近衛龍山(前久)の浜松下向
天正10年(1582)6月2日に勃発した本能寺の変で織田信長が亡くなると、信長と親交のあった近衛前久は出家して龍山と号します。
佞人の讒訴の企てによって秀吉の嫌疑を受けた龍山は嵯峨て逼塞し、やがては京を離れ、徳川家康を頼って浜松へ向かいました。
※茶色字部分は石谷光政・頼辰宛 近衛前久書状より抜粋引用
東岡崎駅からもほど近い、乙川ほとりの満性寺。
毎年8月7~8日の2日間、虫干しを兼ねた宝物展示が行われることを知り訪れてみました。
龍山は天正10年11月7日付で、浜松へ忍びで下向することになったことを伝え、その道中の宿所提供を依頼する書状(上写真)をこの満性寺宛に発しています。
後に紹介する同月13日付の書状により、龍山は11月12~13日頃に浜松へ到着したことが知れるので、満性寺に宿泊したのは11月10日前後のことと推定されています。
龍山はこの年、甲斐武田家を滅ぼした甲州征伐に参陣しており、4月には信長の凱旋旅にも同行して岡崎を通行した際にか、彼は過去にも満性寺に立ち寄ったことがあったようです。
11月7日付の書状には、その折に交わした雑談などを忘れ難く思っていること、その後にも満性寺から便り(書札)をもらったことなども書かれており、それに続けて;
(聖徳)太子の次第を信長にもつぶさ(具)に伝え、内々に聴聞に訪れてみようと話していたところに不慮の儀(本能寺の変)が発生して叶わなくなり、是非もない。
といったことも記されています(上写真部分)。
満性寺では聖徳太子が篤く信仰されてきたようで;
聖徳太子2歳の時の姿と云う「南無仏太子像」(左/鎌倉期)や「聖徳太子講讃孝養図」(右/天正6年頃)、
「聖徳太子立像」(童形執笏太子像/江戸期)など、聖徳太子にまつわる品々が多く伝えられています。
また、本堂脇に建つ太子堂にも・・・
やはり聖徳太子が祀られています。
龍山は浜松への道中、満性寺に宿泊した際には実際に目にした(江戸期作の聖徳太子立像は別として)ことでしょうし、本能寺の変が起こらなければ織田信長も龍山と一緒に訪れて目にしたかもしれない貴重な品々です。
近衛家と満性寺の関係はその後も続いたようで、満性寺には他に;
近衛前久(龍山)の「詠十首和歌」
近衛信尹(前久息)の書簡
近衛家から拝領の品々なども残されていました。
また、太子堂には歴代徳川将軍のご位牌も安置され、酒井忠次からの書状や寄進状なども展示されていました。
その他にも数多くの寺宝が本堂や庫裏に展示されていましたが、とても一挙にご紹介しきれるものではありませんので割愛します。
ところ変わって・・・
浜松城の西に位置する西来院。
近衛龍山は浜松到着後、11月13日付で岡崎の満性寺に一宿の馳走を謝した書状を出しています。
その文中で徳川家臣・石川家成の手配により、この西来院入ったことを伝えています。
西来院には、西方僅か2㎞ほどの佐鳴湖畔で殺害された築山殿(徳川家康正室)の廟所「月窟廟」や・・・
家康の異父弟・松平康俊の墓所もありました。
JR浜松駅の南1㎞ほど、龍禅寺仁王門跡。最盛期には、この辺りも龍禅寺境内の一角に含まれていたのでしょう。
奥には大きな松の木が見えています。
龍禅寺のクロマツ。
第2次大戦の戦火を免れ、市の保存樹に指定された平成7年の段階で、既に樹高が27mもあったといいます。
龍禅寺山門
龍禅寺境内
金光院龍禅密寺の額
西来院に逗留後、龍山はここ龍禅寺に移り、金光院の北の亭に滞在したと云います。
この亭は後に、龍山公の亭とも称されたとか。
その正確な位置はわかりませんが、境内に建つ松永蝸堂の句碑の説明板に気になる記述がありました。
元亀年間は後水尾天皇の曽祖父・正親町天皇の時代で、後水尾天皇はまだお生まれにもなっていません。
そればかりか、近衛前久が龍山と号したのは既述の通り、天正10年6月2日の本能寺の変後のことですし、徳川和子の入内は龍山没後(慶長17年=1612)の元和6年(1620)のこと。
いろいろなことが全く史実に反しています。きっと、天正10~11年にかけて龍山が滞在した折のことが、その他の諸々と混同して伝えられてきたのではないかと推察します。
近衛龍山が滞在していた亭の跡地だという、松永蝸堂の句碑(中央)
龍禅寺の梵鐘
文化11年(1814)の鋳造。第2次大戦時に供出されましたが、戦後、無事に還元されたそうです。
天正11年(1583)6月2日、龍山はここ龍禅寺で織田信長の一周忌追善供養を執り行い、南無阿弥陀仏[な・む・あ・み・だ(た)・ぶ(ふ)]の六字名号を冠した追善の歌を詠んだと云います。
彼は5年後の天正16年(1588)、京の報恩寺に奉納された織田信長肖像画の賛にも、同様の歌を詠んでいます。
徳川家康の取り成しもあって天正11年9月、龍山はおよそ10か月ぶりの帰京を果たしました。
※参考図書
「流浪の戦国貴族 近衛前久」谷口研語(中公新書)
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