« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »

2023年5月

2023年5月28日 (日)

安土城、他

20230521b01
安土駅前に建つ織田信長像。
ここから炎天下の中、徒歩で安土城跡へ向かいます。

20230521b02
安土城跡では「令和の大調査」と銘打ち、最長20年にも及ぶ発掘調査・整備事業が予定されています。
最終的な調査範囲は広範に渡るようですが、本年度(R5)中には早速、天主台周辺の調査・整備が始まる模様です。
その天主台周辺の整備後のイメージ図に少々不安を覚えたこともあり、景観が変わってしまわないうちにとの思いから、今回の訪問になりました。

20230521b03
黒金門
途中の遺構はすっ飛ばし、黒金門まで一気に駆け上がってきました。
ここから始まる主郭部を重点的に見ていきます。

20230521b04
二の丸へ上がる石段。

20230521b05
二の丸に祀られている織田信長廟。
門構えが新しくなっていました。

20230521b06
本丸への虎口部と、天主台西面石垣。

20230521b07
天主台南面石垣。

20230521b08
本丸

20230521b09
本丸礎石列

20230521b10
台所跡へと続く本丸東虎口。

20230521b11
本丸取付台を経由して天主台へ。

20230521b12
天主台の石段。

20230521b13
石段に用いられている切石状の笏谷石

(天正九年)七月十一日、越前より、柴田修理亮、黄鷹六連上せ、進上。並びに、切石数百、是れ又、進上申され候ひしなり。
(信長公記 巻十四「因幡国取鳥城取り詰めの事」より)

20230521b14
天主台

20230521b15
しっかりと、今の姿を目に焼き付けておきます。

20230521b16
天主台の発掘調査は主に、現在我々が目にすることのできない北側が中心になる模様です。

20230521b17
摠見寺跡から西の湖を望む。

20230521b18
三重塔と共に貴重な現存建築物、二王門。

20230521b19
下山後、引き続き徒歩にて安土城考古博物館へ。
令和五年度春季特別展「信長と家康 裏切る者・裏切らざる者」を拝観しました。

20230521b20
信長と家康(裏切らざる者)、そして「裏切る者」として松永久秀や明智光秀、浅井長政、荒木村重らの関係資料を中心とした内容でした。
最も印象に残っているのは;

天正元年11月29日付 佐久間信盛宛織田信長黒印状
→反旗を翻し抵抗を続けていた松永久秀を、多聞山城の明け渡しと人質の提出を条件に赦免することにした旨を伝える内容。

松永申分つらにくき子細と表現していますが、個人的な印象としては、そこにあるのは「怒り」というよりも;
憎ったらしくてアッタマ来るけど、しょーもない○○ジジィが多聞山城と孫を人質に差し出すって言うから許したることにした。なのでお前らもこれ以上、四の五の言わないでね重而被申ましく候)。
といった調子で、むしろ反旗を翻した者を赦すのを、他の家臣(この場合は佐久間信盛)に言い訳しているようなニュアンスにさえ感じました。
そして佐久間信盛って、本当に一言多い家臣だったのかも・・・(^m^)

日付は、コチラの記事でご紹介した妙覺寺での茶会の6日後。信長はこの年、12月2日に岐阜に到着するまで京に滞在しています(信長公記)ので、妙覺寺を発つ直前くらいのタイミングで発給された文書とみて間違いないでしょう。

20230521b21
考古博物館から駅までの道すがら。
今の季節ならではの、逆さ安土城。それにしても暑かったです。。。

| | コメント (0)

2023年5月27日 (土)

石山寺

旅の2日目はまず、石山寺へ向かいます。
京阪石山坂本線「石山寺」駅から歩くこと10分ほどで、、、

20230521a01
石山寺の東大門に到着。

20230521a02
石山寺も前日の南禅寺同様、何故かタイミングが合わなくて未訪のまま過ぎてきた地。
ようやく参拝叶いました。

20230521a03
天然記念物にも指定されている珪灰石越しに多宝塔。
まさに「石山」の名に相応しい景観。

20230521a04
本堂
永長元年(1096)の建立(一部は1602年の建て替え)で、国宝に指定されています。

20230521a05
紫式部が参籠し、「源氏物語」の着想を得たとも、起筆したとも伝えられる部屋。

20230521a06
案内板によると紫式部参籠の部屋は、「石山寺縁起絵巻」にも描かれているようです(⇒部分)。
藤原道長も参籠していたのですね。

20230521a07
紫式部供養塔

20230521a08
多宝塔
源頼朝による建立とも伝えられ、建久5年(1194)の銘を持つ現存最古の多宝塔で、こちらも国宝に指定されています。

20230521a09
その頼朝の供養塔(左)と伝わる、室町前期建立の宝篋印塔。
こちらは重要文化財指定。

20230521a10
芭蕉庵
たびたび義仲寺に滞在した松尾芭蕉は、程近い石山寺にも足を運んでいたようで、そんな彼に所縁のある茶室なのだそうです。

この後は湖東の安土へ向かいます。

| | コメント (0)

2023年5月26日 (金)

養源院、金地院、南禅寺、他

20230520ab01
三十三間堂のすぐ東隣り、養源院
淀が文禄3年(1594)に、父・浅井長政の菩提を弔うために創建しました。
一度焼失しますが元和7年(1621)、今度は二代将軍秀忠の正室となっていた妹の江により、伏見城の遺構を用いて再建されました。

養源院では;
・慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の前哨戦に於いて、伏見城で最期を遂げた鳥居元忠のものとも伝わる血天井
・杉戸に描かれた俵屋宗達筆の唐獅子、麒麟、白象などの障壁画
などを拝観いたしました。

養源院を辞した後は電車で移動、「蹴上」駅で下車して、、、

20230520ab02
ねじりまんぽを通り抜け、、、

20230520ab03
南禅寺塔頭、金地院へ。
応永年間(1394~1428)に開創され、家康のブレーンとしても活躍した以心崇伝により、慶長10年(1605)に南禅寺の塔頭として移されました。

20230520ab04
明智門
光秀が母の供養のため大徳寺に建立したものとのことで、明治になって金地院に移築されています。

20230520ab05
金地院東照宮
寛永5年(1628)の造営で、御神体の東照大権現坐像鳴龍の天井絵(狩野探幽筆)も公開されていました。

20230520ab06
方丈の鶴亀庭園
寛永9年(1632)、小堀遠州による作庭です。
全国に遠州作と伝わる庭園は数多くあれど、史料で確定できる確かなものとしては唯一なのだそうです。

右に鶴島、左に亀島、その間には平たい遥拝石。
遥拝石は方丈から奥に見える東照宮を遥拝する際の、祭壇的な意味を持たせて設置されたものだそうです。

20230520ab07
そして南禅寺へ。

20230520ab08
三門から見渡す南禅寺境内。

20230520ab09
琵琶湖疎水の水路橋、水路閣。

20230520ab10
京都にはもう何度もお邪魔しているのに、いつもスルーして未訪のままになっていた南禅寺。
今回、旅程に組み込めてよかったと思います。

この後は宿をとってある滋賀県大津市の石山駅へ。
ホテルの位置を確認するためグーグルマップを見ていたら、すぐ近くに今井兼平の墓所があることを知り、、、

20230520ab11
お参りに来ました。

今井兼平は源(木曽)義仲の腹心で、寿永3年(1184)1月21日、粟津の戦いで主君に殉じました。
元は墨黒谷という地にあったそうですが、寛文7年に膳所藩主・本多康将によって現在地に移されました。
今ではすっかり住宅地の一隅、といった風情です。

20230520ab12
さて、石山駅前の「東海道を旅する松尾芭蕉」像で、旅の初日は終了です。

| | コメント (0)

2023年5月25日 (木)

妙覺寺の特別拝観

20230520a01
今回の京都旅は地下鉄「鞍馬口」駅から徒歩7~8分、妙覺寺からスタート。

20230520a02
5月31日までの日程で行われている新緑特別拝観。
その一端の特別展示「京都妙覺寺における織田信長の茶会」を目当てに伺いました。

20230520a03
方丈、書院の間に置かれた展示品。

京での宿所として、妙覺寺を幾度となく利用していた織田信長
朝倉・浅井を滅ぼし、足利義昭を京から追放して間もない天正元年(1573)11月23日、彼はここ妙覺寺で茶会を開きました。
その席で供された初膳~三ノ膳までの本膳料理と引き物2種、菓子9種を加えた計五膳を、列席していた津田宗及が事細かく書き留めていた記録(津田宗及茶湯日記)を元に復元(レプリカ)したものを並べていました。
献立を見ていくと雉や雁、鶉に白鳥と、明らかに鷹狩の獲物と思しき食材も多く使われていました。


もう一つの目当て、妙覺寺が所蔵する弘治2年(1556)4月19日付の斎藤道三書状、いわゆる美濃国譲り状も本堂に展示されていました。

長良川で討死する前日、道三がその一子に宛てて;
美濃国は織田信長の存分に任せることにした。その譲り状を信長にも書き送った。
そなたはかねてからの約束通り、京の妙覺寺に入りなさい。
etc...
などと書き送った書状です。
実際、妙覺寺19世・日饒上人は道三の子息と伝えられています。

20230520a04
いつかは目にしたいと願っていた、あまりにも著名な文書。
誰にも気兼ねすることなく、一人静かにじっくりと拝観することができて感無量です。
※写真は本堂前の青もみじ

| | コメント (0)

« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »