しく、倒壊の恐れもあることから2017年頃に撤去されたようです。
今では礎石が、その痕跡を残すのみとなっています。
ようやく香集寺に到着。
ご本尊はいなくとも、しっかりとお参りさせていただきました。
市指定文化財の石燈籠。
「寛永二年五月十三日」の刻銘を有する、焼津市内最古の燈籠だそうです。
香集寺跡の碑。
こちらにも、お寺に関する建物が存在していたのでしょう。
虚空蔵山からの眺め。
本来であれば富士山も見えるらしいのですが、生い茂る樹木に遮られて叶いませんでした。
織田信長の甲州征伐凱旋旅を追いかけ始めた時から、ずっと気になっていたとう目の虚空蔵。
期せずして訪問の機会を得られて良かったと思います。