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2021年4月

2021年4月18日 (日)

土づくり~苗植え(家庭菜園2021①)

新型コロナウィルス感染症の収束への道筋がなかなか見えない中、今年も遠出はなるべく控え、家庭菜園に携わることになりそうです…(;^_^A


■2月21日

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まずは畑の土づくりから。
消石灰を撒き、よく混ぜ込んで土壌を弱酸性に中和させます。

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畑Aに比べて生育の良くない畑Bは、例年以上に深く掘り起こしました。


■3月7日

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消石灰を混ぜ込んでから2週間。
今度は黒土と腐葉土を大量に混ぜ込んで土の栄養を補充。このまましばらく寝かせます。


■3月14日

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本格的に苗を植えるのは4月に入ってからを予定していますが、畑Bに莢エンドウ(早生)×3とスナックエンドウ×3を先行して植えました。

青いネットは鳥除けのためです。
前回、ここに植えていたブロッコリーの葉が鳥たちの餌食になってしまったので、念のため…(;^_^A


■4月10日

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いよいよ、夏野菜の苗植えです。

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まずは畑Aの畝づくり。
今年は畑を少し広げたので、昨年よりも1本多く5本つくれました。


■4月18日

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苗を植えてから1週間が経過した畑A。右奥の畝から順に;
キュウリ×2
イエローアイコ×1、ミニトマト×2
京みどり×3
ナス×3(うち1つは小さいタイプ)
万願寺甘唐辛子×2、伏見甘長唐辛子×1、鷹の爪×1

昨年はすぐに枯れてしまった苗が1~2あったので、ひとまず順調そうで一安心です。

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畑B
右の畝には枝豆(早生タイプ×3、通常タイプ×2)を植えました。
一ヶ月先行していたエンドウは、だいぶ大きくなりました。

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早生タイプの莢エンドウには、早くも白い花が点々と咲き始めています。
こちらが、今年の最初の収穫になるのかな。

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ゴーヤはプランターにて。
もう少し成長したらネットを設置して、ゴーヤ・カーテンを目指します。

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昨年からのミントも地下茎から目をグングン伸ばし、早くも無法地帯?…(;^_^A

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2021年4月13日 (火)

織田信長が初めて目にした富士山(台ケ原宿、他)

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山梨県北斗市白州町白須に建つ自元寺。
付近一帯を治めていた武田家の重臣・馬場美濃守信房(信春)の開基で、菩提寺にもなっています。
写真の総門は、馬場美濃守の屋敷(梨子の木屋敷)からの移築と伝えられているようです。

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馬場美濃守信房墓所

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自元寺門前を通る旧甲州街道
今回は、この旧甲州街道を少し歩いていきます。
写真の奥、突き当りを左(東)へ折れると・・・

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台ケ原宿に入ります。

四月二日、雨降り時雨侯。兼日より仰せ出ださるゝにつきて、諏訪より大ヶ原に至りて御陣を移さる。御座所の御普請、御間叶以下、滝川左近将監に申し付け、上下数百人の御小屋懸け置き、御馳走斜ならず。
(信長公記 巻十五「御国わりの事」)

天正10年(1582)4月2日、武田家を滅ぼした織田信長は甲府へ向けて諏訪(上諏訪)を発ち、この日はここ台ケ原に宿陣しました。

※美濃岩村城を出陣し、上諏訪へ至るルートはこちらを参照。
→信長の甲州征伐 信濃路

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一里塚跡の碑。

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信玄餅で有名な金精軒前を通過。
その斜め向かいには・・・

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北原家住宅
銘酒「七賢」で有名な酒蔵です。
寛延3年(1750)、信濃国高遠で酒造業を営んでいた北原伊兵衛光義がこの地に分家し、酒造りを始めたと伝わります。
台ケ原宿の脇本陣をも務め、明治13年(1880)には明治天皇御巡幸の際の御在所にもなりました。
奥座敷と中の間境の欄干に彫られた竹林の七賢人が「七賢」の由来になっているようです。

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日本の道100選の碑

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台ケ原宿本陣跡と秋葉大権現常夜石燈籠。
古くから代々、台ケ原の名主を務めてきたのであれば、信長が泊ったのも或いはこちらだったのでしょうか・・・。
台ケ原では小田原の北条氏政から、武蔵野で捕らえた500羽余りもの雉が届けられました。

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宿場の出口付近で見かけた石碑。

四月三日、大ケ原御立ちなされ、五町ばかり御出で侯へば、山あひより名山、是れぞと見えし富士の山、かうゝゝと雪つもり、誠に殊勝、面白き有様、各見物、耳目を驚かし申すなり。
(信長公記 巻十五「御国わりの事」)

翌4月3日、台ケ原を出発した織田信長一行は5町ほど進んだところで、美しい富士山の姿を仰ぎ見て感嘆の声を上げています。
この前日に通行した諏訪から台ケ原までの道中にも富士山を見られるポイントはあったかと思いますが、信長公記によると前日の天候は雨。どんよりとした雲に覆われ、富士山が姿を現すことはなかったのでしょう。

実は今回、台ケ原を訪れた一番の目的こそがこれ。信長らがおそらく初めて目にしたであろう、美しい富士山の姿を同じポイントから眺めてみたかったのです。

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台ケ原宿を出たら国道20号線を渡り、反対側に見えている細い道へ進みます。

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その細い道の入口に建つ古道入口の石碑。
どうやら、江戸時代に旧甲州街道が整備される以前から存在していた道の名残のようです。

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道端に並べられた庚申塔や馬頭観音。

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釜無川の支流、尾白川に沿って進みます。

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こうした道を散策できるよう、ちゃんと整備してくれているのがありがたいです。

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歩いてきた道を少し振り返る。
この写真の右手にある高台に、無銘の巨塔なる石碑が建っているらしいので、ちょっと寄ってみました。

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無銘の巨塔
明治14年(1881)、日蓮上人の600年遠忌に五穀豊穣と国家安泰を祈念し、見法寺(長坂町日野)に碑を建てて「南無妙法蓮華経」と刻む予定でしたが、どうしてもこの巨石を牽いて釜無川を越えることができなかったそうです。
巨石は長年放置されたままでしたが、最近になって無銘のままこの地に建てられたとのこと。

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無銘の巨塔が建つ高台から、古道を見下ろす。
右側の稜線が邪魔をし、まだアングル的に富士山は見えなさそうです
・・・それよりも、遠くの空がかなり霞み、見通しが良くありません・・・嫌な予感。

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古道に戻り、横山の道標。
説明によると、この先で花水坂を登って七里岩に上がり、日野や穴山を経由して甲府へ至る道は、後に「はらぢみち」とも呼ばれた甲州街道整備以前の主要道路だったそうです。
横山の道標は、江戸時代になって甲州街道が整備されたことにより、この地がはらぢみちと甲州街道との分岐点になったことで建てられ、馬頭観音の側面に「右かうふみち」「左りはらぢ通」と記されています。

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古道が終了し、国道20号に出た地点に建てられていた石碑。

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こちらが現在の、甲州街道(右/かうふみち)とはらぢみち(左)の分岐点。
天正10年時点では、七里岩の麓を並行して通る甲州街道はまだ整備前。はらぢみちは花水坂から日野~穴山を経由し、信長らの目指す甲府まで続いていたと云いますし、信長らは道中、新府城の焼け跡も見物しているので、はらぢみちを進み、花水坂で七里岩に上がったものと思われます。

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という訳で、私も正面に七里岩を見据え、花水坂橋で釜無川を越えます。

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花水坂橋の欄干にあった句碑。
立ちおほふ霞にあまる富士の嶺におもひをかはす山桜かな
細川幽斎から古今伝授を受けた烏丸光廣が詠みました。

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坂を少し登り、七里岩の中腹に建つ花水坂の碑。
(実際のはらぢみちは、石碑の建つ現在の台ケ原富岡線とは少しルートがズレているようなのですが、詳細はまだ調べきれておりません)

日本武尊が東征の折、富士や清流(釜無川か)の絶景にしばし足を止めて休息し、ここを「花水坂」と命名したと伝えられています。休息した場所を「休み平(やすまんていら)」といい、今でもこの一帯に地名が残っているようです。
花水坂は「山水の富士」として、甲斐国の富士見三景の一つにも数えられています。

台ケ原宿を出てからここまで、アングル的に富士山を仰ぎ見ることが出来そうなポイントはありませんでしたし、太田牛一も信長公記に「台ケ原を出発して五町ほど進んだら、美しい富士山が見えた」と書き残しています。
台ケ原宿から花水坂までの距離は1㎞強。5町は約550m弱ほどなので距離感は一致しませんが、甲斐の富士見三景にも数えられる花水坂付近こそ信長らが富士山を目にし、その姿に感嘆の声を漏らした地点だったのだろうと判断しました。

その、花水坂からの富士山の眺めこそが・・・

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こちら・・・って、やっぱり見えねーっっ!!
事前に天気予報も確認した上で訪問したのですが・・・ガッカリ。
今年(2021年)は特に暖かくなるのが早い気がしますので、その辺りも影響したのかもしれません。

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写真をアップにし、少し彩度を調整しても辛うじて山容を認識できる程度・・・。
旧暦の天正10年4月3日は、現在のグレゴリオ暦に換算すると5月5日になります。温暖化の進む令和の今、5月にかうゝゝと雪つもった富士山をこの距離で拝むことは至難の業ですよね・・・。
信長たちと時期を合わせて富士山を拝みたかったのですが・・・次は季節を選んで再度チャレンジしてみたいと思います。

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この後は、台ケ原の金精軒本店が定休日だったので韮崎店まで足を運び・・・

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更には甲府の山梨県立博物館で、特別展「生誕500年 武田信玄の生涯」を拝観してから帰路に就きました。

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