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2022年12月 8日 (木)

勝間田城

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静岡県牧之原市の勝間田城
鎌倉時代からの名族・勝間田氏による築城と伝わります。
twitterなどに度々アップされる写真を目にし、ずっと訪れてみたかったお城の一つです。

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北麓の駐車場に愛車を置き、茶畑の合間を縫うように細い道を5~6分ほど登っていきます。

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最初に出くわす出曲輪は茶畑に。

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出曲輪の辺りから見える、三の曲輪東の連続堀切a

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広大な三の曲輪。

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三の曲輪から出曲輪(奥の茶畑)方向。
足元には土塁が廻らされ、横堀のようになっています。

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先ほど見たaの連続堀切。

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三の曲輪から二の曲輪方向。

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二の曲輪。

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bの大堀切。

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大堀切はそのまま、自然地形の深い谷に落ちています。
右は東尾根曲輪の切岸。

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東尾根曲輪。

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東尾根曲輪から見渡す二の曲輪~三の曲輪方向。
右奥には薄っすらと富士山も見えています。

勝間田城は、文明8年(1476)に今川義忠に攻められて落城し、廃城になったと云います。
しかし、特に広大な造りとなっている二・三の曲輪などは、後代の増築・改修の手が入っているものとも考えられています。

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東尾根曲輪先の連続堀切c
曲輪上からは2~3本くらいしか目に入りませんが、少し先へ進むと・・・

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この通り。

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続いては、あちらの本曲輪へ向かいます。

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北尾根曲輪。

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本曲輪。
一部ですが、高い土塁も残ります。

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本曲輪と南曲輪の間部分。
図面ではそう描かれていませんが、こちらも堀切でしょう。

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南曲輪。

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南曲輪の先の堀切d

整備も行き届き、駐車場やお手洗いも完備されて、見学者にとても親切なお城でした。

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