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2021年11月

2021年11月28日 (日)

旧吉野家住宅、他

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日曜昼下がりのドライブ、今回は青梅市新町の旧吉野家住宅へ。
旧新町村は慶長~元和年間にかけ、元忍城主・成田氏の旧臣だった吉野織部之助という人物が中心となって開拓されたのだそうです。その子孫は代々、新町村の名主を務めました。
現在残る家屋は嘉永4年(1851)に建てられたもので、都の有形文化財に指定されています。

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さすがに名主層の住宅だけあって、式台を備えた玄関も立派です。

天正18年(1590)の小田原征伐による忍城開城後、吉野織部之助は武蔵国多摩郡下師岡村(青梅市師岡町、他)に下野していましたが、新町での新田開発を幕府の代官に願い出て、その協力も仰ぎながら新村開拓に着手したそうです。
なお、下師岡村の吉野家は息子が継ぎ、新町の方は孫娘に婿を取らせ、これに継がせたようです。従って下師岡村の名主も、織部之助の息子が継いだ吉野家が代々務めました。

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大正期頃の新町村の様子。

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建物内部も上がって見学することができます。

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旧吉野家住宅の北東100mほどに位置する、新町の大井戸。
一目見た瞬間、羽村の「まいまいず井戸」にそっくりだなと感じました。
参照記事

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新町村は武蔵野台地の中央に位置して河川からも遠かったため、開拓にあたっては織部之助もすぐに井戸の掘削に取り掛かっています。
この形状からして大井戸は、織部之助らの入植よりも時代を遡るかと思われますが、水の確保に腐心した様子が偲ばれます。

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旧吉野家住宅から青梅街道を西へ200m弱、鈴法寺跡。
鈴法寺は普化宗を宗派とする寺院で、初めは幸手市にあった藤袴村に創建され、川越近くの葦草村を経て、慶長18年(1613)にこの地へ移りました。
これは、当時の鈴法寺20世が織部之助と同じ、成田氏旧臣の子息だった縁によるものだそうです。

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明治4年の廃宗に伴って廃寺となり、同28年の火災で残っていた伽藍も焼失したようです。
現在はこじんまりとした児童公園になっており、その片隅に歴代住職の墓所を残すのみとなっています。

近場の史跡をめぐるドライブ旅。
次はどこへ向かいましょうか・・・?

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2021年11月27日 (土)

多忙につき・・・(家庭菜園2021⑨)

早いもので、11月ももう終わりを迎えようとしています。
このひと月は週末も仕事に追われ、殆ど菜園をチェックできておりませんでした。
という訳で・・・


■11月27日

いきなりの月末です(;^_^A

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11月も末だというのに、未だ京みどりはたくさんの実をつけてくれています。粒こそ小さいですが。
万願寺トウガラシはそろそろ終わり、伏見長トウガラシはもう完全に終了ですね。

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畑A
右:芽キャベツ
中央:京みどり
左:万願寺&伏見長トウガラシ、鷹の爪
鷹の爪は、まだ残っている実の利用方法について思案中。

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成長の遅い品種の方の芽キャベツはまだまだですが・・・

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もう一方のは、芽が徐々に大きく育ってきました。
本当にキャベツみたいな形をしています。

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畑Bはオクラが枯れてしまいましたので、今期終了です。
来春まで土を休めます。

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2021年11月23日 (火)

近藤芳助が所持していた近藤・土方肖像写真

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2021年11月23日、新選組隊士だった近藤芳助(川村三郎)が所持していたと云う近藤勇・土方歳三の肖像写真が、1日限定(写真の劣化を防ぐため)で公開されると聞き、土方歳三資料館へ。

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到着してみると想像を超える盛況ぶりで、行列は表の道路まで延々と続いていました。

今回、土方歳三資料館で公開された近藤・土方の写真は、幕府御典医であった松本良順(順)が所持していたものを、元新選組隊士・久米部正親(猪野忠敬)が借り受けて近藤芳助に託し、芳助が横浜の写真家・鈴木真一に依頼して3枚ずつ複写したものの1組とのこと。
残りの2組は、久米部と永倉新八とで分け合ったのだとか。

実際、土方の写真の裏には;
土方年三君 明治廿壱年九月 猪野忠敬氏所持之分複写
と書かれているそうです。

芳助の御子孫が土方歳三資料館へ寄贈されたことから、今回の1日限定公開になった訳ですが、過去(2009年)にはこの御子孫により、2人の写真は「開運!なんでも鑑定団」に出品されたこともあったようです。

近藤の写真の方は劣化が進み、かなり色褪せているように見受けられましたが、土方の方は割と鮮明で、市村鉄之助が箱館から佐藤家に届けた写真と構図は全く同じなのですが、表情が心もち柔らかい印象を受けました。

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資料館内も大変な混雑。私は既に何度もお邪魔しているので、今回は目的の写真だけを目に焼き付けて、早々に退散いたしました。

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2021年11月 7日 (日)

法林寺館

新型コロナの猛威が下火になってきたかと思えば、今度は仕事の方が暴発しておりまして、なかなか旅にも出られずに悶々とした日々を送っております。
そんな日曜の昼下がり、気晴らしに自宅からも近いあきる野市の法林寺館を訪れてみました。

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法林寺山門

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本堂

法林寺は西暦921年の開基、14世紀後半~15世紀初頭頃の再興とも伝えられる古刹で、江戸時代には幕府より寺領25石の朱印も拝領していたそうです。
その周辺に土塁の一部が残存していることから、ここにはかつて、武士の居館のようなものがあったのではないかと推定されていますが、文献等でその存在を確認できず、便宜上、跡地に建つ法林寺にちなんで「法林寺館」と呼ばれていますが、詳細は全くわかっていないようです。

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法林寺のすぐ南には多摩川が流れています。
多摩川の河岸段丘の縁という立地で、対岸の加住丘陵上には眼前に高月城、更に左奥には滝山城があります。

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ところで、法林寺境内の南側、多摩川に面した段丘の縁にも土の盛り上がりがあったのですが、これも土塁の名残でしょうか・・・?

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法林寺の東隣り、寺前公園から見る法林寺館北東隅の土塁(内側)。
黒い柵が土塁に沿って張り巡らされていますので、辛うじて隅部分が内側に折り曲げられているのがわかります。
方角からしても、これは鬼門除けの隅欠だと思われます。

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北面の土塁(同じく内側より)。
左奥に法林寺の山門が見えています。
しかし、なかなかの藪り具合・・・来る時期を間違えたようです。(;・∀・)

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外側に至っては・・・周囲の藪がフェンスの高さまで生い茂り、土塁の高さを全く体感できません・・・( ;∀;)
ちなみに上の写真は、外側から見た東面の土塁です。

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北東の隅欠部分・・・いいよ、また来るから。

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北面・・・幸いに近所みたいな場所なので、また冬にでも訪れてみたいと思います。

法林寺館の成立年代や歴史は、お寺の沿革・変遷(いつ現在地に移ってきたか、etc...)とも関わってきそうですが、法林寺も江戸期に火災に遭い、記録類が焼失して詳しいことはわからないのだそうです。

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