原城
軍艦島クルーズを大満足のうちに終えた後は、名残を惜しむ間もなく長崎市街を離れ、一気に島原半島へ移動。
昼食休憩を挟んで最初に訪れたのは・・・
南島原市にある有馬キリシタン遺産記念館。
島原の乱や潜伏キリシタンの歴史などを簡単に学んでから・・・
島原の乱の舞台となった原城へ。
写真は原城の大手口。
原城は慶長期、有馬晴信によって築かれました。
元和2年(1616)、島原に入封した松倉重政が島原城を築いて居城としたため、原城は有馬氏の本城・日野江城と共に廃城となります。
寛永14~15年(1637~1638)に起きた島原の乱(島原・天草一揆)に於いて、一揆の拠点となりました。
巨大な空堀を思わせる、三ノ丸~二ノ丸間の谷部。
二ノ丸越しに有明海。
二ノ丸北西出丸。
対面には幕府から派遣された諸隊が布陣した丘陵地帯も眼前に見えており、まさに戦いの最前線となりました。
二ノ丸から本丸方向。
遥か彼方に湯島を望む。
一揆の首謀者たちが集まって談合し、天草四郎を総大将として決起することを決めた地でもあることから「談合島」とも呼ばれます。
本丸の北東面に転々と残る石垣。
本丸正門跡。
発掘で多数の人骨が出土しています。
立派な石垣が積まれています。
本丸正門から続く枡形虎口。
本丸櫓台の破城跡。
島原の乱終結後、原城は幕府の命で徹底的に破壊されたと云います。
また、この櫓台脇の石垣下からは、一揆勢の仮設小屋跡と思しき遺構も検出されています。
本丸門の枡形。礎石も見えています。
一揆の際、天草四郎が居を構えていたとも伝わる場所です。
本丸。
振り返ると、雲仙普賢岳の壮大な眺め。
本丸内、礼拝堂が建てられていたと伝わる辺り。
メダイや十字架などが出土しているそうです。
天草四郎の碑。
近くの民家の石垣に使われていたもので;
□保□年
天草四郎時□□
□二月廿八□母
と彫られているようです。
視線の先には湯島(談合島)。。。
池尻口門。
池尻口門から本丸正門方向へと続く石垣。
とても見応えのあるお城でした。
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