「青天を衝け」めぐり in 深谷
今回は埼玉県深谷市へ、家族を連れての日帰りドライブ。
2021年度の大河ドラマ「青天を衝け」関係地をめぐります。まずは・・・
深谷大河ドラマ館へ。
栄一が幼少期から過ごした家を再現したセットや・・・
出演者らのパネルなどが展示されています。
この2人の恋心と結末は切なかったですね・・・。
人柄も素晴らしく、本当に立派で素敵な“とっさま”でした。
ドラマで使用された小道具など。
千代に「浅ましい・・・」と一蹴された栄一の洋装写真(笑)や、栄一が千代に贈った懐剣など。
パリ万博で驚嘆していたエレベーターも。
左から尾高長七郎、渋沢てい、渋沢(尾高)平九郎の衣装。
併設された物産館で、名産の深谷ネギも購入。
ドラマを欠かさず視聴しているので、結構楽しめました。
ちなみに、大河ドラマ館の向かいには深谷城址公園があります。
お次は旧渋沢邸、栄一の生誕地でもある血洗島の中の家へ。
中の家と、この後に訪れる尾高惇忠生家は、3年前に訪れた際の記事と重複するため詳細は割愛します。
しかし、3年前にはいらっしゃらなかった栄一のアンドロイドにお会いできました。
※栄一が建立した平九郎の追悼碑の前で、ボランティアの高齢男性が団体客を前に力説していたのですが、
「“昌忠”というのは栄一の“青淵”、惇忠の“藍香”と同じで、平九郎の号!」
と大声で断言しているのを耳にした瞬間は、思い切りズッコケそうになりました・・・いくらボランティアとはいえ、少しは正しく勉強して(させて)からでないと・・・。
尾高惇忠生家も3年前とは違い、ドラマの影響で多くの人が訪れていました。
渋沢栄一記念館
こちらも3年ぶりの再訪ですが、やはり渋沢栄一アンドロイドとは初対面となりました。
最後に、大寄公民館脇に移築復元されている誠之堂へ。
大正5年(1916)、栄一の喜寿を記念して、彼が頭取を務めていた第一銀行の行員たちの出資により、第一銀行の保養施設であった清和園(東京都世田谷区瀬田)に建てられました。
※ところで、渋沢成一郎(喜作/栄一と同じ血洗島出身)は振武軍を率いた際、「大寄隼人」の変名を用いていますが、この地名に由来しているのかもしれません。
この地に「大寄村」が成立したのは明治22年(1889/1955年廃止)のことらしいのですが、それ以前から地域名のような形で存在していたとしたら・・・。
尾高惇忠も「榛沢新六郎」と、やはり現在の深谷市一帯に所在していた榛沢郡にちなんだものと思われる変名を用いています。
煉瓦で「喜寿」と書かれています。
誠之堂内部
暖炉上の渋沢栄一レリーフ。
説明や古写真にある通り、建設当初のレリーフは横向きだったそうです。
ステンドグラスも印象的でした。
誠之堂の横に移築されている清風亭も見学。
清風亭は、やはり第一銀行であった佐々木勇之助の古希を記念して、誠之堂に並べて建てられました。
平成11年、誠之堂と共に、渋沢栄一ゆかりの地でもある深谷市に移築復元されました。
この後は道の駅おかべに立ち寄ってから帰路につきました。
(大河ドラマをご覧の方には、「岡部」の地名にも馴染みがあるはず!)
母も今年はずーっと「青天を衝け」を視聴しているので、楽しんでもらえたようです。
往復共に渋滞知らずで、よきドライブになりました。
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