カテゴリー「お城、史跡巡り 北海道・東北」の14件の記事

2019年10月23日 (水)

志苔館 ― 箱館戦争めぐり⑨ ―

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旅の2日目は、函館朝市での贅沢な朝食に始まり・・・

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函館空港すぐ南の志苔館へ。
道南十二館の一つで、続日本百名城にも選定されています。

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コシャマインの戦いで亡くなった志苔館主和人御霊、及び阿伊努(アイヌ)御霊を祀る慰霊碑。

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志苔館図

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西側の二重堀越しに虎口。

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それにしても見事な二重堀です。

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二重堀の海側を見ると、直下に小さな港も。
周辺の海域にはごく浅い岩礁帯が広がっており、この港の辺りだけが船をつける水深を確保できているようでした。
この地に館が築かれた一因になっているのかもしれません。

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郭内から二重堀。
発掘調査の結果、二重堀の外側にも柵と門が築かれていたことが判明しています。

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広い郭内からは、複数の時代に跨る建物跡が見つかっています。
そのうち、初期のものと推定される建物遺構が展示されていました。
また、郭の周囲をグルッと土塁が廻っていますが、虎口のすぐ脇など、いくつか不自然な切れ目もあります。

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箱館戦争時、志苔館は旧幕府脱走軍(以下 旧幕府軍)の台場としても利用されたと考えられています。

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こうした土塁の切れ目は、旧幕府軍の手により砲座として改変された痕跡ではないでしょうか。

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最後にもう一度、綺麗な二重堀を目に焼き付けて志苔館に別れを告げます。

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この後は近くにあったトラピスチヌ修道院にも立ち寄り、次の行程へと移ります。

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2019年10月22日 (火)

丁サ、叶同館、他 ― 箱館戦争めぐり⑧ ―

史上最大級とも言われ、日本各地に甚大な被害をもたらした2019年の台風19号。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げますと共に、被害に遭われた方々へは1日も早い復旧を願いつつ、お見舞い申し上げます。

さて、その台風19号が迫りつつある10月11日からの3泊4日、北海道は函館へ5年越しの箱館戦争めぐりの旅へ出かけてきました。
2019年は、箱館戦争終結からちょうど150年の節目の年。「何がなんでも今年のうちに」との思いから、旅の実現に漕ぎ着けました。
※5年前の記事はコチラ(①~⑦まであります)。私の中で今回の旅は「5年前の続き」という位置づけでもあったので、記事のタイトルも⑧からスタートすることにしました)

初日は単独での自由行動。
のんびりと昼過ぎのフライトで函館へ向かい、まずは空港バスでホテル近くまで移動してチェックイン。週初めからかつて経験ないほどの腰痛に悩まされており、荷物を置いて身軽になってから市電で再出発。

まずは、明治元年(1868)12月に行われた入札によって旧幕府脱走軍(以下 旧幕府軍)の陸軍奉行並、裁判局頭取、及び箱館市中取締に就いた土方歳三が、箱館での宿所にしていたと云う丁サ跡地へ。
丁サとは箱館大町の商家、佐野専左衛門方(万屋)のことで、その紋が「丁」の字の中に「サ」としていたため「丁サ」と呼ばれました。

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丁サ跡の具体的な位置については諸説あるようですが、明治初期に作成された古地図によれば、市電も走る現在の道が大幅に付け替えられたものでない限り、この高田屋本店跡碑から通りを挟んだ向かい辺りではないかと思われます。

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土方が最後の日々を過ごしたであろう、丁サ跡。
新選組が屯所としていた称名寺(当時は弥生小学校付近)も近くにありました。

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お次は人気の観光スポット、八幡坂を少し上がって・・・

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会所町(現末広町)にあった写真師・田本研造の写真館跡。
田本は榎本武揚やJ.ブリュネ(元フランス軍事顧問団副団長。幕府瓦解後、箱館で旧幕府軍に加わる)ら旧幕府軍幹部の写真を撮影したことでも知られますが、彼がこの地に写真館を開業したのは箱館戦争が終結する明治2年(1869)のこと。
榎本らの雄姿を捉えた有名な写真が撮影されたのはここではなく・・・

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叶同館跡に建つ東本願寺函館別院。
写真向かって左の石碑に「史蹟 叶同館之阯」とあります。
旧幕府軍幹部らの依頼を受けた田本研造は、この地にあった叶同館の近くに露天の写場を開き、彼らを撮影したと云われています。

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東本願寺函館別院がこの地に移ってきたのは明治12年(1879)のことで、明治40年(1907)の大火で一度焼失し、大正4年(1915)に日本初の鉄筋コンクリート寺院として本堂を再建、現在に至ります。

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現在は境内になっている一画のどこか片隅で、こうして撮影していたのかもしれませんね。

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この後は、同行メンバーとの集合場所である函館山ロープウェイ山麓駅に向かいつつ・・・南部藩陣屋跡。
幕府の命で蝦夷地防衛の任にあたった南部藩が築いた陣屋跡です。
すぐ横の坂道は、南部藩の陣屋があったことから「南部坂」。

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合流後は函館観光のド定番、函館山からの夜景を堪能し・・・

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夜は、翌日からの旅の成功を祈念して乾杯☆
やっぱり函館に来たら、活イカは外せないですよね♪

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2018年10月11日 (木)

革籠原防塁跡

10月6~8日の3日間、家族と共に福島(会津~いわき)への旅に出かけてきました。

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初日、まずは白河ICで高速を下り、情報収集のため福島県立文化財センター白河館“まほろん”に立ち寄ってから・・・
(学芸員の方には親切に、いろいろと教えていただきました。ありがとうございました)

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まほろんのすぐ南側にある、革籠原防塁跡へ。

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遺構西側の、南北に伸びる土塁と堀。
写真は南側から北方向を見た様子で、この土塁と堀は奥の杉並木に沿って写真右方向(東)へ折れています。

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その東へ折れるポイント。
数年前にかなり大規模な伐採が行われたらしく、予め写真などで目にしていた姿からはすっかり様変わりしていました。
変に日当たりが良くなったために、かえって雑草が増えてしまったような・・・。

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東へと伸びる土塁と堀。
外側(左)にも堀らしき痕跡が浅く残っており、辛うじて二重に築かれていた名残を留めています。

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堀底から。

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東側から西の方角を振り返る。
この写真の方が、二重になっていた様子がわかり易いですね。伐採は残念ですが、なかなか見応えのある遺構であることは確かです。

二重に築かれた土塁の形状や堀幅が、向羽黒山城など上杉家が築いた他の城塁と合致する点が多いことから、これを慶長5年(1600)の徳川家康率いる会津征伐軍に備えた上杉家の防塁=革籠原防塁の跡としているようです。

しかし、江戸期の地誌類には「鍛冶屋敷」とも記されています。
そして私自身、残された遺構が少ないというのもありますが、周辺の地形を見渡して立地を考えた時に、なんだかスッキリしないものを感じました。

そして、これはまほろんで教えていただいたのですが・・・

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革籠原防塁跡から西(やや北西寄り)の方角には、石阿弥陀の一里塚があります。
周辺の発掘調査の結果、塚の間を中世~慶長期の奥州街道(奥州街道は江戸時代に入り、白河へ入封した丹羽氏によって付け替えられたと考えられるそうです)と推定される道が通っていたことが判明しています。
この道路遺構は、革籠原防塁跡とされている土塁や堀とほぼ平行するようにして通っていました。
一里塚付近からは中世の宿場町(芳野宿)の痕跡も出土していることから、この道路遺構が主要な幹線道路の一つであったことは確かです。
敵の進軍を止めるための防塁であるならば、むしろ街道と交錯していて然るべきではないでしょうか。

そもそも、上杉家が徳川家康率いる上方の軍勢を迎え撃つにあたり、白河を決戦の地と定め、「革籠原」に大防衛線を布いたとする説の根拠も、「東国太平記」や「白河口戦闘配備之図」といった江戸期に成立した軍記や、それを元に作成されたと考えられる図面に拠っているようで、実際には景勝や、兼続すらも白河には赴いていません。
無論、白河は上杉領への玄関口でもあり、重要な防衛拠点であったことに疑問の余地はありません。それなりに防衛拠点を構築してはいたでしょうが、長さ数kmにも及んだという防塁が本当に存在して、それもこの場所に築かれていたのかとなると、その根拠にはまだ疑問符がつくような気がします。

現時点でこの遺構を上杉家の築いた防塁跡と見るには、少々難があるのではないかと考えます。


さて、この後は下郷を経由して国道121号を北上しつつ、会津を目指すこととします。

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2017年6月21日 (水)

白河の関

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みちのくの玄関口・・・白河関跡

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古関蹟
の碑
白河の関は古代から陸奥への関門として知られてきましたが、江戸時代も後期になるまで、その位置を特定できていなかったようです。
それを調査・考証し、この地(福島県白河市旗宿関ノ森)を白河の関の跡地であると断定したのは、白河藩主で老中にもなる松平定信でした。
これは寛政12年(1800)に建てられた、考証の経緯を記した石碑です。

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説明板にある通り、源義経ゆかりの矢立の松碑。

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白河神社
源頼義、義家、頼朝、義経ら錚々たる面々の奉献を受け、元和元年(1615)には伊達政宗も社殿を奉納したとか・・・もう少し社殿もしっかり拝観しておくべきだったか…(^_^;)

実際に訪れるまでは白河の関跡といっても、こちらの白河神社が建っているだけだろうと思っていましたが、この本殿横(南)に凄い遺構が残っていました・・・。

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横堀に土橋、土橋の先には関所施設の跡地か・・・曲輪も。

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曲輪はかなりの広さで、北・東・南面には土塁もしっかり残っていました。

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曲輪北面の横堀

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北東隅のコーナー部分

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東面の横堀
この横堀を南へ進むと・・・

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南東隅は横矢が掛かり、出枡のようになっていました。

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出枡側から北向きに横堀を見る・・・美しい曲線。

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南側の虎口?
こちら側は土塁も切れ、形状が少し不明瞭でした。

しかし予想外に素晴らしい遺構を堪能させていただきました。
これはもう、中世の単郭城館跡・・・お城と呼んでも差し支えないでしょう。
発掘調査で周囲からは竪穴式住居跡も出土しており、縄文時代から古代、中世に至るまで幅広い年代に渡って利用されてきた痕跡の残る遺跡なのだとか・・・これからも大切に伝えていきたいですね。

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最後に、松尾芭蕉と曽良の像。
「奥の細道」といえば、白河の関・・・ですね。

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2014年11月 7日 (金)

桑折西山城、梁川城 - 福島に残る伊達の城

11月3日、福島の旅も最終日。
午前9時に福島駅近くで集合し、まず最初の目的地・桑折西山城へ向けて出発。

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途中、素敵な建物が目に入ってきたので寄り道…旧伊達郡役所
明治16年に建設された建物です。

更に旧伊達郡役所内に設置されていた観光案内マップで、ゆっきーがみつけてくれたので、、、

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旧奥州街道と旧羽州街道の追分♪

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たかが道、されど道、、、テンション上がるわぁ~(笑)


桑折西山城

図面
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桑折西山城は伊達政宗の曽祖父・伊達稙宗の居城
稙宗の三男・実元の越後上杉氏への入嗣問題を巡り、稙宗と嫡男・晴宗が家中を割って対立した天文の乱では、稙宗は一時、晴宗によってここ桑折西山城で幽閉されています。
(その後、家臣によって救出されている)

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大手門跡
この辺りまで、細くて未舗装ながら車で上がれる道があります・・・が、この日は前夜から未明にかけて降った雨のせいでぬかるみ、大変な思いをする羽目に・・・。
細い道の右側は切り立った斜面なのですが、地盤が緩んでいてそちらへ“のめって”いくような感触がするし、タイヤが空転して動かなくなるしで、、、登り切った時にはタイヤで跳ね上げた泥で、我が愛車は無残な姿に…(;´・ω・)
ま、無事でよかった。

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一部、発掘調査中の箇所もありました。
図面にはまだ郭として書き込まれていない位置(中舘と二ノ丸の間の窪地部分)ですが、柱穴などが検出されているようなので今後追加されるかもしれませんね。

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その発掘現場付近から見上げる中舘方向。
さすがに伊達家当主の居城だっただけのことはあり、かなり規模の大きな縄張です。

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中舘に残る外枡形・・・格好いい♪

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この枡形、外側にももう1本土塁が渡してあり、複雑な構造をしていました。

※この中舘には、熊のでーっかい「落し物」もありました…(;^ω^) 遭遇しなくて本当によかった。

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中舘と西舘の間の空堀。ここもいい☆

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西舘には石積みがあり、一瞬テンションが上がりましたが、どうやらこれは昭和の初め頃、この郭跡を畑として利用していた時期に積まれたものらしいのです。
ただ周辺には他にも石材がゴロゴロしており、写真部分も含めて往時にも実際に石が積まれていた可能性はあるとは思います。

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西舘の枡形虎口。
この虎口付近にも石材がたくさん転がっており、石積みの枡形だったものと思われます。

この虎口の先、郭を一段下ると、、、
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更にもう一つ、立派な枡形が!
枡形を連続させて組み合わせる堅牢な虎口、お見事☆

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二ノ丸へ移動し、本丸方面を見る。
兎に角このお城、郭がやたらに広い。

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二ノ丸と本丸の間の堀に架かるこれは土橋か、畝の一つか…?

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本丸に建つ石碑
桑折西山城、それほど期待してはいなかったのですが、なかなかどうして見事な城跡でした。

登りは散々に苦労した未舗装の山道も、帰りは何とか無事に下りられました…(;^ω^)

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次の目的地である梁川城へと移動する道中、とても綺麗な虹が見送りしてくれました♪
こんなに低い位置に架かる虹は、ちょっとお目にかかったことないなぁ~。虹に包まれるようにして見えているのは阿津賀志山です。
(写真提供:ゆっきー)


梁川城

福島県伊達市梁川町に残る梁川城は、伊達稙宗によってその居城が桑折西山城へと移されるまで、約300年間に渡って伊達氏の居城だったと考えられているお城です。
その後も政宗の初陣となった相馬氏との戦いでは伊達軍の拠点となり、また政宗の正室・愛姫輿入れの際には、花嫁の受け渡しがされたのも梁川城でした。

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城跡の中心部には学校などが建てられて遺構の多くが失われていますが、それでも北側の郭跡には今も立派な枡形の土塁が残っていました。

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この枡形の先には堀跡も。

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あちらにも土塁が。

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城域の最北端と推定される位置の堀。

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これも堀の跡ですね。

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街中とはいえ、よ~く見ていれば他にも随所に遺構が残っていました。

さて、これにて2泊3日に渡る今回の福島旅も終了です。
福島駅まで参加者の皆さんを送り、愛車と共に帰路へ。少し早目に解散したものの、宇都宮を過ぎた辺りから何度も渋滞にハマりました…。
行きは4時間だった道のりも、帰りは結局6時間…それでも無事に帰ってこれたので良しとしなくては!
参加者の皆さん、楽しい時間をありがとうございました☆ 我が愛車もお疲れさま♪

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2014年11月 6日 (木)

石母田城

11月2日、阿津賀志山防塁めぐりの合間に石母田城跡にも立ち寄りました。


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石母田城は伊達家の重臣・石母田氏の本拠だった館城で、伊達稙宗と晴宗が争った天文の乱では稙宗方の拠点にもなりました。

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からの方角を見た本郭の土塁。
奥で右に折れている様子も見て取れますが、結構な規模の遺構です。

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の堀は道路になっていました。

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本郭は果樹園に・・・

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こちらは写真では分かり辛いですが、図地点から本郭の外側を見た様子です。
右に藪の隙間から内堀が覗き、左側の藪の先は馬出のようになっていました。

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の空堀
町中に何気なく残るこうした遺構、結構好きです。

※本郭、及びその周辺は私有地となっており、我々は地元の方にお声掛けしてご厚意で見学させていただきました。
訪問の際は充分に地元の方への配慮をお願いします。

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阿津賀志山防塁

福島の旅、2日目。
いよいよ阿津賀志山防塁へ向かいます。

阿津賀志山防塁とは
文治5年(1189)の奥州合戦に於いて、平泉に本拠を置く藤原泰衡が異母兄の国衡を将として派遣し、源頼朝率いる鎌倉軍を迎え撃つために阿津賀志山(厚樫山)の中腹から山麓を経て阿武隈川(旧流域)に至る総延長3.2㎞に渡って築かせた防塁遺構です。
吾妻鏡にも「口五丈堀」と記録されています。


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既に800年以上もの月日が流れ、開発などによって失われている遺構も多いですが、赤・黄色のラインに沿ってそれは築かれていました。
今回はその中でも残存状態が良く、史跡指定されている赤ライン部分をめぐります。

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まずは阿津賀志山々頂の展望台から。
霞んでしまっていますが、遠くに阿武隈川が見えています。
防塁は写真中央辺りを縦に、阿武隈川付近まで築かれていました。

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この爪痕は・・・(;´・ω・)
まだあまり時間経っていないよね…周辺の木々にもたくさん痕跡があったし、展望台周辺は熊の縄張りになっているのかも…訪問する際は充分にご注意ください。

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阿津賀志山中腹、防塁開始地点から(図地点)
山麓に向けて真っ直ぐ下っています。

これを下から見上げると、、、
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地点から見上げた様子・・・凄い!!
某地図アプリの航空写真で確認すると、阿津賀志山の山中に残る防塁跡はハッキリと写っています。それほどの規模。
※この後は石母田城跡へ立ち寄ったのですが、それはまた別の記事でご紹介するとして、防塁レポを続けます。

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山を出て図地点にて。
真っ直ぐに伸びる土塁と空堀が綺麗に残っています。

ここから先、防塁は更に、、、
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平地部へ向けて真っ直ぐ駆け下っていきます。

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800年もの歳月を乗り越えた土の遺構…見事としか言いようのない姿です。
ちなみにこの防塁はその後、旧石母田村と旧大木戸村の境界線にもなっていました。

この付近には防塁の他にもいろいろな史跡が遺されています。

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石母田供養石塔
徳治3年(1308)に僧・智せんが先祖の追善供養のために建立した板碑で、梵字と功徳文が刻まれています。
銘文は元の帰化僧・寧一山の筆跡で、地元では俗に蒙古の碑とも呼ばれているそうです。

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奥州藤原氏といえば、この人も忘れてはならない…源義経腰掛松。
源氏再興を期して鞍馬寺を出た幼い義経は、金売り吉次同道のもと、藤原秀衡を頼るべく奥州平泉を目指しました。
その道中、腰を下ろして休息したとの逸話が残る松です。

文政4年(1823)、松に巣を作った蜂を駆除するために修験者が焚火をしたところ、その火が松に燃え移って枯らしてしまいました。
これを惜しんだ村人がよく似た赤松を植樹(二代目腰掛松)しましたが、こちらも平成25年に枯れてしまったそうです。現在はこの2代目から接ぎ穂した幼木が植えられています。

ちなみに、あの小屋に覆われている古木は初代のものになります。

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更には、旧奥州道中国見峠長坂跡・・・これまた凄い!

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奥羽地方の幹線道として、近世には仙台や盛岡、松前などの諸藩が参勤交代で江戸と国元を往復する際にも使用されました。
しかしいくら幹線道とはいえ、これほどの道幅を誇る峠の古道が存在しているとは・・・感動です。

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松尾芭蕉も「奥の細道」で;
路縦横に踏で伊達の大木戸をこす
と記しており、間違いなくこの道を通っています。
大木戸とは前出の(旧)大木戸村のことです。

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古道を少し登った先に経ヶ岡。
奥州合戦に頼朝の配下として参戦した御家人の伊佐為宗やその父・常陸入道念西が、自ら挙げた敵将の首を晒した場所。
この時の戦功により伊佐一族は伊達郡を賜り、為宗は元の領地である伊佐郡に戻りますが、念西は土着して伊達姓を名乗るようになりました。
これが奥州伊達氏の祖となります。

さて、引き続き防塁めぐりへ戻ります。

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の高橋地区にて
写真左隅にも土塁が通っており、二重の土塁が確認できました。

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阿津賀志山(正面)からずーっと伸びてきた防塁・・・この先もまだ続いていきます。

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最後に図の下二重堀地区へ。
この光景、早くもワクワクしてきますね☆

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こちらでは三重の堀が綺麗に残っていました。

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凄いよねぇ・・・

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きちんと整備されていて、とても見易いです♪

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阿津賀志山から延々と続いてきた防塁は、いよいよ終点に差し掛かります。
写真は微かに痕跡を留める堀の跡。この先で防塁は、、、

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阿武隈川(現在は滝川という支流)に到達します。写真右奥が滝川の堤。往時はここまでが阿武隈川の流域だったと思われます。
写真左、柿の木の奥に見える土盛りも土塁の一部ではないでしょうか。

阿津賀志山防塁、そのスケールと遺構の良好な残存状況にすっかり魅せられてしまいました。
しかもこれが、鎌倉時代も室町時代も、戦国、江戸、明治、、、と800年以上もの時を越えて、現代の私たちの前にその威容を誇っている遺構だなんて・・・信じられますか?
これほどの歴史遺産に出会えた奇跡に、ただただ感謝あるのみです♪

この後は福島駅前に戻り、阿津賀志山防塁の感動を共有したオフ会参加者たちと懇親会☆
最終日は福島に残る伊達の城めぐりへ♪…おっと、その前に石母田城跡も記事にしないと!

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2013年5月 6日 (月)

会津の旅⑧ 猪苗代城(亀ヶ城)

さぁ、旅の行程もいよいよ大詰めです。
土津神社参拝後は駅との間にある猪苗代城址(亀ヶ城址公園)まで歩きました。

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ちょうど桜の時期と重なったため、駐車場はほぼ満車状態。

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猪苗代城とはこんなお城。
一国一城令の例外として江戸期を通して会津藩から城番が置かれ、会津若松城(鶴ヶ城)の東の守備を固めました。藩祖を祀る土津神社を守護する役割もあったのかもしれません。
他に例外としては仙台藩の白石城が有名ですね。

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上の図の「角櫓」と書かれた辺りから北を見た様子。
今は小学校の校庭になっていますが、お堀だった名残がはっきり見て取れますね。

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実はあまり期待していなかったのですが猪苗代城、土塁の残存状況がとても良かったです☆

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綺麗に整備されているから見落としがちだけど、こんな遺構がもし仮に藪の中に残っていたら、、、鼻血ものでしょ?!(笑)

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本丸に残る石垣と土塁

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本丸から望む、桜越しの磐梯山♪

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この土塁も何気にツボ(笑)
写真だと分かり辛かったのでラインを引きました。
時間があればもっとじっくり、それこそ綺麗に整備されていて見易いので縄張図作成の練習をしながら歩くのにいいお城だと思いました。

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麓?には村役人層の山内家住宅(移築現存)
記録によると1800年代初期に建てられたものだそうです。

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さ、では駅に戻りますか!道すがら、振り返れば磐梯山☆

ゆっくりと歩いて30分程で猪苗代駅まで戻れました。
帰りの電車まで駅前の食堂でソースカツ丼を食しましたが…味は決して悪くないものの、店の態度がね(苦笑) ちょっと忙しくなっただけで料理作りたくなくなるんだったら、お店なんかやるなよ。
気分害したので紹介しない(笑)

さて、これで2泊3日に渡った会津一人旅も終了です。
15時30分過ぎの磐越西線で郡山まで出て、16時44分の新幹線に乗車。東京には18時17分に到着しました。

一人旅の時は割とツイートする方(誰か一緒の時は基本人任せw)で、今回もTL騒がしましたが、お付き合いくださりありがとうございました。一人で知らない土地、慣れない土地を旅している時にリプを貰えると、心強いものですよ☆

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会津の旅⑦ 土津神社

さて、早くも3日目です。
早く目が覚めてしまったので喜多方駅前をぶらりと散歩したり、朝食後に祖父母との談笑を楽しんだりして過ごし、午前10時に出発。じいちゃん、ばあちゃんには次に来る時まで元気でいて欲しい、願いはそれだけ。

会津若松を経由して向かった先は猪苗代。正午前には到着。

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猪苗代駅。ここからはタクシーを利用しました。

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そして遂にやって来ました、土津神社。
そう、激混み必至のGWにわざわざ旅に出る理由、それはこの日(5月5日)が私の誕生日だから。2年前は琵琶湖の竹生島、昨年は米沢、、、そして今年、福島を選択した理由がここ、土津神社だったのです。
御祭神は土津(はにつ)霊神。初代会津藩主にして天下の執政、保科正之公です。別に会津藩主だからというだけでなく、彼の政治家として残した数々のフェアで仁徳に満ちた業績、清廉潔白な振る舞い、etc...まさに天下太平の江戸時代にあるべき武家の姿、その理想を示した人柄に強烈に惹きつけられて以来、どうしても来たかった場所なのです。

徳川二代将軍・秀忠の庶子として生まれた保科正之公。その養育を任されたのは武田信玄の息女で、その妹が松姫。松姫自身も姉を助けて正之公の養育を手伝ったと云います。その関係で私が現在住む八王子とも縁を感じて、どうしても思い入れを強くしてしまいます。

今回は誕生日に念願叶っての拝謁です。

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拝殿。桜がとても綺麗でした。
来る時に乗ったタクシーの運転手によると、猪苗代辺りではこれからが桜のピークなのだそうです。若松周辺では殆ど終わりかけていたのに。割と近くなのに、随分と違うものですね。

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灯篭の足元に置かれていた砲弾の様なものが気になりましたが、詳しい所以は分かりません。

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建ち並ぶ末社。

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さぁ、それではこの道を辿って奥の院へ向かいます。。。

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暫くすると…、見えてきましたね。

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保科正之公が眠る奥の院。「奥津城門」(おくつきもん)というそうです。

拝殿でもそうしましたが、こちらでも勿論、真剣にお参り。伊勢神宮内宮にお参りした時以上だったかもしれない。

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やはり、表石(墓碑)と墳丘(鎮石)が順に並んでいます。
※院内御廟の記事参照。

そして碑石はずーっと下った先、拝殿の前にありました。勿論、亀形石に乗っています。

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脇からちょっと失礼して、墓碑と…

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鎮石が乗る墳丘。。。
とても厳粛な気持ちになって、言葉もありません。

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最大の目的を果たし、何とも言えない充足感に満たされました。

帰りに御札を買って神社をあとにしました。

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2012年9月26日 (水)

2012年5月5日 東北4県の旅3日目 Part2 米沢

奥羽本線各駅停車で揺られること約40分、向かった先はこの旅最後の目的地、米沢。ここでは回る場所が多いので駅のコインロッカーに荷物を預ける。…とここで少し催したので御手洗いへ。用を済まして戻ってみると、、、循環バスが行っちゃった!次のバスは・・・1時間後orz 仕方ないのでタクシーに乗り、目的地の中で一番奥にある「上杉家御廟所」から回ることにした。ここでのタクシーは想定外だったが、こういう時のタクシーって貴重な観光情報源。それはそれで旅の愉しみ。
結局米沢では;
→上杉家御廟所
→法音寺(上杉家菩提寺)
→林泉寺
→上杉博物館
→上杉神社(米沢城)
と全て徒歩で巡った。

史跡は勿論のこと、特筆すべきは博物館や上杉神社の宝物殿などの展示品の数々!
・洛中洛外図屏風(上杉博物館)
・謙信が第2次川中島の際に善光寺から持ち帰った善光寺如来尊(法音寺)
・春日山城の毘沙門堂に実際に祀られ、謙信の崇拝を受けた「泥足毘沙門天尊」(法音寺)
・「毘」や「龍」の軍旗
・謙信愛用の馬上杯や法性頭巾
・直江兼続の「愛」の前立て甲冑(以上、宝物殿)
etc..
もう凄過ぎて呆れ返るように笑ってしまった。米沢サイコー!本当に来て良かったよ。
最後は駅前の喫茶店で時間を潰し、駅弁「牛肉どまん中」他、土産物を購入して帰路に就く。
今回の旅は天候の悪さにテンションも落ちていたのだが、最後の最後に訪れた米沢で全てOK!終わりよければ全てよし!!(笑)
・・・今後しばらくは日帰りまでに留めます。次は9月。行先は・・・まだ内緒。

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この旅最後の目的地、米沢に到着!
いまやどこも、武将ゆるキャラは必須だね(笑)

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循環バスに置いて行かれたので(自業自得)、、、
タクシーに乗ってまずはこちら、上杉家御廟所

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歴代藩主の廟所がズラリと…

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直江兼続の主、上杉景勝廟所

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藩財政を立て直した上杉鷹山廟所

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整然と…そう、まるで「あのお方」の廟所をお守りするかの如く…

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そのお方、藩祖・上杉謙信の廟所。
整然と並ぶ歴代藩主の廟所の中央奥に祀られています。

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ここにかの謙信公が眠っているかと思うと・・・いや、表現すらできない。

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上杉家御廟所の門前には、同家の菩提寺・法音寺。
特に受付もなく、他の観光客は誰一人入って行かないのだが、表の看板には謙信公が実際に尊崇していたという毘沙門天像が置かれているとある。
どうしても見たくて普通のお宅の玄関の様な入口で呼び鈴を鳴らし、案内を乞う。すると快く招じ入れてくれ、たった一人の為に懇切丁寧にガイドまでして頂いた。
毘沙門天尊の他にも歴代藩主の御位牌やその他(本文参照)、貴重なものをゆっくり拝見。善光寺如来尊にお参りする際は正直に作法の不明を詫び、教えて頂いた。何もかもただ感謝・感激。勇気を出して訪れて本当に良かった。

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さて、次なる目的地へはタクシーの運ちゃんに教えてもらった裏道を
のんびり散策。それにしても一向に見えてこない時はさすがに少し焦った。

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法音寺から歩くこと約30分、林泉寺に到着。
ここには上杉家関係者や錚々たる家臣団のお墓があるが、最大のお目当ては…

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そう、こちらです。もうお分かりですね。

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直江兼続と妻、お船の方の墓所。
個人的に憧れる武将ベスト3の一人。念願が一つ叶いました。

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この方も有名ですね。甘粕景継の墓所。

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仙洞院の墓所。
上杉謙信の姉で、景勝の実母。

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景勝の正室、菊姫墓所。武田信玄の息女でもある。
先日、地元八王子で松姫(菊姫と姉妹)のお墓に行ってきたばかり。
何やら縁を感じる。他に武田信清の墓所などもある。
とっても離れ難いがそうもいかないので、次の場所へ。

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林泉寺からも徒歩。20分ほどで伝国の杜、上杉博物館に到着。
こちらでは何といっても「洛中洛外図屏風」!織田信長が謙信に贈ったという、
あまりにも有名なあの屏風が実際に見れるなんて・・・。

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そして上杉神社へ。米沢城址に建ちます。
さすがにここは凄い賑わい!

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3日目にしてようやく天気も良くなった!

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上杉謙信祀堂(御堂)跡。
江戸期を通して謙信の御遺骸が安置されていた場所。その傍らには善光寺如来尊と泥足毘沙門天尊も置かれていたという。。。廃藩後、御遺骸は御廟所へ移され、如来尊と毘沙門天尊は法音寺へ。

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上杉謙信銅像

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大河ドラマ「天地人」を記念して建てられたのかな?

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上杉神社本殿へ。参拝客で大渋滞~。

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上杉神社本殿。

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やっぱり明るくなると写真映えするなぁ

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甲府の武田神社もそうだけど、城攻めっていうより普通に参拝だねw

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稽照殿(上杉神社の宝物殿)
ここの展示品も凄過ぎ!完全にノックアウトされました!!
(有名な「愛」の兜もここにあります)

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ぼちぼち駅に引き返そうかと歩きだしたら、何やら賑やかな
音が聞こえてきた。何かと思ったら…武将隊!? 
なぜこの中に政宗?…あ、そっか。考えてみたら元々米沢出身だったね♪

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さすがに疲れたので、駅まではあの循環バスを使います。
一律200円。

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JR米沢駅。帰りの新幹線までは土産を買ったり、喫茶店でビール飲んだり。。。
「牛肉どまん中」も買って車内で頂きました♪ 米沢、本当に楽しかった。

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