カテゴリー「お城、史跡巡り 甲信越」の13件の記事

2017年1月 6日 (金)

新府城~武田勝頼の終幕

2017年最初の城攻めは、山梨県韮崎市にある新府城です。

新府城図
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新府城は武田勝頼の命により、躑躅ヶ崎館(古府中)に替わる甲斐武田家の新たな本拠として築城されました。
東に塩川、西には釜無川が流れ、両河川の浸食により形成された七里岩の台地上に築かれています。

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江戸時代に描かれた新府城図
実際にめぐってみて分かったのですが、ほぼこの絵図通りの遺構がよく残っていました。
駐車場が城跡の北側にありましたので、そのまま北から順にまわっていきます。

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駐車場に城跡北面の、東西2本の出構に関する説明板があったので、まずはその出構から見ていきます。

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東出構
奥に小さく、西の出構も写っています。

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西出構

これら2本の出構、如何なる目的を持って築かれたものかがはっきりとせず、横堀の水量を調節するためのダム的なものではないか、との説もあるようです。
或いは、突出させた鉄砲陣地とも・・・。

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(城跡北面の)西堀
正面奥、七里岩の断崖の縁に築かれた土橋は、搦手の乾門に繋がります。

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乾門の枡形

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綺麗な枡形虎口です。

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枡形を抜けた先の曲輪。
城外側となる北面にのみ、しっかりとした土塁が残っていました。

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帯曲輪へと続く土橋
右側は七里岩の断崖へ向けて竪堀が落とされていました。

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土橋から落とされた竪堀

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それにしても見事な、七里岩の絶壁っぷり・・・
眼下を流れているのは釜無川です。

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帯曲輪から見る西出構

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帯曲輪
北面の東堀・西堀の内側に配されていますが、堀底道のようにも見えます。
二重の横堀としての側面もあったのかもしれません。

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同じく、帯曲輪からの東出構

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井戸跡

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二の丸虎口

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二の丸

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二の丸を抜けると、いよいよ本丸へ・・・

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新府城本丸

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本丸には、とても広い空間が広がっていました。

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本丸に建つ藤武神社
新府城築城の際、城の鎮守として勝頼が城内に勧請しました。
天正10年に城と共に焼失しますが、後に徳川家康の命により再興されています。

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武田勝頼霊社の石祠
地元の民によって祀られ、お新府さんと呼んで親しまれてきたと伝わっています。

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本丸には他に、長篠役陣歿将士墓小塚に・・・

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大塚もありました。
大塚・小塚の脇には、長篠合戦で戦死した諸将の墓標が並びます。

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本丸から見上げる西方の山々・・・きっと勝頼たちも目にしていた光景ですね。

続けて南側の遺構を見てまわります。

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西三の丸の虎口

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東・西三の丸の南へ回り込み、横堀状の遺構を眺めつつ進むと・・・

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いよいよ一番の見どころのお出ましです。

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大手(南)の枡形、そして・・・

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その平虎口の先には丸馬出

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丸馬出から南側の眺め
城域南面も“断崖”とまではいかないものの、結構な高低差がありました。

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丸馬出から振り返る枡形

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そして、新府城で最もポピュラー?な…丸馬出の三日月堀

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草も刈られ、とても見易くなっていました。

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一通り見てまわり、駐車場へ戻る道すがら城跡東側の地形も観察。
堰のようなものが設けられていた痕跡も見受けられますが・・・

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流れ込んでいた沢の幅を掘り広げ、外堀として見立てていたのではないかと思います。

新府城…遺構の保存状態も良く、とても見応えのあるお城でした。
ただ、七里岩の断崖を利用しているとはいえ、構造そのものは特別戦う城という印象は受けませんでした
城跡だけで比較すると、躑躅ヶ崎館からあえて移転する必要性も認められません。釜無川と塩川に挟まれた台地に地勢・地形的な要害性を求め、首都機能をそっくり移そうとした・・・といったところでしょうか。
新首都(まさに新府中)の完成を見るには、移転着手(天正9年)から織田軍の侵攻(天正10年)まで、あまりに時間が少なすぎたか・・・。

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塩川の対岸で見かけた、切り立った断崖。
周辺の地形を見るにつけ、勝頼にもっと時間があれば、果たしてどのような要塞都市が出来上がっていたのか・・・想像を膨らませずにはいられません。

天正10年3月、織田軍の侵攻を受けて家臣の離反も相次いだ武田勝頼は、新府城を捨て、小山田信茂の岩殿山城(大月市)を目指して落ちていきます。
しかし笹子峠に差し掛かったところで、今度はその信茂にも背かれ、やむなく北の天目山へ向かうことになりました。
天目山には、武田家13代・信満の菩提寺でもある栖雲寺があります。

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甲州市大和町田野の山間に建つ土屋惣藏片手切遺蹟の碑

天目山を目指し、険しい山中を逃れる勝頼一行でしたが、その動きは既に織田方に察知されており(信長公記)、捜索の末に田野の山中に潜伏しているところを捕捉されました。
織田勢に先回りされていることを悟った勝頼は田野の郷へと引き返します。

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最後まで勝頼に従った土屋惣藏昌恒は殿軍を引き受け、山中の険しい細道で蔦に掴まり、片手で迫る織田の将兵を次々と切り伏せ、日川の狭隘な渓谷に叩き落としていったと云います。

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今でこそ県道が舗装されていますが、大正期に撮影された写真でその険阻な様子が充分に見て取れます。

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日川は切り捨てられた織田兵の血で、三日間も赤く染まったとか・・・そのため、三日血川との呼称も伝えられています。

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片手切の碑から2㎞弱ほど麓側へ下ると、武田勝頼夫妻、嫡子・信勝らの最期の地となった景徳院(別名:田野寺)があります。
元々はお寺ではありませんでしたが、勝頼らの菩提を弔うため、武田家滅亡~本能寺の変の後、甲斐を領有した徳川家康によって創建されました。天正16年には諸伽藍も完成したようです。
この高台を利して最後の決戦に挑む心づもりだったのでしょうか。

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景徳院駐車場にあった北条夫人、及び侍女16人のレリーフ。
天正10年3月11日、北条夫人の侍女ら16名は日川の渕に身を投じ、夫人に殉じたと云います。

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レリーフ裏の日川の淵
侍女らの悲劇にちなみ、別名姫ヶ淵とも呼ばれています。
※(三日血川)とは既に書きましたが、土屋惣藏に斬られた織田兵の血で日川が三日間赤く染まった、というエピソードに由来します。

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境内に向かって斜面を登っていくと、没頭地蔵が祀られています。
一説には、首級を獲られた勝頼ら3人を憐れんだ田野の民が、その遺骸をこの場所に葬ったとも。

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武田勝頼(奥)と北条夫人(手前)の生害石

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北条夫人、享年19

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武田勝頼、享年37

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こちらは夫妻のものから少し離れていますが、武田信勝の生害石。享年16

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奥から北条夫人、武田勝頼、武田信勝のお墓。
安永4年(1775)に建立されました。3名の戒名などを記した経石も大量に見つかっているそうです。

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北条夫人の辞世歌碑

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景徳院山門
天正16年の建立以来、唯一の現存建築物です。

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本堂前の旗竪松
織田軍に追い詰められた武田勝頼は、この松の根元に武田家累代の家宝である御旗を立て、嫡子信勝に盾無鎧を着せてかん甲の礼(跡目継承)を行ったとされます。

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景徳院境内から眺める天目山

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最後は勝沼の大善寺へ。
新府城を落ち、現大月市の岩殿山城を目指す勝頼一行はその途次、ここ大善寺に立ち寄っています。

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大善寺薬師堂は、1286年建立の国宝。
勝頼らが逃れてきた時にも既に存在しており、或いは実際に泊った可能性もあるのでは?と考えると、何だか感慨深くもなってきます。
御本尊の葡萄薬師は来年(平成30年)10月1日~14日の御開帳(5年に1度)を待たねばなりませんが、薬師堂内は拝観できました。

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大善寺には信玄の従妹にあたる理慶尼(勝沼氏の出)という尼僧がいました。
勝頼らを迎えた理慶尼は一行を篤くもてなし、後にその顛末を記した「理慶尼記」(武田滅亡記とも)を残しています。

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理慶尼墓所

理慶尼のもてなしは勝頼らにとり、最後の安らぎのひと時になったかもしれませんね。

新府城本丸跡の勝頼霊社にせよ、景徳院の墓所にせよ、、、武田家が後世まで、甲斐の人々から慕われていたことを改めて実感した1日にもなりました。

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2015年9月13日 (日)

円光院、清運寺、etc...

ちょっとドライブがてら甲府まで行ってきました。
まず最初に訪れたのは、こちら・・・

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瑞巖山円光院

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武田信玄の正室・三条夫人の菩提寺で、寺名は彼女の法号;
圓光院殿梅宗い大禅定尼
に由来します。

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円光院には伊那の駒場で没した信玄が、馬場美濃守に命じて寄贈した;
刀八毘沙門天
勝軍地蔵尊

などが残されています。

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三条夫人墓所
元亀元年(1570)に50歳で亡くなり、当院で営まれた葬儀には国師快川紹喜も列席して;
五十年間轉法輪 涅槃先菊紫全身
三條娘燭霊山涙 愁殺西方一美人

という法語を残しています。
西方一美人・・・生前の人柄が偲ばれますね。

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円光院の近くには、武田信玄火葬塚も。
元亀4年(1573)4月12日に世を去った信玄は、円光院門前のここ土屋右衛門尉昌続の邸内で密かに荼毘に付され、遺命に従ってその死は3年の間秘されました。
そして3年後の天正4年4月、恵林寺から快川紹喜を招き、躑躅ヶ崎館で盛大に葬儀が執り行われますが、それから203年後の安永8年(1779)、甲府代官・中井清太夫が円光院門前のこの地を発掘したところ、
法性院機山信玄大居士 天正元年癸四月十ニ日薨
と銘が彫られた石棺が発見されたそうです。
このことから、喪が秘されて恵林寺に埋葬されるまでの3年の間は当地に密かに葬られ、恵林寺へ改葬後も分骨された(むしろ恵林寺の方が分骨?)のではないかと考えられているようです。
※なお現地説明板には、信玄の死から3年後に当地で荼毘に付されて恵林寺に埋葬されたかのように書かれていましたが、これは誤りでしょう。

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墓石は安永8年の発掘調査後に建立されました。
碑文は当時の円光院住職の手によります。

※信玄の没年について、発掘された石棺の銘や墓石の碑文、説明板も悉く「天正元年」となっていましたが、天正への改元は織田信長が足利義昭を追放した後の1573年旧暦7月なので、正確には元亀4年になります。

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お次はあちらへ・・・

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河尻塚
まるで金網に閉じ込められるかのような佇まい・・・

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織田家臣・河尻秀隆の首塚とも、屋敷跡とも伝えられているそうです。
天正10年3月、甲斐武田家攻めに功のあった河尻秀隆は、織田信長から武田家滅亡後の甲斐国を拝領しますが、それから僅か数ヶ月後に勃発した本能寺の変後の混乱に乗じて蜂起した武田旧臣らによる一揆に攻められ、敢えない最期を遂げます。
恨みからか逆さまに埋葬されたため、さかさ塚とも呼ばれているそうです。。。

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碑銘には;
河尻肥後守之霊碑
とありますが、彼の受領名は正しくは肥前守です。

お土地柄、武田贔屓はまぁ当たり前としても、河尻もまた、歴史の激動の中で命を落した人物の一人。せめて今後も大切に保存され、祀られていくことを願って止みません。


さて、この後は車で少し移動して・・・
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同じ甲府市内に建つ日蓮宗寺院、妙清山清運寺

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法華経信者でもあった加藤清正を祀る清正公堂
猫さんが番をしています♪

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一時期、清運寺参道に面して建っていた寿館に下宿していた太宰治が、婚約者の元に通う際に通っていたと云う参道と、当時はその参道に敷き詰められていた石畳。

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そして墓地には、北辰一刀流・千葉定吉(周作弟)の息女で、坂本龍馬の許嫁だったとも伝わる千葉さな子のお墓があります。

さな子は後年、家伝の灸で生計を立てていますが、その患者であった自由民権家の小田切謙明夫妻と懇意になります。
さな子の死後、その亡骸は谷中に埋葬されますが、無縁になることを憐れみ、小田切夫人によって清運寺の小田切家墓所に分骨されました。

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明治廿九年十月十五日逝
坂本龍馬室


・・・龍馬を想い続けたさな子の心を知る、小田切家の人が彫らせたのでしょう。
様々な想いが交錯する碑銘です。

さて、目的は達したので今回はこの辺で。

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2013年11月 3日 (日)

甲斐の城攻め④ 湯村山城&甲府城

(2日目のつづき)

午後は湯村山城へ。躑躅ヶ崎館の1kmほど西に位置します。

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登城口にて。
こちらは城域まで舗装された登山道が続き、比較的楽に登れます・・・私でも(笑)

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古墳。付近一帯に計7基もの古墳があるそうです。

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ところで湯村山城、こういった石積みがあったり、、、

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井戸跡もあったりしますが、曲輪がどうも分かり辛い。
位置関係からして躑躅ヶ崎館の西を守る出城、甲府盆地を一つのお城と見立てた場合、本丸(=躑躅ヶ崎館)を守る櫓のような役割を担っていた城なんでしょうね。

さて下山後、帰りの電車の時間が決まっているあむさんの為に大急ぎで甲府駅近くまで戻り、山梨県庁防災新館へ。

ここの地下にあるのが・・・
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甲府城の石垣展示室。
防災新館(山梨プラザ)建設に伴い、発掘調査を経て移築復元されました。

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おかしな感想だけど・・・石垣の石って、磨くとこんなに白くなるんだね(笑)

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このパネルの意味がよく分からなかったんだけど・・・まさかこれだけの石垣を全部壊して建てた訳でもあるまいし。
他の箇所の写真を用いて、「移築した石垣は、この高さに充当するよ」ってことかな?

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こういう図面は現在と過去が分かり易くていいね☆

ここであむさん、更に躑躅ヶ崎館に戻って忘れたスタンプを押しに行くkuroさん、kuroさんを送るえりさんともお別れ…(>_<)/~

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残ったなっちさん・nikkoさん・ロームさんと甲府城散策。

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実は8年ぶり…(^_^;)

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石垣の修復でもするのかな?

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真新しい鉄御門!

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本丸と天守台。
実は8年前に来た時は、ちょうど花火大会と重なって本丸周辺は立入禁止になっていた。。。

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なので、初めての天守台からの眺め♪
ある意味、慶応4年(1868)に近藤勇らが夢見た景色でもある?(^_^;)

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井戸

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どの時期に何の目的でそうしたのか・・・古い石垣を覆うように新しい石垣が積まれています。幅を広げて多聞櫓でも造りたかったのかな?

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すっかり暗くなった甲府城から。富士山も見えています。

ここで躑躅ヶ崎館から戻って来たkuroさんと再合流。代わりに電車で帰るなっちさんとはお別れ(T_T)/~

残ったメンバーで、駅ビルで食事。
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最後の最後でありついたB級グルメ「鳥もつ」♪

これにて今回のオフ会も終了。皆さんとお別れして一人、中央道で帰路へ。
談合坂を過ぎた直後から酷い渋滞にも遭いましたが、何とか無事に帰宅。。。

今回は台風情報に振り回され、初日の天候の悪さもあって予定の行程を消化できず、発起人のあむさんも消化不良だったことでしょう。。。
同じく遠い九州から来たkuroさん共々、また来てくださいねー☆

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甲斐の城攻め③ 要害山城(&要害山出城:熊城)

さ、2日目。前日とはうって変わって雲一つない快晴です☆

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2日目の集合場所もここ☆
朝陽が射して…神々しいですぞ、信玄殿w

要害山城は武田家の居館・躑躅ヶ崎館の詰城。北に2~3km程の場所に位置します。

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甲府駅からも車で10分程度。
早速登城します。

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つづら折れの山道を登ること10~15分。急な斜面に息も上がりがちですが、ようやく城域に到着。

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登城口から城域に入ると、いくつか細かい曲輪が複雑に連なり、ご覧の様な枡形虎口や、、、

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井戸などの遺構も残ります。

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道なき道を行く、「遺構あるある探検隊」(笑)
道と言うより、ただの斜面ですね(^_^;)

この後、とても大きな竪堀も直登しました。
そんなこんなで遺構を求めて登っていくうち、いよいよ本丸に迫ります。。。

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この虎口を抜けた先に・・・

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要害山城本丸。土塁が素敵ですねぇ…

永正17年(1520)、躑躅ヶ崎館やこの要害山城を築いたばかりの甲斐国主・武田信虎は、今川家臣・福島正成の侵攻を受け、正室の大井夫人を要害山城に避難させた上で福島勢を迎撃、見事に撃退します。
この折、大井夫人は避難先の要害山城で信虎の嫡男を出産します。つまり・・・

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ここ、要害山城の本丸こそ、武田信玄生誕の地と考えられるのです。

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こうして見ると、土塁が長方形の本丸を綺麗に縁取っているのが分かりますね♪

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本丸を東側に抜けてすぐの竪堀。
縄張図に石垣のような印が付けられていたので注意深く見てみると…!?

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堀底から・・・ほぉ~♪

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竪堀の切れっぷりも見事☆

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更に別の竪堀・・・堀底に下りて何を熱心に見ているのかと思ったら・・・

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こちらにも石積み☆
竪堀の起点の土留めの意味合いが強いのでしょうかね。

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歩を進めるほどに、またまたスケールの大きい竪堀…もうキリがないくらい(笑)

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木にしがみ付いて堀底を眺める・・・お猿さん?(*≧艸≦)

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引き続きまして、要害山の出城・熊城に移動中~☆

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まー初っ端から堀切の見事なこと!

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ほら、こっちも。
あそこにいるのはkuroさんかな?堀の深さがよく分かるでしょ♪

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大きな堀切を2本乗り越えると、サクッと本丸に到着。石積みも残っていますね。

しかし、熊城の本番はここから☆
縄張図に描かれた13本からなる畝状竪堀を求めて急斜面を転げ落ちた先に・・・

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畝状竪堀。写真だと厳しいなぁ~
左上から右下に向かって幾筋もの竪堀が下っている様子、分かります?…地表面が波打ってるでしょ。

まぁ、写真では感動は伝わり辛いですが、圧巻の一言!
まともに立っていられない程の急斜面を下らないといけないので大変な場所ですが、これは必見です☆

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これまた、どでかい竪堀を見つけてボーッと見入る探検隊の面々(笑)

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こっちも切れてるね!

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史跡境界線の石柱。
ここからは元来た道を引き返しました…が、既にバテバテの私は皆のペースに着いて行けず、一人遅れがち。限られた時間の中でご迷惑をお掛けしました m(_ _)m

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やっとの思いで下山した後はこちらの温泉宿、その名も「要害」でランチ。
・・・燕の巣(^_^;)

(そう言えば下山した直後、ちょうどバスで乗り付けた団体さんの一人に「山に登って来たんですか?…汚れているから」と声を掛けられました…(^_^;) 全身の汚れが城攻めの険しさを物語るww)

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まさか…現役?

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こんな景色のいいラウンジで頂くランチは・・・

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虹鱒の甘露煮定食♪

いや~それにしても疲れた!!(笑)

この後、ここでオフ会を離脱する寺さんを甲府駅で見送り、一行は次の目的地へ。。。

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甲斐の城攻めオフ② 雲峰寺・恵林寺

ほうとうで充分過ぎるほどお腹を満たされた後は塩山方面へ移動。。。

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雲峰寺へ・・・石段がステキ♪

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仁王門
ここまで車でかなり登ったので、霧が凄い…(^_^;)

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雲峰寺を訪れた一番の目的は、こちらで展示されている「御旗」!
武田家重代の家宝で日本最古の日ノ丸とも云われています。

武田家で軍議などを経て家中の重大事項が決定された時、当主が;
「御旗、楯無も御照覧あれ!」
と宣して誓う儀式で有名な、あの御旗です♪
さすがに生地はボロボロでしたが、感動です。。。

実はこの週末、「こくみん文化祭」の一環で、もう一つの家宝である「楯無鎧(小桜韋威鎧兜大袖付)」が所蔵する菅田天神社で公開される予定だった(なんと明治時代以来の一般公開)のですが、台風接近により拝観中止と発表されていました。
折角のチャンスだったのに残念ですが、せめてもう一方の御旗だけでも、ってことで雲峰寺に訪れた次第です。

※ところが後日、よく晴れた翌日曜日(27日)には「中止」という公式発表の変更も無しに“こっそり”公開されていたことを知りました。。。文化祭主催サイド・天神社いずれの問題か、はたまた相互の連絡不備かは知りませんが、次に機会が訪れるのかも知れない貴重なチャンスをみすみす逃すことになった側としては、大変に不愉快な思いを致しました!

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本堂(左)と庫裏(右)
手前の大きな木は品種は忘れてしまいましたが、樹齢800年の桜だそうです。信玄もここを訪れて愛でたのでしょうか・・・

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とても雰囲気のあるお寺で、御旗も拝観出来たので満足です☆

また少し移動して・・・

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恵林寺へ。
ここも人が少ない・・・(^_^;)

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三門

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「安禅必ずしも山水を須いず 心頭滅却すれば火自ら涼し」

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境内

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三重塔
ここの三重塔、雰囲気が好きなんだよね♪

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武田の花菱!

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枯山水

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信玄が出家する際、剃り落した髪を自ら胸部に塗り込めたとの伝承もある「武田不動尊」
・・・暗くてブレてますが(^_^;)

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武田信玄墓所
この先には徳川五代将軍・綱吉の側用人として有名な柳沢吉保の墓所もあるのですが、この日は雨天により立入禁止になっていました。

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庭園

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宝物館では武田信玄の愛刀「来国長」などの名刀も拝観しました♪

最後に皆でお団子を頂いて・・・
(一人、せっせと鴨に与えている人もいましたが…ww)

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甲府市内に戻り・・・

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閉館時間ギリギリ(本当は少し過ぎていたw)で山手御門に駆け込み☆

各々ホテルにチェックインした後は、甲府駅前のこちらで!
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風林火山はなの舞☆
共通の趣味を持った者同士、宴は楽しく過ぎていきます・・・

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〆はあむさん、寺さんとラーメン♪
あむさんが事前に見つけていた久留米ラーメンのお店で。
あむさんの九州センサー、ラーメンセンサー、、、さすが(笑)

こうしてオフ会初日の夜は楽しくも呆気なく過ぎていくのでした。。。

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甲斐の城攻めオフ① 躑躅ヶ崎館

10月26~27日は甲斐の城攻めオフ♪
台風27号と28号が同時に日本列島へ向かい、ちょうど週末に再接近しそう、でも「藤原の効果」でこの先の動きが読めない!っていうんで週初めからヤキモキさせられた一週間。
直前に軌道が逸れて直撃は免れ、九州から参戦のお二方の飛行機も無事に飛べることになったので何とか開催…ヤレヤレ(^_^;)

初日(26日)の早朝、私は自宅近くの駅でなっちさんを拾い、土砂降りの中央道を西へ。
元々渋滞を避けるために早めの出発にしていたことに加え、台風の動きに翻弄されてか、外出する人も少なかったと見えて至って順調なDRIVE。

甲府駅前での集合時間9時にはだいぶ早過ぎる到着になりそうだったので、ちょっと寄り道。

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カーナビに出ていた名前に惹かれて訪れてみた…山縣神社。
山縣昌景を祀った神社かと思いきや・・・その子孫で江戸時代中期の学者、山縣大弐を祀っていました。境内には大弐さんの墓所もあります。

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更に甲府駅北口にて。復元展示されている甲府城の石垣。

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図面でいうとこの辺り・・・(左下の「現在地」)

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山手御門と奥に…稲荷櫓かな?

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とまぁ、適当にブラブラしていたら時間になったので、集合場所の甲府駅南口へ。

最終的にオフ会参加者は8名。生憎の天候により、この日の山城攻めは断念して寺社中心の行程に。
まずは甲斐武田家の居館、躑躅ヶ崎館(武田神社)へ向かいます。

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武田神社に到着。時間が早いこともあるだろうけど・・・まさかここで無人の写真を撮れるとは!(^_^;)

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まずはお参りして・・・

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武田信玄も使った(であろう)井戸

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居館跡(神社境内)を囲む土塁も立派です。

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本来の大手口は東側のこちら。

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大手門東史跡公園。前回(6年前)来た時はただの原っぱだったよな~
武田氏以降の遺構が復元されています。実はこの更に下に・・・

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武田氏時代の三日月堀の遺構が眠っているらしいのです。

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上の説明板からすると、こんな感じかな。
三日月堀も観てみたいけど、それには地表面の遺構を壊さなきゃいけなくなるし…仕方ないね。

この後、宝物殿を見学し、、、

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再び拝殿に戻って、nikkoさんの取り計らいで全員中に上がらせて貰い、お祓いを受けて宮司さんのお話を聞かせて頂いたりしました。

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お次は西曲輪へ。
・・・いいねぇ☆

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西曲輪北側の枡形

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この枡形の先には、とっても素敵な土橋が♪

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ほら☆
高さがあり、エッジも効いていて最高(笑)

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外側から。土橋奥に枡形。

このまま外周を時計回りにグルッと回って・・・

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神社参道正面へ。
皆さん、あちらのお店でお土産物色中(笑)

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お昼は甲府駅前の「小作」さんで名物のほうとう♪
私のは辛口豚ほうとう☆キムチたっぷり。かぼちゃなどの野菜も大きくて凄いボリューム。正直言って完食するのに一苦労でした…(^_^;)

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2013年8月 3日 (土)

諏訪大社 下社春宮・秋宮

上社本宮から10km強北上、諏訪湖を迂回して・・・

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下社春宮に到着。

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下社のご神体は2月1日~7月いっぱいまで、こちらの春宮におわします。
私が訪れた7月29日はまさに秋宮へ遷座する直前!

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どうやら下社も「諏訪造り」の模様 (-人-)

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そのまま散歩がてら、万治の石仏へ向かいます。
雨・・・

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あちらの石碑、万治の石仏に惚れた?岡本太郎さんによる揮毫だそうですよ。

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万治の石仏の由緒と参拝法。
私も書かれてある通りにお参りさせていただきました(笑)

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万治の石仏
なんだか・・・不思議な迫力w

事前に調べた情報では秋宮の方は駐車場が少ないということだったので、1kmほどの距離を歩いて移動することにしました。

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歩き始めた時は気付いていなかったのですが、、、秋宮へと向かう道、旧中山道だったんですね♪

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そして、こんな案内板も・・・何、またしても信玄?!

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という訳で寄り道☆

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こちらが武田信玄ゆかりの「矢除石」

ある時、師事する天桂和尚の元を訪れて戦勝の教えを請う信玄。すると和尚は大きな石の上に立ち、「私を矢で射てみよ」という。早速試してみるも、矢は悉く石に弾かれて和尚には届かなかったとか。
和尚曰く「この石には矢除けの霊力がある」

そんな言い伝えがある石なのだそうです。

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中山道、五十五里目の一里塚石碑。

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素敵だ・・・♥

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歌人・今井邦子文学館。

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そして下諏訪宿の本陣。
折角なので見学したかったのですが・・・靴下までビッショリ濡れた状態では上がる訳にもいかず断念 orz

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下社秋宮の目の前は、中山道と甲州道中の合流地点。
合流した後、秋宮より西は中山道となります。つまり、ここが甲州道中の終点。

着いてから知ったのですが、秋宮にもちゃんと大きな駐車場はありました。けど結果的にとても素敵な街道筋を歩くことが出来たので、これはこれでラッキーでした☆

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という訳で、下社秋宮。

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拝殿。雨・・・

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上社に比べて明らかに下社の方が参拝客が多かったのは・・・建物が華やかだからでしょうか?

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諏訪ではまだ紫陽花が綺麗に咲いていました♪
紫陽花にはやはり、雨がよく似合う☆ ←強がり(笑)

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湯気がもうもうと立ち上り、湯呑も置いてあったので「飲める温泉」でも湧き出しているのかな。

これにて諏訪大社四社参拝巡りも終了~。
まだ時間も早かったので本当なら松本なり、小諸なりまで足を伸ばしてみたかったのですが・・・この天気だったので諦めて早めに撤収することにしました。

さぁて、来週(8/9~11)は博多~唐津ですよ!
(おしまい)

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諏訪大社 上社前宮・本宮

旅の2日目、諏訪で迎える朝は生憎の雨模様。結構な本降りでした…(^_^;)
でもこの日は諏訪大社にお参りするだけで時間には余裕があるし、平日(月曜)で空いているだろうからノンビリ行きます(^_^)/

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まずは上社前宮へ。
こちらは殆ど”観光地化”されておらず、早朝とあって人影も殆どありませんでした。
鳥居を潜って石段の先へ進むと・・・

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何故か一旦、公道?に出てしまいました。
この坂を少し登って正面に見える雑木林?のような場所に・・・

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上社前宮の御本殿がありました。
目の前を横切り、本殿を包み込むように左右に通っている細い道が「鎌倉街道」なのだそうです。

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鎌倉街道
いいなぁ~好きですね、こういう雰囲気♪
やはりいずれ、街道歩きにもトライしなくちゃ?!(^_^;)

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上社前宮の御本殿(-人-)

さて、再び車で5分ほど移動です。

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上社本宮に到着。

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この辺りから“曇った”写真が多くなってきますが…これは、降りしきる雨と湿気のせいです!
写真を1枚撮る度に拭いていたんですけどね・・・

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屋根の下を歩けるのはありがたい!(笑)

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なんとも荘厳な雰囲気。。。

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身も心も清めてから・・・

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お参りします。

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上社本宮は「諏訪造り」と呼ばれる、幣拝殿と片拝殿のみで御本殿を持たない独特な形式をしているのだそうです (-人-)
こちらで、御柱から作られた「御柱箸」を購入しました☆

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境内には土俵も。。。奉納相撲が行われるのでしょうか?

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さて、上社本宮の目の前に建つ法華禅寺にもお参りさせていただきます。

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本堂の裏手に回り・・・

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吉良義周の墓所。
「忠臣蔵」で有名な吉良上野介義央の孫であり、養子として吉良家の家督を継いだ人物。
(義央が米沢上杉家の姫を娶っていた関係から、世継ぎのいなかった上杉家へ義央の息子が養子入りして上杉綱憲となり、代わりに綱憲の息子=義央の孫が義央の養子となった)
赤穂浪士による討ち入りの際は義周も応戦したが顔と背中を切られて気絶。一命は取り留めたものの、事件後、幕府から対応「不届き」を咎められて改易され、諏訪の地に流されました。。。

思えば絵島といい、松平忠輝といい、この地方は配流地としてもよく使われたのですね。

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更に法華禅寺の境内で「信玄墓碑」という小さな案内板を見かけたので、そちらも探してみることにしました・・・が、とにかく場所がよく分からない!(笑)
少し山の方へ分け入って行くと神宮寺の跡地に出るのですが、しばらくその辺りでウロウロしてました・・・(^_^;)

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ちなみに神宮寺の古絵図。右側が上社本宮で、その門前一帯に様々な建物が建ち並んでいた様子が分かります。
これらも明治の廃仏毀釈の煽りを受けて消失。現在では各建物跡の碑が建つのみで、何故かパークゴルフ場になっていました・・・(^_^;)

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そして、ようやく訪ねあてた「信玄墓碑」・・・これ?!
説明板も錆びたり、文字が消えてしまっていたりして由来などは全く分かりませんでした。

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墓碑に刻まれた文字を読み取ろうと頑張ってみたのですが・・・無理!(笑)
この墓碑を探して雨降る山中を歩き回ること20分。お陰で靴の中までグショグショ・・・

ま、仕方ない。
気を取り直して下社へ移動します☆
(つづく)

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2013年8月 1日 (木)

諏訪高島城、他

(高遠城落城翌日の)三月三日、中将信忠卿、上の諏訪表に至つて、御馬を出だされ、所々御放火。
『信長公記』巻十五 「信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事」より(以下青文字同様)

という訳で私も信忠軍同様、高遠から愛車を駆って諏訪へ向かうことにします(笑)
現在は国道152号線となっている杖突街道を北上するのですが、この街道がまた素敵なこと!
長閑な山間の田園風景を駆け抜けつつ、杖突峠に至るまでの間にいくつかの集落を通り過ぎるのですが、これらの集落、そのどれもが昔ながらの宿場町の雰囲気を醸し出していました♪
中には格式高い式台玄関を備えた本陣の様な家屋が、当時のまま時の経過と共に朽ちるに任せた姿で残っている集落も見かけました。
車を停めるスペースが見当たらず、ゆっくり足を止めて楽しむことが出来なかったのがつくづく残念!(>_<)

間違いなく信忠の軍勢も、同じ道を辿って諏訪へ向かったのでしょうね。

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諏訪に到着~☆
市役所の駐車場でこんなのを発見。そっか、松平忠輝(徳川家康六男)はあちこちに配流された揚句、最後は諏訪で生涯を閉じたんだったね。。。90以上の長寿を全うしたことは意外と知られていない?

諏訪の池はづれに、高島とて、小城あり。是れへ楯籠り、拘え難く存知、当城も津田源三郎へ相渡し、罷り退く。

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諏訪市役所のすぐ隣が、その高島城祉。

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本丸庭園

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冠木門と隅櫓

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天守最上階、展望室から。諏訪湖(諏訪の池)がすぐそこに♪

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コンクリートで復興された天守は、よく見ると…う~んな感じですが…(^_^;)

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冠木橋と冠木門

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城址公園を出て街中散策。これは…外堀でしょ?
高島城は城址公園の周辺の街中にこそ、江戸期の名残の様な区画が残っていて、そちらの方が散歩していて楽しかった☆ww

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折角なので、諏訪湖畔にも。
・・・や、矢穴!?(笑)

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八重垣姫像

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「日本渚百選」・・・いろんな”百選”があったんだねぇ(^_^;)

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更に諏訪市博物館にも足を伸ばし・・・

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その向かいにあった物産館?でお土産を物色して、初日(7/28)の行程は終了。

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諏訪インター近くに取ったホテルがまた、お洒落なこと!(笑)
廊下はこんな感じだし・・・

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お部屋はこう・・・
(何故に2段ベッド?)

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お風呂だって(笑)

まぁでも、バイキング形式の朝食はビジネスホテルにしては美味しかったし、駐車場は無料だし、これで1泊5400円は納得のコストパフォーマンス!

2日目は諏訪大社巡りです♪
(つづく)

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2012年9月27日 (木)

2012年7月23日 川中島古戦場を巡る旅 2日目

この日も朝からよく晴れたいい天気。
朝8時にホテルをチェックアウトし、車は預けたまま片道約2kmの善光寺参道歩きから2日目をスタート。
この日は月曜ということもあり、善光寺境内は人もまばら。山門の中(上)や本堂の内陣(お戒壇巡りでは徹底的な暗闇に右往左往…)、資料館などたっぷり時間をかけて観て回った。
その後は少し車で南下、大河ドラマで度々ロケにも使われている(風林火山や江など)荒砥城跡⇒戸石城跡、更に戸石城跡の駐車場の看板で目にした長谷寺、上田城と駆け巡った。あとは写真で!
今回は車での旅だったこともあり、移動で時間を短縮できて想定以上に回ることが出来た。満足。2日間の走行距離は530kmくらいだったかな。

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2日目の朝。車をホテルの駐車場に残し、片道2kmの参道を散策。
善光寺仁王門

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そして山門

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山門の内部(上)から仁王門

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善光寺本堂

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本堂で内陣とお戒壇巡りをしてきた後は…

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善光寺史料館(忠霊殿)


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松代藩真田家の供養塔

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おっと、忘れるところだった・・・。帰りがけになってしまいましたが、
牛に引かれて善光寺参り~

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長野市街から車で移動すること約1時間、千曲市にある荒砥城!

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わお!・・・無論現存ではないが、中世山城の様子を復元しており、雰囲気はよく出ています。

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見張櫓から・・・凄い眺めだ!
千曲川の対岸、左手前の山が村上義清の居城・葛尾城。

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いくら月曜とは言え・・・独り占めしてていいのかな?w

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おぉぉ・・・

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大河ドラマ「風林火山」や「江」でもロケ地として使われた。
なんか、とても楽しくなる城跡♪

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お次は上田市まで南下し、武田信玄が村上義清に敗れた「戸石崩れ」や真田vs徳川の上田合戦でも舞台となった戸石城に登ります。
・・・いや、なめてるつもりはございませんが?(笑)

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いざ、登城スタート

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比較的緩やかな山道を進むと分かれ道が。
今回は戸石城(右)だけにします。この先が兎に角、勾配がキツイ!

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ロープ伝いに・・・

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道はまだまだ続く。。。
息切れで何度も立ち止まる。

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やっとの思いで辿り着いた戸石城、本丸(?)
上田市街が一望のもと!

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そうそう登る途中、大きなカモシカに遭遇した場所。
獣道のようになっている狭い平坦地からジーッとこちらを伺っていた。
目が合った時、一瞬クマかと思って息を呑んだ(^_^;)
すぐに逃げられたため、写真は撮れず。

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長谷寺
真田の郷の更に奥、よほど好きな人間でなければ近寄らなそうな場所に建つ。

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こちらには真田幸隆(中央)、昌幸(右)父子が眠る。
左は幸隆夫人

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周囲には真田家の家紋「六連銭」に並べられた1円玉・・・(笑)

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さて、旅の最後は上田城。4年ぶりの再訪。
この数日前、サマーウォーズが随分と盛り上がっていたので(笑)

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デカッ!

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尼ヶ淵から西櫓・・・2009年の年賀状にも使ったな、このアングル(笑)
それにしても昨日の松代、この日の戸石、長谷寺、上田城、、、おかしい。
今回は川中島を巡る旅だった筈が、いつの間にか大阪に引き続いての真田家縁の地を巡る旅になってる…(笑)

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いやぁ、今回は初の愛車一人旅。お陰で移動が楽で思っていた以上に見て回ることが出来た。あまり遠方は
しんどいけど、片道4~5時間程度なら充分いける。また考えよ♪

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