佐久城、堀川城、気賀関所…浜松で史跡めぐり②
佐久城は別名「浜名城」ともいい、室町期以降、源頼政の子孫と伝わる浜名氏の居城として築かれましたが、永禄11年(1568)の暮れから開始された徳川家康の遠江侵攻により落城し、以降は天正11年(1583)の廃城まで徳川家の管理下に置かれたようです。
馬出と南郭間の堀。
南郭
馬出
土塁がいい感じに残っています。
馬出から本郭へ続く土橋。
馬出と本郭間の堀切(東側)
土橋西側の堀。
低い土塁のようなものが堀底を横切り、その先が更に一段落ちているように見えます。
往時は今よりも水位が3mほど高かったと推定されているようなので、おそらく、あの一段低い位置まで水が来ていたのではないかと思います。低い土塁のようなものは堰と見ましたが・・・いかがでしょうか。
本郭側から土橋と馬出・・・美しい。
本郭は結構な広さがあります。
土塁の残存状況も良好。
井戸や建物跡。
本郭に建つ城址碑。
本郭から望む猪鼻湖。
冒頭に掲載した見取図には「1500年頃」とありましたが、馬出の形状などは徳川による改修との印象を、個人的には受けました。
続いて、浜松市北区細江町気賀の堀川城。
遺構は残らず、推定地に城址碑が建つのみですが、往時は浜名湖に面した立地だったと考えられています。
堀川城も徳川家康の遠江侵攻によって永禄12年(1569)に落城していますが、立て籠もった気賀周辺の土豪らの抵抗は特に頑強だったらしく、手を焼いた家康は「撫で斬り」を命じたため、最終的に籠城兵らは全滅したと云います。
城址碑の横には、命を落とした籠城兵らのものと思われる首塚も。。。
江戸時代、姫街道に設置されていた気賀関所(復元)にも立ち寄りました。
向番所内の牢屋。
遠見番所
遠見番所からの眺め。
浜松史跡めぐりの旅、ラストは鳥羽山城・二俣城へ向かいます。
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