大徳寺、妙心寺の特別拝観(第57回 京の冬の旅)
「京の冬の旅」で初公開されている三玄院参拝の為、大徳寺へやってきました。
案内板にある他の2院にもお参りします。
まずは三玄院から。
石田三成や浅野幸長、森忠政らが創建した大徳寺塔頭の一つ。
枯山水の昨雲庭を愛でつつ、八方にらみの虎や、一間毎に春夏秋冬を描きわけた襖絵の数々、三成や近衛信尹らの御位牌、古田織部による八窓の茶室・篁庵(外観のみ)などを拝観させていただきました。
今を逃すと次はいつ機会を得られるかわからない、貴重な時間を過ごさせていただきました。
続けて芳春院へ。
慶長13年(1608)、前田利家夫人の芳春院(まつ)が開創した大徳寺塔頭の一つ。
本堂に安置された芳春院の木像や、金閣・銀閣・飛雲閣と共に「京の四閣」と称される呑湖閣などを拝観しました。
呑湖閣は想像以上に存在感のある建物で、とても印象に残りました。
そして、10年ぶりの再訪となる総見院。
まずは本堂で、案内板に写真が載っている織田信長坐像、そして総見院では初公開となる信長の肖像画を拝観しました。
※総見院所蔵の肖像画は、2017年に大徳寺本坊で狩野永徳の筆による信長の肖像画を拝観した際、一緒に並べられていました。
→当時の記事
3つある茶室も見学。
信長の木像を運んできた輿。
加藤清正が船底石として船に積み込み、朝鮮から持ち帰ったと云う大石を囲いに用いた掘り抜き井戸。
井戸自体はもっと古くからあったようで、天正13年(1585)の大徳寺大茶会では、秀吉自らこの井戸の水で茶を点てたとも伝えられているようです。
いまだ現役の井戸で、石組みも綺麗に積まれています。
大石を運ぶ時にあけられたものか、鉤状の穴も確認できます。
可憐な姿で境内を飾っていたボケの花。
ボケを漢字で書くと「木瓜」・・・なるほどね♪
最後に織田家墓所へご挨拶して、総見院、及び大徳寺を辞します。
所変わって・・・
こちらは妙心寺の壽聖院。
石田三成が父・正継の菩提寺として創建しました。
庭は狩野永徳の設計とも伝わります。
瓢箪池は秀吉の馬標をモチーフとしているそうですが、植木に隠れて形はよく見えませんでした。
本堂では;
石田正継肖像画(複製)
石田三成や正継、その妻女らの御位牌
朝鮮出兵先からの石田三成書状
などを拝観しましたが、中でも印象に残ったのは、細川忠興が藪内匠頭正照の子息を召し抱える際に発給した目録で、日付の下にtada/uoqui
と彫られた小さな丸い朱印が捺されていました。
妻ガラシャが敬虔なキリスト教徒だった影響では、との説明でしたが、確かにラテン系っぽいスペルではありますね。
石田三成と一族の墓所。
その隣には、関ヶ原合戦後も壽聖院を支援した藪内匠頭正照のお墓も。
妙心寺では7年ぶりに玉鳳院にも再訪、狩野安信による襖絵や花園法皇玉座の間に据えられた徳川家康(東照大権現)の御位牌、織田信長・信忠、武田信玄・勝頼・信勝・信豊らの供養塔などを拝観しました。
この日はここまで、大徳寺と妙心寺で合わせて5つの塔頭を拝観しました。
拝観料だけでも4,000円・・・さすがにお財布も厳しくなってきましたので、これにて打ち止めです(;^_^A
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