島津家久が信長を目撃した場所とは?
天正3年(1575)2月、「島津四兄弟」の一人としても名高い島津家久は薩摩を出発し、伊勢神宮参拝を主な目的とした半年近くに及ぶ旅に出ました。
彼はその道中を、「中務大輔家久公御上京日記」「中書家久公御上京日記」「家久君上京日記」などと呼ばれる日記に事細かく残しているのですが、その4月21日の条は次のようになっています。
廿一日、紹巴へ立入候、やかて心前の亭をかされ宿と定候、さて織田の上総殿、おさかの陣をひかせられ候を心前同心ニて見物、下京より上京のことく、馬まハりの衆打烈、正国寺の宿へつかせられ候、(~中略~)上総殿支度皮衣也、眠候てとをられ候、十七ヶ國の人数にて有し間、何万騎ともはかりかたきよし申候、
京に入った家久は連歌師の里村紹巴を訪ね、その弟子である心前の居宅を宿として提供されました。
そして織田信長が大坂から帰陣するというので、心前と連れ立って見物に向かい、実際に信長を目撃しています。
果たして彼が信長を目撃した場所とは何処であったのか・・・俄かに気になり、ちょっと検討を加えてみました。
紹巴の弟子である心前は後に、明智光秀の発句「時は今~」で有名な愛宕百韻にも、師の紹巴や兄弟弟子の昌叱と共に名を連ねています。
その居宅の所在地は不明ですが、師である紹巴屋敷の隣にあったとの説もあるようなので、下長者町通沿いに所在する紹巴町の付近一帯と推定しました。
そして信長の軍勢は下京から上京へと進んだ後、相国寺に達しています。
このことから、信長の軍勢が通行したルートについては、下京と上京を結んでいた室町通を真っ直ぐに北上してきたものと想定しました。
とすると家久が信長の軍勢を見物したのは、現在の紹巴町から下長者町通を東へ進み、室町通と交差する・・・
こちらの写真の辺りではなかったかと思うのですが、いかがでしょうか。
写真手前から伸びる道が下長者町通で、左右に交錯するのが室町通です。
相国寺がある北の方角へと続く室町通。
家久が目撃した信長は皮の衣を着し、(馬上で)居眠りをしながら通っていったと云います。
なんだか信長の人間臭い一面が垣間見えて、個人的にはとても好きなエピソードの一つです。
家久は同月28日にも、美濃へ帰国する信長の軍勢を見物しています。
※「信長公記」では、信長の離京は27日。
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