臼杵城 大分の旅⑥

豊後の大名、大友宗麟がその後半生の本拠とした臼杵城。
丹生島城とも呼ばれ、主郭は三方を海に囲まれた断崖の上に築かれていました。
大友氏の改易後は福原氏を経て太田氏が入城。
太田氏時代頃から近世城郭化されていったということです。
1600年の関ヶ原合戦後には美濃から稲葉氏が入城し、以降は江戸時代を通して稲葉氏の居城となりました。
現存する畳櫓。
大門櫓を通って二ノ丸へ。
二ノ丸
二ノ丸から南西方向。
往時は遠くに見えるお寺の辺りが波打ち際だったのではないでしょうか。
同じく南東方向。
見事な高低差。眼下の住宅地を脳内で海に変換し、往時の光景を想像してみたりしながら進みます。
大友宗麟のレリーフ。
1586(天正14)年、薩摩島津氏の侵攻に遭った宗麟は臼杵城に籠城し、このフランキ(佛狼機)砲も用いて凌いだと云います。
二ノ丸と本丸間の空堀、土橋。
手前(右)は武具櫓台。
空堀
空堀の底から。右は天守台。
本丸
本丸から臼杵湾を望む。
今では海もだいぶ遠くなっています。
臼杵城の搦手で船着き場にもなっていた卯寅口を見下ろす。
大友宗麟が建立したのが始まりと云う卯寅神社。
卯寅口門脇櫓。こちらも現存です。
下船した人々は、この石段から城へ上がっていたのでしょうか。
そのまま卯寅口から下城、城下町散策へ向かいます。
1600年創業の鑰屋可児醤油。
創業者の可児孫右衛門は藩主稲葉氏とともに美濃から移ってきました。
かの有名な可児才蔵(吉長。「笹の才蔵」)とも所縁があるのでしょうか。
二王座歴史の道の景観。
風情がありますね。
沖縄の辻々でよく見かける石敢當がなぜか臼杵に。
説明板に云われも書かれていましたが、要は盛んだった海上交易の過程で運ばれ、持ち込まれたものだったのでしょう。
これにて旅の3日目の行程も無事に終了。
大分駅前に戻った後は美味しい料理とお酒で、大分最後の夜を楽しみました。
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