« 近衛龍山(前久)の浜松下向 | トップページ | 畑の衣替え(家庭菜園2022 ⑦) »

2022年8月11日 (木)

岩津城、他

20220807b01
前記事でご紹介した満性寺を辞した後は、岡崎城をぶらぶら散策して、、、

20220807b02
9年ぶりとなる大樹寺へ移動し、松平氏歴代や徳川将軍14代のご位牌を拝観、松平氏歴代の墓所も参拝しました。

20220807b03
岡崎公園の「三河武士のやかた家康館」に展示されていた書状などでその名をよく見かけたので、滝山寺にも足を延ばしました。

20220807b04
滝山東照宮

滝山寺宝物殿では、源頼朝の歯と遺髪(顎鬚?)を胎内に納めたと云う聖観音菩薩立像も拝観いたしました。

20220807b05
旅の最後は、三河松平氏の嫡流・岩津松平氏ゆかりの岩津城へ。

20220807b06
主郭へと続く土橋。

20220807b07
主郭下の横堀。

20220807b08
主郭

20220807b09
主郭の一段下、腰郭状の平場に残る枡形。

20220807b10
主郭の土塁上に建つ城址碑。

20220807b11
主郭土塁上から土橋方向。

20220807b12
主郭側から、土橋越しに馬出方向。

20220807b13
櫓台

20220807b14
櫓台上から、馬出の土塁を見下ろす。

岩津松平氏は松平氏2代・泰親を祖とします。
3代・信光の頃までは勢力を張っていたものの、次代に及んで駿河今川氏の侵攻を受けて岩津城は落城し、岩津松平氏も衰退します。
その結果、安城に分立していた親忠の安城松平氏が惣領化したため、親忠を松平氏宗家の4代として、後の徳川家康へと繋がっていきます。
いずれも大樹寺に納められたご位牌や、歴代墓所にその名が見えます。

なお、岩津城には天正12年(1584)の小牧長久手合戦の際、徳川家康による改修の手が入っているそうです。

|

« 近衛龍山(前久)の浜松下向 | トップページ | 畑の衣替え(家庭菜園2022 ⑦) »

お城、史跡巡り 東海」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 近衛龍山(前久)の浜松下向 | トップページ | 畑の衣替え(家庭菜園2022 ⑦) »