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2021年10月

2021年10月30日 (土)

京みどりの頑張り(家庭菜園2021⑧)

■10月7日

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オクラを1日に5本も収穫できたのは初めてかもしれません。


■10月9日

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この日は万願寺トウガラシをたくさん収穫できました。
京みどりも好調です。


■10月11日

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またオクラが5本採れました。
プランターのゴーヤも頑張ってはくれています。


■10月16日

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またまた万願寺&伏見長トウガラシ、京みどりが大豊作。
ゴーヤにオクラも加え、とにかく緑ばっかり(笑)

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しかし、京みどりを中心に虫害も多発しています。


■10月23日

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ゴーヤはもう株に元気もなく、実が大きくなる前に傷んでしまうので早めに収穫しました。


■10月30日

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10月最後の収穫。
半月ほどで秋も深まり、虫害が殆ど出なくなって京みどりをたくさん収穫できましたが、徐々に実は少なくなってきました。
万願寺&伏見長トウガラシに至っては、残り僅かとなっています。

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畑A
鷹の爪もまだ少し実をつけていますが、これからは一番手前の芽キャベツの成長を楽しんでいきたいと思います。

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芽キャベツはだいぶ葉が込み合ってきたので、少し下葉かきをしました。

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プランター植えのゴーヤ。
葉も殆ど枯れてきたので、僅かに残ったこれらの実を収穫したら終了にします。

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畑Bのオクラ。
相変わらず葉が細く、成長も殆ど止まりました。

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まだこうして実をつけてはいますが成長できないものも多く、こちらもそろそろ終了のようです。

我が家の家庭菜園は基本的に夏野菜が中心なので、来月の更新時には芽キャベツだけになっていることでしょう。
果たして、ひと月でどのくらい成長してくれているか?

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2021年10月18日 (月)

楯の城

今回は東京都青梅市日向和田、JR青梅線の宮ノ平駅近くにある楯の城(館の城とも)へ。
一つ手前の青梅駅近くに車を置き、青梅街道を西へ歩いて向かうことにします。

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青梅宿町年寄、旧稲葉家住宅の前を通過し・・・

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裏宿、「義賊」としての伝説も伝えられる七兵衛が住んでいた場所と云う七兵衛公園前も通過。
(七兵衛は、二俣尾村の名主・谷合家の記録に元文4年(1739)、一味と共に捕らえられ、処刑されたことが残されているので、実在はした人物のようです)

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楯の城の東面を深く削り込むようにして流れる沢。
水面は見えませんが、水の流れる音は聴こえていました。このまま近くを流れる多摩川まで流れ込んでいるようです。

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その沢に架かる橋の欄干に「館」の文字が読めました。
「館橋」というようです。

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青梅街道から見上げる楯の城。
数軒の住宅が建つ辺りも、従来は城域の一部だったようです。

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宮ノ平駅の手前(東)で踏切を渡り、線路沿いの細い路地を少し上ります。
楯の城(の遺構)は、すぐ先に見えている一つ目の階段を左に上がり、山道を少し進んだ先になります。

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楯の城の西面も、こうして深い谷になっていました。
青梅街道や、それと並行する多摩川に向かって駆け下ってきた山からの稜線の先端で、東西を守られるようにして沢と谷に挟まれた占地です。

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山道に入って20mほども歩くと、目印となる赤錆びた看板が出てきます。
ここで山道を外れ、右手の踏み跡に入っていきます。すると・・・

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見事な土塁や空堀が目に飛び込んできました。
奥には土橋も見えています。

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土橋
右手は虎口になっています。

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土橋を渡った虎口の先が、楯の城の主郭部になっていたようです。
今でも削平された痕跡は残っているようでしたが、藪々で詳しくは確認していません…(;^_^A

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土橋上から西側の空堀を見た様子。
しっかりと「折れ」も確認できます。

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反対に東側。
こちらは真っ直ぐ、そのまま先に見た沢まで落とされていたようです。

楯の城は「新編武蔵風土記稿」や「武蔵名勝図絵」などでは、田辺清右衛門なる人物が移り住んで構えた居館跡と伝えられているようです。
この田辺清右衛門、元は甲斐武田家の旧臣で、天正10年(1582)の主家滅亡後、武蔵国に逃れて北条氏照に仕えたことから日向和田の楯の沢に館を構え、移り住んだのだそうです。
そうなると時系列的にも、近くに居並ぶ辛垣城や桝形山城、勝沼城との関連は特に見出せないということになるでしょうか。

清右衛門の墓所は青梅市天ケ瀬の金剛寺にあり、墓誌によると明暦4年(1658)に72歳で没したようです。
金剛寺には彼の肖像画も伝えられているようですが、非公開とのことです。

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楯の城からの移築と伝わる明白院の山門。
北条家の滅亡後、田辺氏は徳川家に仕えました。
こちらの山門は、清右衛門の孫の代の時に移築されたものと伝えられているようです。

楯の城、個人的には青梅街道を押さえる番所のようなイメージを抱いていましたが、少々意外な歴史を知ることになりました。

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2021年10月 4日 (月)

古河城・古河公方鴻巣館

緊急事態宣言も開けた10月最初の週末、久しぶりに愛車とのドライブも兼ねて茨城県古河市へ。

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今回は、街中に残る古河城の痕跡をめぐります。

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まずは古河歴史博物館で古河の歴史を簡単に学び、博物館の建つ諏訪郭跡から散策スタート。

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諏訪郭の南東隅から東面にかけての土塁。
いい感じで残されています。

先の図面でもおわかりのように、古河城は渡良瀬川の河畔に曲輪を南北に連ねた連郭式の城郭でしたが、この諏訪郭だけは東に突出した出城、広い意味では馬出的な存在だったようです。

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同じ南東隅部の土塁を外側の堀底から。

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福法寺の山門として残る乾門
元々は二ノ丸、将軍御成のための御殿前に建っていたそうです。

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古河城の文庫蔵の移築と伝わる坂長本店の店蔵と、乾蔵の移築と云う袖蔵。

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街中には、雪の結晶の研究で知られる土井利位の雪華模様をあしらった鉄柵も。

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日光街道古河宿の道標。
左 日光道
右 江戸道
古河城は江戸時代、日光東照宮へ社参する徳川将軍の宿泊地でもありました。
(岩槻→古河→宇都宮)

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城下町を通過する旧日光街道。

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素敵なクランクですねぇ~♪
このまま日光街道を少し西へ進んで・・・

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古河藩主・土井家(1633~1681、1762~)の菩提寺、正定寺へ。
こちらの山門は、土井家の江戸下屋敷(本郷)から移築されたものだそうです。

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土井家歴代の墓所にもお詣り。

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正定寺近く、この不思議な分岐をする路地の辺りが・・・

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古河城追手(大手)門跡。

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追手門跡から西へ、頼政神社に残る観音寺郭北面の土塁。
この上には頼政神社が鎮座していますが、残念ながら石段の崩落か何かで境内は立入禁止になっていました。

頼政神社は元禄9年(1696)、時の藩主・松平(大河内)信輝が城内に大河内氏の祖先にあたる源三位頼政の廟所があることを知り、これを神社として整備して祀ったのが始まりと伝えられています(他説あり)。
元々は城域南端の立崎郭に祀られていましたが、明治末期からの渡良瀬川改修工事で立崎郭が消滅することとなり、現在地に移されました。

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渡良瀬川と城を直接繋いでいたであろう、船渡門跡。
河川改修後に築かれた大きな堤防に遮られ、現在では川を直接見ることは叶いません。

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丸ノ内北西に位置する桜門跡。

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桜門跡碑の前の道が半円状にカーブしていたので、私は始め「馬出(の痕跡)か?」とも思いましたが、どうやらそうではなく、門の脇に掘られていた堀のラインを示す痕跡なのかもしれません。

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古河城跡の見所の一つ、獅子ヶ崎土塁

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獅子ヶ崎土塁の往時の位置関係はこのようになります。

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獅子ヶ崎土塁の北側。

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獅子ヶ崎土塁の向かいには重臣屋敷長屋門。

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獅子ヶ崎土塁前、御成門跡から諏訪郭方向へと真っ直ぐに続く御成道
日光社参の途次に古河へ到着した徳川将軍は、この御成道を通って御成門から丸ノ内に入り、三ノ丸を経由して二ノ丸の御殿に宿泊したと云います。
その為、古河城には珍しく、御成門には石垣も積まれていたそうです。

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渡良瀬川の堤防上に建つ本丸跡の碑。

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本丸や三ノ丸を左右に横切っている黒い線が、明治末期からの河川改修で築かれた堤防や道路で、その上は河川敷や川の流域に変貌してしまいました。

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御三階櫓が建っていたであろう地点を眺める・・・も、もはや往時を偲ぶよすがもありません。

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こうした威容を見てみたかったという思いはありますが、こればかりは致し方ありませんね。

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古河公方・足利成氏が城(御所)の鬼門守護のため、鎌倉の長谷寺から勧請したのが始まりとされる長谷観音にもお詣り。

そう、古河といえば古河公方
ということで・・・

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古河公方鴻巣館跡(古河公方公園)へ。
古河公方鴻巣館(鴻巣御所)は、御所沼と呼ばれる沼地に突き出た小高い舌状の台地上に築かれていました。

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その台地の縁部分(北側)。なんとなく切岸になっているようにも見えました。

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台地上には、江戸期の古民家も移築されています。

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古河公方館址
享徳4年(康正元年/1455)に鎌倉を放棄して古河に移った足利成氏は、この地に館を構え、2年後には整備を終えた古河城へ移りました。
しかし鴻巣館は成氏以降も、政氏・高基・晴氏・義氏と代を重ね、最終的には義氏の娘・氏姫の居館として江戸時代初期まで、約150年もの長きに渡って存続していたそうです。

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石碑の奥には堀切のような痕跡も。

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堀切を渡る土橋・・・か?

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図を見る限り、台地の先端方向にもう少し遺構がありそうな感じでしたが、下草にも阻まれてこれといったものは確認できませんでした。
しかし、現代に伝えられる古河城の痕跡が近世の改修・拡張を経て足利氏時代の面影を失っている中で、鴻巣館跡の遺構は貴重な「古河御所遺跡」といえるかもしれません。

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台地の先端方向から振り返る鴻巣館跡と御所沼。

さて、今回の古河めぐりはこの辺で終了です。
本当に久しぶりな史跡めぐり。ドライブも合わせて、とてもいい気分転換になりました。

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2021年10月 2日 (土)

粘る京野菜(家庭菜園2021⑦)

■9月7日

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数日前から「色味が少し黄色がかっているなぁ…」と思っていましたが、気がつくとオクラの小さな実がいくつも地面に落ちていました。

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新しい葉がどんどん細くなっているし、あまり調子は良くなさそう。
栄養不足か、日照や気温なのか・・・?


■9月11~12日

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この週末、もはやマトモな実をつけることもなくなった茄子を撤去しました。
気温が落ち着いてきたので、芽キャベツは断熱シートを外し、鳥除け用のネットを設置しました。

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畑Bの茄子も撤去。

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この日はオクラの花が2つ、綺麗に咲いていました。
また新たな実もつけているので、この後順調に収穫できることを祈ります。

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プランター栽培のゴーヤ。
ゴーヤ・カーテンは望むべくもありませんが、チラホラと実はつけてくれています。
しっかりと苦みもきいて、味もGood。

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9月11日の収穫・・・緑ばっかり(笑)
京みどりは、まだ収穫が続きそうです。

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こちらは9月12日の収穫。
鷹の爪の第3弾に、残り少なくなってきた伏見長トウガラシを少々。

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鷹の爪といえば・・・ひと月余り乾燥させた第1弾の収穫を使って、一味唐辛子を作りました。
手でヘタと種を取り除き、あとはミルにかけるだけ。

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昨年よりも入念に乾燥させたので、出来栄えもいい感じです。


■9月15日

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この日はゴーヤに京みどり、万願寺&伏見長トウガラシ、そして残っていた鷹の爪の実を青唐辛子の状態で収穫しました。

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先に収穫していた赤い鷹の爪とニンニクで、唐辛子オリーブオイルを作り・・・

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青唐辛子はみじん切りにして、味噌・めんつゆ・煎り&すり胡麻・砂糖を混ぜ合わせたものと一緒に、胡麻油でさっと炒めて・・・

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激辛のご飯のお供、青唐辛子味噌にしてみました。
先日作った一味唐辛子と合わせ、自家製唐辛子レシピ3種の揃い踏みです。

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早速、夕飯で味見・・・適当に作った割には味のバランスが絶妙で、家族からも好評でした。


■9月18日

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台風14号が近づく中、念のために大きく育っている方の芽キャベツにも支柱を設置しました。


■9月19~22日

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オクラが毎日2~3本ずつ、コンスタントに収穫できるようになってきました。

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こうして順々に実をつけてくれているので、しばらくは楽しめそうです。

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9月21日も。
この日はまだ小さいのに、なぜか真っ赤に熟していた京みどりも収穫しました。

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9月22日は再び3本。

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ところで、芽キャベツの葉に心配な症状が現れました・・・。
部分的とはいえ、新しい葉が結構な頻度で枯れてしまっています。

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暑さ(季節外れの最高気温30度前後)によるものではないかとも推測しているのですが、病原菌によるものの可能性も拭えず、とりあえず枯れた部分を除去しました。
治まるといいのですが・・・。


■9月23日

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しばらくぶりに形のいいゴーヤが採れました。
真っ赤に完熟した京みどりも2つ目です。
お隣が植えて、我が家の庭にも勝手に自生している山芋の“むかご”と一緒に。


■9月24日

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オクラが4本同時に採れました。

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日々、1~2個ずつは花を咲かせてくれています。
(9月25日撮影)


■9月26日

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京みどりは最近アオムシ系の食害が目立っているので、まだ少し小さいのですが早めに収穫しました。
万願寺&伏見長トウガラシも頑張ってくれています。


■10月2日

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早いもので、今年も神無月を迎えてしまいました。
1週間放っておいたので、京みどり・万願寺トウガラシがいいサイズに育っていました。

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畑A
京みどりや万願寺&伏見長トウガラシがまだまだ頑張ってくれていますが、これからは一番手前の芽キャベツの成長が楽しみ。心配していた葉が枯れる現象も、一時的なもので済んだようです。
鷹の爪もまだ粘り強く、新しい実をつけています。

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畑Bのオクラ。
葉が痩せてしまっているので何とも言えませんが、日々コンスタントに花を咲かせ、実をつけてくれています。

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プランターのゴーヤは、徐々に葉が枯れてきてしまいました。
時期的にもそろそろ終わりのようです。

足元に空のプランターが置いてありますが、昨年から栽培していたミントが植わっていたものです。
手がかからず楽に栽培できたのですが、我が家に需要がなく、殆ど活用できていなかったので今年で終えることにしました。
空いたプランターで、来年は何か別のものを栽培してみようと思います。

さて、次回はどんなご報告ができるでしょうか。

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