久野城
袋井市の久野城。
明応年間(1492~1501)、今川家臣・久野氏による築城と伝わります。
今川氏の没落後、久野氏は徳川氏に従いました。
駐車場から上がると、最初に出くわす北下段。
北面の大土塁と横堀。
北面の横堀から見上げる、本丸東側の1の堀切。
続いて三の丸へ。
一段高い部分が三の丸です。
三の丸下段方向。
二の丸。うっすらと土塁も残っています。
二の丸の先に続く高見方向。
高見から見上げる主郭部。
二の丸から本丸への虎口。
脇には井戸も。
本丸
大手口に残る隅櫓跡・・・小さ過ぎないですか?
立哨台くらいしか乗らなそうな・・・(;・∀・)
久野城大手口。
元亀3年(1572)10月、遠江へ侵攻した武田軍は久野城にも攻め寄せました。
城主・久野宗能は頑強に抵抗し、徳川家康も久野城を始め、遠江に残る徳川方諸城(掛川城など)への後詰のため、3,000余りの兵を率いて浜松城を出陣します。
見付(磐田)に着陣した家康が派遣した物見隊と、武田軍との間で勃発したのが木原畷・三箇野・一言坂などでの各合戦です。
戦いは数に勝る武田軍の優勢で進められ、徳川本隊も否応なしに浜松方面へ追い立てられていきます。
後詰もなく敵中に孤立しながらも、武田本軍が徳川軍を追跡して見付方面へ向かったこともあり、久野城はなんとか持ち堪えました。
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