旧吉野家住宅、他
日曜昼下がりのドライブ、今回は青梅市新町の旧吉野家住宅へ。
旧新町村は慶長~元和年間にかけ、元忍城主・成田氏の旧臣だった吉野織部之助という人物が中心となって開拓されたのだそうです。その子孫は代々、新町村の名主を務めました。
現在残る家屋は嘉永4年(1851)に建てられたもので、都の有形文化財に指定されています。
さすがに名主層の住宅だけあって、式台を備えた玄関も立派です。
天正18年(1590)の小田原征伐による忍城開城後、吉野織部之助は武蔵国多摩郡下師岡村(青梅市師岡町、他)に下野していましたが、新町での新田開発を幕府の代官に願い出て、その協力も仰ぎながら新村開拓に着手したそうです。
なお、下師岡村の吉野家は息子が継ぎ、新町の方は孫娘に婿を取らせ、これに継がせたようです。従って下師岡村の名主も、織部之助の息子が継いだ吉野家が代々務めました。
大正期頃の新町村の様子。
建物内部も上がって見学することができます。
旧吉野家住宅の北東100mほどに位置する、新町の大井戸。
一目見た瞬間、羽村の「まいまいず井戸」にそっくりだなと感じました。
→参照記事
新町村は武蔵野台地の中央に位置して河川からも遠かったため、開拓にあたっては織部之助もすぐに井戸の掘削に取り掛かっています。
この形状からして大井戸は、織部之助らの入植よりも時代を遡るかと思われますが、水の確保に腐心した様子が偲ばれます。
旧吉野家住宅から青梅街道を西へ200m弱、鈴法寺跡。
鈴法寺は普化宗を宗派とする寺院で、初めは幸手市にあった藤袴村に創建され、川越近くの葦草村を経て、慶長18年(1613)にこの地へ移りました。
これは、当時の鈴法寺20世が織部之助と同じ、成田氏旧臣の子息だった縁によるものだそうです。
明治4年の廃宗に伴って廃寺となり、同28年の火災で残っていた伽藍も焼失したようです。
現在はこじんまりとした児童公園になっており、その片隅に歴代住職の墓所を残すのみとなっています。
近場の史跡をめぐるドライブ旅。
次はどこへ向かいましょうか・・・?
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