守谷城
築城時期など詳細は不明ですが、鎌倉幕府草創期に活躍した御家人・千葉常胤の二男にあたる師常を始祖とする、(下総)相馬氏による築城と考えられています。
(これから見ていく各曲輪の名称は、上の想定図に拠っていきます)
今回、私が守谷城を訪れるきっかけになったのは、その遺構の評判も然ることながら、戊辰戦争に関するある史料を読み込んでいる際に次の一節が目に留まったからなのです。
(慶応4年=1868年4月)十三日快晴小金宿出立行程五里同国布施宿旅泊此近傍ニ昔シ平親王相馬将門ノ築シ古城ノ跡有リ里人内裏カ原ト唱ス草芒々トシテ外堀ハ深シ
塩谷敏郎「戊辰ノ変夢之桟奥羽日記」
筆者の塩谷敏郎は旧幕府脱走陸軍の兵士で、慶応4年4月13日は小金宿を発って布施宿まで進んだと記していますので、秋月登之助や土方歳三らが率いた旧幕府軍の前軍に所属していたことがわかります。
→参照記事
守谷城大手門跡付近に建つ、平将門城址碑。
布施宿の近傍にある平将門ゆかりの古城とは即ち、この守谷城とみて間違いないかと思います。
守谷城自体は将門が築いた城という訳ではないでしょうし、内裏カ原という地名についても不明なのですが、おそらくは相馬氏の祖とされ、「新皇」を称した将門が拠点を置き、坂東独立国王城の地としたとの伝承に因んだ城址碑であり、「内裏」を冠した地名だったのでしょう。
守谷将門詩歌碑
守谷の地で詠まれた、将門に関する詩や歌が刻まれています。
今は駐車場やトイレが置かれている馬出曲輪の辺りから、主郭部(右)と清光曲輪の間の内海。
塩谷が記した外堀が具体的にどこを指すのかは不明ですが、どことなく彷彿とさせるものを感じませんか?
布施宿から食料などの物資調達のために守谷まで足を延ばしたのか…150年余り前の人と同じ城跡見物を共有できることに嬉しさを感じます。
御馬家台(左)と二の曲輪間の堀切。
いきなりのこのスケール感に圧倒されました。
御馬家台
御馬家台の枡形虎口。
写真左から来て左に折れ、その先で右に折って馬出曲輪へと続く様子がよくわかります。
御馬家台から、堀切越しに二の曲輪。
二の曲輪の方が一段高くなっています。
広大な二の曲輪。
周囲には高い土塁が廻らされています。
二の曲輪から御馬家台へと続く枡形虎口。
虎口の先は堀切で遮断されていますので、想定図の通り、ここには橋が架けられていたのでしょう。
対岸が御馬家台です。
二の曲輪から一の曲輪方向に伸びる土橋。
土橋の先には一の曲輪も見えています・・・が、
土橋を渡り切ってみて驚かされました。
土橋の先は一の曲輪との間に築かれた細長い曲輪(楯形曲輪)になっており、一の曲輪との間を更に堀切で遮断していますので、あたかも二重堀切のようになっていました。
土橋を渡る前は2本目の堀切が見えていなかったので、すっかり騙され(?)ました(笑)
楯形曲輪(右)と一の曲輪間の堀切。
ここからは障子堀の痕跡が検出しているようです。
守谷城は永禄年間後期には後北条氏の勢力下にあり、こうした障子堀や楯形曲輪のような構造に、その手による改修のニオイを感じます。
不自然なまでに真っ平な一の曲輪。
想定図ではここを本丸としていましたが、土塁も虎口も見当たりません。
おまけに、一の曲輪から楯形曲輪を見ると御覧の通り。
明らかに、本丸とされる一の曲輪の方が低くなっています。
ところがこれ、よくよく案内板を読んでみると理由がわかりました。
この一の曲輪は後世の土取りの影響で、従来より地表面が6mも下がってしまっているようなのです。
土塁など、城としての造作が全く見受けられないことも、それならば納得です。
こちらは、一の曲輪の先(横?)にある妙見曲輪。
平将門や、将門を祖とする千葉氏や相馬氏が信仰した妙見菩薩に由来があるようです。
妙見曲輪からの眺め。
前出の塩谷の日記には、引用した箇所の「~外堀ハ深シ」に続いて;
又池沼多シ故ニ鯉鮒ノ類ヒ多猟ス
とあります。
かつて城の周囲に広がっていたであろう、池や沼地を彷彿とさせるような光景でした。
最後に南西に位置する外郭部へ移動して、大手門跡付近(守谷小学校の西端部辺り)に残る土塁らしき痕跡。
右に写っているのが、冒頭でご紹介した平将門城址碑です。
こうした段差も、城塁の痕跡ではないかと思います。
道路を挟んだ反対側には、茨城百景守谷城址の碑。
その脇にも・・・
土塁跡のような痕跡が見受けられました。
これらは上の図面で、★印をつけた箇所に該当するかと思います。
冷たい風が吹き荒び、寒くて大変でしたが、想像していた以上の見事な遺構の連続で、とてもエキサイティングな城攻めになりました。
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