岡城 大分の旅⑤

旅の3日目は、豊後国分寺跡へ立ち寄った後、、、
竹田市の岡城跡へ!
駐車場から見上げるだけで、素晴らしい石垣が出迎えてくれます。
現在に残る石垣の数々は、16世紀末に入部した中川氏の手によります。
大手門跡から入城し、まずは本丸などが連なる主郭部方向へ進むことにします。
大手門への石段。
手すりのような、丸く加工された「かまぼこ石」が特徴的です。
ほぞ穴らしきものもありましたが、この上に塀のような構造物を建てるのであれば、基礎の石を丸く加工する意味が分からず・・・謎です。
石垣の美しさに心を奪われます。
大手門跡付近からの眺め。
1586(天正14)年の島津氏の侵攻の際、岡城は島津義弘率いる軍勢に攻められましたが耐え抜き、遂には義弘に城の攻略を諦めさせています。
この折、攻める島津軍は眼前に見えている山々に陣取っていたのだとか。
中川氏改修以前の大手門、となりますでしょうか、、、古大手門跡。
その先は、、、
堀切になっていました。
大手門跡を振り返る。
こちらは主郭部方向。
但見屋敷跡から民部屋敷、覚左衛門屋敷跡方向。
但見屋敷跡と城代屋敷・桜の馬場跡の中間付近に位置する虎口。
城代屋敷・桜の馬場跡で見かけた、通路状の不思議な遺構。
西中仕切跡付近から三の丸跡の石垣。
岡城の象徴的な光景の一つですね。
西中仕切跡
この先が三の丸。
三の丸から二ノ丸の石垣。
西中仕切越しに城代屋敷・桜の馬場跡方向。
石垣が崩れたのか、下の方にコンクリートで固めた箇所も見えます。
お城の排水システム。
本丸、三重櫓跡。
三重櫓跡から城代屋敷・桜の馬場、更には但見屋敷跡方向。
三重櫓跡から、城の登城口となる滑瀬橋跡を見下ろす。
こちらの絵図がわかりやすいですね。
同じく本丸にある金倉跡。
金倉跡から東中仕切跡を見下ろす。
片側に落とされた竪堀と、反対方向から伸びる石垣で通路を折り狭める・・・防衛意図がはっきりと見て取れる遺構です。
その反対側、東中仕切越に本丸方向を見た様子。
正面の石垣上が金倉跡。
二の丸
二の丸に建つ「荒城の月」の滝廉太郎像。
幼少期を竹田市で過ごしました。
二の丸から三の丸方向。
右手奥は覚左衛門屋敷跡。
清水門跡
城域の東端、下原門跡付近まで来ました。
この後は引き返し、覚左衛門屋敷跡方面を目指します。
民部屋敷跡下から覚左衛門屋敷跡。
埋門もありました。
覚左衛門屋敷跡。
覚左衛門家は藩主の姓を賜って中川を名乗っていますが、遡ると古田織部に繋がる家系なのだそうです。
奥に見える櫓台のような石垣の先には、結構規模の大きな堀切もあったのですが、、、
写真にすると、なんのこっちゃ!ですね…(;^_^A
覚左衛門屋敷跡から主郭部方向。
どこまでも石垣が連なる絶景です。
近戸門跡
岡城の搦手口とされていました。
門扉を開閉するための、石のレールも残っています。
(大手門跡にもありました)
是より内、たいまつともす事、くわえきせる、堅停止
実際に近戸門は一度、1765(明和2)年に消失しているそうです。
近戸門付近から西の方角。
正面の少し高くなっているところは騎牟礼城跡。
民部屋敷跡を経由して西の丸へ向かいます。
石垣のRがとても美しいです。
西の丸の櫓台のような石垣を遠望。
西の丸の石垣。
一番最初に駐車場から見上げた箇所です。
下からはわかりませんでしたが、先の方には堀切も見えています。
その堀切。
そして、スタート地点の大手門跡まで戻ってきました。
最後に滑瀬橋跡へ向かってみましたが、生い茂る藪のために断念。
かまぼこ石を乗せた石垣塀も見えているし、肉眼ではルートも薄ら確認できたのですが仕方ないですね。
城下町に出て、、、
銭湯(その前は塩蔵)だった建物を利用した食事処でお昼をいただき、竹田市をあとにしました。
この後は臼杵へ向かいます。
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