葛尾城(北信濃の山城攻めオフ③)
北信濃の山城攻めオフ、荒砥城を挟んだ4城目は埴科郡坂城町と千曲市磯部に跨る葛尾城です。
まずは「坂木宿ふるさと歴史館」にて、葛尾城の縄張り図や登山ルートの情報などを収集。
同館には北国街道の宿場町だった坂木宿や、村上義清に関する関する資料などが展示されています。
写真は坂木宿本陣の表門。
登城(登山)前に、村上氏の居館跡へ。
現在の満泉寺を中心とした場所にあったとされる、村上氏の平時山麓居館跡。
満泉寺は天正年間、上杉氏配下で海津城将となっていた村上國清(義清の子)により村上氏の菩提寺として、その居館跡に創建されました。従って山号も「村上山」。
ちなみに、鐘楼と山門の間から見えている尾根のピーク辺りが葛尾城になります。比高で約400m・・・高過ぎ!!(;゚Д゚)
坂城神社の裏に位置する登山口。
葛尾城への登山ルートはいくつかあるようですが、我々は遊歩道を西へ進み、飯綱山を取り巻いて姫城跡との分岐点に出るルートを選択しました。
登山途中に撮影した1枚・・・正面に姫城跡。
葛尾城までは1時間以上の登山になったでしょうか・・・勾配もきつく、我々の体力にはあまりにも厳しい行程に、途中何度も心折れそうになりました。
無論、じっくりと写真を撮っている気持ちの余裕などあろう筈もなく、私のカメラロールにも登山途中の写真は全く残っていません…(-_-;)
という訳で、実際の城攻めとは裏腹に、本記事では唐突に葛尾城到達と相成ります(笑)
葛尾城縄張り図
三~二の郭。
山麓から白く見えていた山桜が満開です。
主郭
かの村上氏の居城とはいえ、広さは然程ありません。
本当に緊急時での使用しか想定していなかったことが窺えます。
主郭から、眼下を流れる千曲川と上田平方面の壮大な眺望。
本当によく登り切りました・・・もう二度と来ることはないでしょう(笑)
主郭裏、Aの堀切。
鷲尾城でも見られたような、土塁を挟む二重堀切になっていたようです。
ちなみに現地の縄張り図には「帯郭」との記載がありましたが、いずれを以て帯郭としているのかは、私にはわかりませんでした。
目に飛び込んできた瞬間、「ナニコレ・・・!?」と思わず絶句してしまった、角度も深さも強烈なインパクトの堀切B。
堀切Bの堀底から。
堀切Bを城外(北)側へ渡り、振り返った様子。
高低差がエグい(笑)
堀切Cも結構なエグさ(;^_^A
階段がついているので、その断面の切り立った様子がおわかりいただけるかと。
堀切Cを渡った先の尾根上に、2.5m×2m程に四角く積まれた石積みがありました。
これまで霞城や鷲尾城で見てきたものに比べると、少々積み方が雑なようにも感じますが。。。
ちょっと藪っていてわかりづらいですが、この先も堀切になっていたようなので櫓台、或いは堀切の対岸と高さを合わせる(尾根はこの先、五里ヶ峯に向かって登り勾配)ための橋台だったのでしょうか・・・?
いずれにせよ、ろくに確認もせずに現場を離れてしまった今となっては、これ以上検討する術もありません。
さて、これにて葛尾城攻めも終了です。
下山は安全を考慮し、登山時と同じルートを選択しました。
急勾配な長い長い下り坂を、ブレーキを掛けながらの下山はさすがに足に堪えました。
下山後は坂城神社へ、無事の報告と御礼のために参拝。
坂城神社には村上義清や武田信玄、同勝頼らによる社領寄進・安堵状が残されています(坂木大宮神社宛)。
(ふるさと歴史館に複製品が展示されていました)
これにて、全4城に渡る北信濃の山城攻めオフも無事に終了。
仲間とおしゃべりしながらの山城歩きは、久しく忘れていた楽しい時間でした。参加された4名の同行者に感謝♪