岩倉具視幽棲旧宅
前記事で訪れた妙満寺から更に北へ、20分ほど歩いた先にある岩倉具視幽棲旧宅。
皇女和宮の降嫁、いわゆる公武一和を推進して反幕派の弾劾を受け、文久2年(1862)に朝廷を追われた岩倉具視が、元治元年(1864)に大工の居宅を購入し、復権を果たす慶応3年(1867)までの3年間を過ごした地です。
手前の式台玄関が岩倉の住まいであった主屋のもので、奥の土間への入口は使用人の住まいとして使用された附属屋のものです。
主屋内部。
ここで大久保利通らと、歴史を動かすことになる密談を重ねていたのですね。
庭に見えるのは、岩倉の手植えと伝わる松。
大正ガラスの淡い歪みが、いい雰囲気を醸し出しています。
部屋の四隅には、蚊帳を吊るしていた金具も。
主屋から附属屋方向。
附属屋の方が元の大工居宅で、主屋は岩倉が購入した後に増築されました。
岩倉具視遺髪碑(岩倉村瘞髪碑)
岩倉の遺品や資料を展示、収集する目的で昭和3年に建てられた対岳文庫もサクッと見学。
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