カテゴリー「お城、史跡巡り 中国」の12件の記事

2018年4月24日 (火)

布勢天神山城

吉川経家の墓所で鳥取城包囲線めぐりオフは解散したものの、私は帰りのフライトまでまだ時間があったので、延長戦へ。

20180415b01
布勢天神山城全景
布勢天神山城は文正元年(1466)、山名勝豊による築城と伝えられ、山名豊国が天正元年(1573)に鳥取城へ移るまで、因幡守護山名氏の居城だったとされています。
(但し、勝豊は1466年には既に死去していたとの指摘もあり、築城時期・築城主についてはなお、慎重な検討が必要になりそうです)

20180415b02
主郭の切岸

20180415b03
主郭

20180415b04
主郭にあった井戸跡

20180415b05
堀切

20180415b06
天神山城から眺める湖山池
往時は湖山池から引き入れられた総延長2.6㎞にも及ぶ外堀が、天神山や布勢卯山、城下町をも包み込むようにして廻らされていたそうです。

20180415b07
さて、それでは東京へ帰ります。
今回の鳥取旅も、事前の想定以上の成果を得られて充実したものとなりました。

| | コメント (0)

鳥取城包囲線めぐり

鳥取旅2日目、いよいよ念願の鳥取城包囲線めぐりです。

2018041501
スタートはこちら。
芳心寺南東脇の尾根に取り付き、そのまま尾根上を北東方向へ進んでいきます。

2018041502
登り始めて10分も経たないうちに早速、一つ目の陣跡が見えてきました。
何やら切岸の上で小躍りしている人がいますが、あの切岸の上は、江戸時代の古絵図で仙石権兵衛秀久の陣跡と伝えられています。

2018041503
伝仙石陣跡
写真ではわかりづらいのですが、周囲には土塁らしき高まりも残っていました。

2018041504
伝仙石陣跡から見上げる鳥取城
こうして包囲線上から、その対象となる城との距離感を感じながらめぐるのも楽しみの一つです。


2018041505
伝仙石陣跡、北東側の切岸。
更に進みます。

2018041506
尾根上には数多くの陣跡が連なっており、進むにつれてこうした切岸や削平地が散見され・・・

2018041507
一部、堀切らしき痕跡も見受けられました。

2018041508
尾根に沿って伸びていた古道?らしき跡。
現地では何気なく過ごしてしまいましたが、鳥取城の方角に面しており、後でご紹介することになる秀吉本陣・太閤ヶ平の下(西側)に築かれていた防塁線にも似たような形状をしていますので、或いはこちらも、そうした防塁線の一部として築かれたものだったのでは?と思えてきます。

2018041509
既にいくつめの陣跡だったか定かではありませんが・・・これまた立派な切岸に行き当たりました。
この切岸の上も・・・

2018041510
綺麗に削平され、四方を土塁が取り巻いていました。

2018041511
その土塁
奥で一段上がり、二段構成の陣跡になっていました。

2018041512
太閤ヶ平の南側では最高所となる地点に築かれていた陣跡の虎口。

2018041513
太閤ヶ平南側の最高所から見上げる鳥取城。

2018041514
こうした馬蹄段状の小曲輪が幾段にも重なる斜面をアップダウンしつつ・・・

2018041515
陣跡の削平地を拾い歩きながら進むと、やがて六角展望台の辺りで舗装された管理道に出ました。
その管理道に沿って20分ほども登ると、いよいよ太閤ヶ平へと辿り着くことができます。

2018041516
ここまでの行程。
が山中に残る陣跡で、おおよそ赤い線に沿って登ってきました。

2018041517
さ、太閤ヶ平の横堀が見えてきました。

2018041518
太閤ヶ平縄張図

2018041519
東虎口
虎口に土橋、横堀、そして横堀の先で横矢を掛ける土塁の折れ、、、
一目この光景を目にした瞬間、痺れました。

2018041520
主郭内
とってもシンプルな構造だけに、その広さや土塁の頑強さといったスケール感が際立ちます。

2018041521
主郭の南東隅で、大きく突き出た部分。
手前の窪んだ箇所は、弾薬庫のような倉庫的な施設があったのではないか、との見解もあるそうです。
先端部分は一段高く上がっています。東と南の2ヶ所に設けられた虎口の中間に位置しており、両虎口への備えのための縄張でしょう。

2018041522
土塁の先にも、腰曲輪状の平坦地。

2018041523
東虎口へしっかりと横矢を掛ける土塁の折れ。

2018041524
主郭南西隅の櫓台

2018041525
櫓台の上に、太閤ヶ平の石碑が建っていました。

2018041526
南西櫓は、南虎口にしっかりと横矢を掛けています。

2018041527
南虎口
土橋に横堀、虎口の先の主郭内まで続く土塁、、、その全てが美しいです。

2018041528
南虎口と南西櫓台

太閤ヶ平・・・とにかく遺構の規模の大きさに、大袈裟ではなく度肝を抜かれました。
これは一部将の陣城の規模ではなく、もはや巨大な山城。

とつとりの東に、七、八町程隔て、並ぶ程の高山あり。羽柴筑前守、彼の山へ取り上り、是れより見下墨、則ち、この山を大将軍の居城に拵へ
(信長公記 巻十四「因幡国鳥取城取り詰めの事」より抜粋)

信長公記も大将軍の居城に拵へた、と記しています。

厳重な兵糧攻めが効果を発揮し、鳥取城は結果的には僅か3ヶ月ほどで開城することになりますが、当の秀吉にそれを予知することはできませんし、現に三木城の包囲戦では開城までに2年の歳月を要しています。
鳥取城の包囲が長引くことで毛利氏の来援も考えられ、秀吉は来たる(かもしれない)毛利本隊との決戦に備え、この陣城(太閤ヶ平)に主君・織田信長を迎え入れることも想定した上で、これほどの規模に築き上げたのではないでしょうか。
信長公記の大将軍という表現が、あたかもそれを裏付けているように思えてなりません。

(天正9年)八月十三日、因幡国とつとり表に至りて、藝州より、毛利・吉川・小早川、後巻として、罷り出づべきの風説これあり。則ち、御先手に在国の衆、一左右次第、夜を日に継ぎて、参陣いたすべき用意、少しも由断あるべからずの趣、仰せ出だされ候。
(信長公記 巻十四「八月朔日御馬揃への事」より抜粋。)

8月に入ると実際に毛利氏来援の風説が流れ、信長は在国衆にいつでも自らの先陣として出陣できるよう、油断なく準備する旨を厳命しています。
結果的に毛利本隊との決戦/信長の出馬は、水攻めで有名な備中高松城攻めの時まで持ち越され、その道中、京へ入った信長を光秀の謀反という未曾有の大事件(本能寺の変)が襲い、中国出馬~毛利との決戦も幻となるのですが・・・。

2018041529
太閤ヶ平から、包囲する鳥取城を眺める・・・約3ヶ月間、秀吉が毎日目にしていた光景。
至近と言ってもよさそうな距離感に、当時の緊迫感が迫ってくるかのようです。

さて、太閤ヶ平を満喫した後は、太閤ヶ平南西の尾根を少し下ります。

2018041530
太閤ヶ平周辺図(以下周辺図)

2018041531
太閤ヶ平南西の尾根を下った先、周辺図1の陣跡。
外縁の土塁も確認できます。

2018041532
その土塁の外側を覗き込むと・・・横堀のような溝があります。

2018041533
周辺図a部分の堀状遺構。写真左側の一段下がった位置にも並行して掘られていて、二重になっています。
(周辺図で水色に塗られている部分が堀状遺構)

周辺図でも明らかなようにこれは、太閤ヶ平と鳥取城の間を断ち切り、鳥取城を包み込むようにして築かれた防塁線です。
ここからは、この防塁線に沿って進んでいきます。

2018041534
急斜面を、まるで竪堀のように駆け下る防塁腺(周辺図b

2018041535
やはりここでも二重に掘られていました。
(同行者2名が立っている位置が、それぞれの堀底)

2018041536
下った先から振り返る・・・

鹿垣結ひまわし、とり籠め、五・六町、七・八町宛に、諸陣、近ゝと取り詰めさせをほつては、尺(柵)を付け、又、をほつては、塀を付け、築地高ゝとつかせ、透間なく、
(信長公記 巻十四「因幡国鳥取城取り詰めの事」より抜粋。)

これこそまさしく、信長公記が云う「鹿垣」「」「築地」の遺構でしょう!

2018041537
防塁線に沿って谷合の鞍部まで下りた地点。
生い茂る樹木でわかりづらいですが、二重の防塁線はすぐに反対側の斜面を駆け上がっていきます。

2018041538
我々も急勾配の堀底を直登・・・。

2018041539
登り切ると防塁線は、尾根を断ち切る二重の堀切のようになっていました。(周辺図c

2018041540
地形に合わせて折れを伴いつつ、なおも延々と続きます。

2018041541
再び斜面を下り始めました。

2018041542
しばらく下ると、今度は水溜まりのような池のある鞍部に出ました。
この池の手前辺りから、ここまで歩いてきたルートとは対岸の斜面を上がっていきます。

2018041543
池の近くから駆け上がる防塁線(周辺図d
この辺りでは三重になっていて、写真左手に1本、右手の高い土塁の上にも1本通っていました。
この右手の高い土塁などは、「築地」と表現してもよさそうな規模です。

2018041544
堀の斜面に残っていた石列

2018041545
池からの斜面を登り切ると、周辺図2の陣跡に出ました。
こちらは羽柴秀長(秀吉弟)の陣跡とも伝えられる場所です。

2018041546
伝秀長陣跡は東西に細長く、陣跡まで伸びていた防塁線の延長線上、削平地(曲輪)の縁に沿って土塁が続いています。

2018041547
伝秀長陣跡西端から、再び土塁と堀を伴った二重の防塁線が北西方向に伸びていました。

2018041548
土塁越しに堀底を覗く。。。

これにて、鳥取城包囲線めぐりは終了とします。
帰路は伝秀長陣跡付近から尾根上を西へ進み、途中1~2ヶ所の陣跡を拾いつつ、鳥取城(久松山)を経由することにしました。

2018041549
20分ほどで鳥取城の城域へ到着。
写真は鳥取城の出城、十神砦の虎口。

2018041550
十神砦から眺める太閤ヶ平・・・よく歩いたなぁ~

2018041551
砦の外側へ向け、斜面に築かれていた石垣。

2018041552
鳥取城山上ノ丸、三ノ丸へと続く虎口。
前日に訪れた際は爆風に負け、二ノ丸までで引き返していたので、改めて来ることができてよかったです。

2018041553
やはり石垣には、晴れた空が合い似合いますね~

2018041554
本丸からの太閤ヶ平

2018041555

とつとりと、西の方、海手との真中、廿五町程隔て、西より東南町際へ付きて流るゝ大河あり。此の川舟渡しなり。とつとりへ廿町程隔て、川際につなぎの出城あり。又、海の口にも取り継ぐ要害あり。藝州よりの味方引き入るべき行として、二ケ所拵へ置きたり。
(信長公記 巻十四「因幡国鳥取城取り詰めの事」より抜粋。)

信長公記のこの一節は、まさにこの光景を描写したものですね。
上の写真で、尾根先端の先にある独立した小山が鳥取城の補給基地になっていた丸山城で、手前の尾根続きには中継拠点となる雁金山城などの支城が築かれていました。
秀吉は細川水軍衆を海上へ配し、雁金山城を宮部隊に急襲・攻略させて、鳥取城の補給路を完全に遮断したと云います。
これにより天正9年10月、兵糧が枯渇した城側は城主・吉川経家以下、主だった重臣の切腹を以て降服開城しました。

2018041556
よく晴れたので、前日以上に砂丘も綺麗に見えていました。

2018041557
念願だった鳥取城包囲線めぐり、想定以上に有意義なものとなりました。

2018041558
吉川経家像
山上の石垣も綺麗に見えています。

2018041559
最後に車で少し移動し、吉川経家の墓所へ。

2018041560
経家はどのような思いで散っていったのでしょうか・・・それを少し窺わせる彼の書状の一節をご紹介して、本記事の締め括りとさせていただきたいと思います。

日本貮ツ之御弓矢於堺及切腹候事 末代之可為名誉存候
日ノ本二つの御弓矢(織田×毛利)境に於いて切腹に及び候事、末代の名誉と存じなさるべく候。
(吉川経言(広家)宛吉川経家書状の一節)

| | コメント (0)

2018年4月23日 (月)

鳥取城、他

天正9年(1581)の第2次鳥取城攻め
織田家の将、羽柴秀吉は周囲の山々や城下に付城(陣城)を築いて鳥取城を厳重に包囲し、海上からの補給ルートも封鎖して兵糧攻め(いわゆる「渇え殺し」)にしました。
山麓に築かれた陣跡は既に消滅していますが、山中にはまだ多くの遺構が残っているのです。
今回はその包囲線をめぐるため、4月14~15日にかけて鳥取市へお邪魔してきました。

初日はまず、じっくりと鳥取城を攻めることにします。

2018041401
鳥取城の城山、久松山を背景に直立する吉川経家像。

2018041402
鳥取城跡
見事な石垣群が迎えてくれますが、これらは一度、昭和18年の鳥取大震災でその大半が崩れており、後に復元されたものになります。

まずは麓の近世城郭遺構を見ていきます。

2018041403
中仕切門
昭和50年の台風で倒壊していますが、すぐに再建されました。

2018041404
二ノ丸の西側に築かれた登り石垣

2018041405
二ノ丸三階櫓の石垣
山陰地方初の層塔型三階櫓として創建され、元禄5年(1692)に山頂(山上ノ丸)の天守が落雷で焼失して以降は、鳥取城を象徴する存在となりました。
享保5年(1720)の石黒大火で一度は焼失しますが、同13年に再建されて明治の世を迎えます。その後、明治12年に解体撤去されました。

2018041406
三階櫓の石垣に積まれた「お左近の手水鉢」
近世鳥取城築城の折、侍女お左近の働きが目覚ましく、これにあやかってお左近の手水鉢を石垣に用いたところ、難工事であった三階櫓も無事に完成した、との伝説が残されていました。
そして昭和38年、この「お左近の手水鉢」と思われる石材が発見されたため、石垣修復に際して伝説の通りに復元されました。

2018041407
二ノ丸の石切り場
元々この場所には、久松山からの尾根が伸びていたようです。それを切り開いて曲輪を造成し、採掘された岩を石垣用の石材として用いました。

2018041408
二ノ丸から東の方角。
翌日の鳥取城包囲線めぐりは、手前から2本目の尾根を北(左)へ向かって登っていきます。

2018041409
菱櫓

2018041410
何故か斜めに積まれた雁木石垣・・・確かに目的がよく分からない(^_^;)

2018041411
鳥取城の象徴的な存在の一つ、天球丸の巻石垣。
文化年間、崩れそうになっていた石垣の補強のために築かれました。残念ながら甲羅状に貼られた石材の多くが抜き取られていたため、後に復元されています。

2018041412
巻石垣を上から。

2018041413
ところで、鳥取城の石垣の中にはこんな、小さな扇状の刻印を持つ石があります。
詳細な場所は失念しましたが、二ノ丸下段の東寄りだったかと・・・目線の高さにありますので探してみてください。

それでは山上の曲輪群(山上ノ丸)へ向かいます。

2018041414
天球丸からの登山道に入ってすぐ、八幡宮跡。

2018041415
久松山の登山道は細く、岩場も多くて結構タフな道のりでした。

2018041416
五合目に祀られていた神社

2018041417
八合目付近で見かけた石垣
石垣の上は藪ですが、綺麗に削平された痕跡が認められましたので、おそらく曲輪跡と思われます。

2018041418
登り始めてから約30分弱、ようやく山上ノ丸に到着しました。。。

2018041419
山上ノ丸の二ノ丸

2018041420
そして本丸
奥に天守台が見えます。

2018041421
鳥取城本丸から眺める、羽柴秀吉本陣・太閤ヶ平(中央、鉄塔のようなものが3本見えている山の頂上)。
吉川経家以下、籠城する将兵らが日々にらみつけていた光景・・・こんな距離感で対峙していたのですね。

2018041422
本丸にあった井戸跡

2018041423
天守台の石垣
天守は元禄5年(1692)に落雷によって焼失し、以後再建されることはありませんでした。

2018041424
天守台
穴蔵の痕跡(石列で四角く区画された部分)も。

2018041425
天守台からは鳥取砂丘も見えていました。

2018041426
天守台から見下ろす出丸。
残念ながら出丸は見学が制限され、立ち入ることはできませんでした。

2018041427
この日はとてつもなく風が強かった(もはや台風並み…)のですが、なんとか無事に下山できました。

2018041428
下山後は県立博物館や・・・

2018041429
少し離れた場所にある市立歴史博物館にも立ち寄ってから・・・

2018041430
鳥取東照宮へ

2018041431
一直線に伸びる参道

2018041432
鳥取東照宮・・・樗谿神社
慶安3年(1650)、鳥取藩主・池田光仲により、日光東照宮の分霊を勧請して創建されたことから、因幡(鳥取)東照宮とも呼ばれてきました。
こちらの唐門、及び拝殿・幣殿・本殿は国の重要文化財に指定されています。

2018041433
左手前から拝殿・幣殿、そして少し離れて本殿。

参拝後は徒歩で駅前まで戻り・・・

2018041434
鳥取へ来たからには・・・ということで、すなば珈琲へ。

2018041435
驚いたことに、店内の足元が本当に砂場になっていました。

2018041436
夜は鳥取駅前で、翌日の包囲線めぐりをご一緒するメンバーと前夜祭☆
贅沢な一夜でした・・・♪

| | コメント (0)

2014年9月17日 (水)

因島水軍城、金蓮寺、青陰城

20140913b01
因島到着後、まずは因島村上家菩提寺の金蓮寺へ。

20140913b02
山門の瓦にも…♪

20140913b03
村上水軍墓地
金蓮寺が現在地に移転した際、それまで各所に分散していた墓石・石塔類を集めたものと伝わります。
そのため、どの石塔が誰の墓石にあたるのかは分からなくなっていますが、因島村上一族とその家臣団のものと云われています。

20140913b04
墓地から振り仰ぐと、因島水軍城の雄姿が・・・
※実際に村上水軍の城があった場所ではなく、資料館に併設された観光用の模擬天守です。

20140913b05
早速行ってみましょう。

20140913b06
現在、資料館ではご覧の特別展が開催されています。
書状や甲冑などの他、海中に逃れた敵を引っ掛けて捕獲するための熊手(やがらもがら)や、織田水軍を第一次木津川沖海戦で散々に苦しめた焙烙玉のレプリカなど、水軍独特の武器類も展示されていて楽しめました。

20140913b07
水軍戦法会議の様子


20140913b08
車で少し移動し、次は因島村上家の居城でもあった青陰城址へ。
青影山の中腹まで車で上がり、山頂の城域までは20分ほどの登山になります。


20140913b09

青陰城址図

20140913b10
登城(登山)路を登っていくと、まずは図でいう郭に出ます。

20140913b11
そして

20140913b12
このⅡ郭からの眺めが素晴らしかった・・・

20140913b13
Ⅱ郭から、本丸と推定されるⅠ郭へと続く尾根道。

20140913b14
郭にて

20140913b15
ここからは、先程までいた因島水軍城を眼下に収めることが出来ます。
写真やや左寄りの尾根上。分かります?

因島村上水軍の居城にしてはこじんまりとした印象ですが、郭の遺構が分かり易くてよかったです。
何と言っても、これぞしまなみ!な絶景を拝むこともできたしね♪


青陰城(青影山)下山後は今夜の宿泊地、尾道へ。

20140913b16_4
最近、城好きの間で何かと話題?の、、、尾道城(;・∀・)
天守閣風の建築物というだけで、歴史的根拠はありません。しかも、もはや廃墟といった風情・・・

20140913b17
一旦ホテルに入った後は、尾道水道沿いのこちらのお店で懇親会♪
美味しい海の幸とお酒で時間が過ぎるのも忘れ、楽しく盛り上がりました☆

…お蔭で〆に狙っていた尾道ラーメンを食べそびれてしまいましたとさ(笑)

| | コメント (0)

2014年4月18日 (金)

萩の城下町♪

20140413b01
萩城攻めの後は、城下町散策です♪

20140413b02
天樹院、毛利輝元の墓所。

20140413b03
あぁ、如何にも「萩」って感じ♪ 鍵曲

20140413b04
いいなぁ☆

20140413b05
禄高1,018石を誇った大身の口羽家住宅。
毛利家の庶流で、口羽通良は「毛利元就御座備図」にも描かれています。

20140413b06
萩のマンホール。城下の街並に夏みかん♪

20140413b07
ご存じ、高杉晋作の生家。

20140413b08
晋作さんち。

20140413b08b
…♪

20140413b09
高杉晋作立志像・・・似てない

20140413b10
萩の街並には至る所に夏みかん☆

20140413b11
高杉晋作や伊藤博文が幼い頃に学び、遊んでいたという円政寺。

この円政寺本堂の向かって左手には、来年(平成27年)の大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン、(吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻)が住んでいたそうな・・・

20140413b12
という訳で、この駐車場辺りかな?

20140413b13
木戸孝允(桂小五郎)生家。

20140413b14
萩城の外郭、北の総門。

20140413b15
分かり易い案内図もありました。

20140413b16
外堀

20140413b17
そして松陰神社へ。
雨と湿気でレンズが・・・(^_^;)

20140413b18
松下村塾
私はてっきり移築だと思い込んでいたのですが、当時からこの場所に建っていたのだそうです。

20140413b19
ここで吉田松陰の元、錚々たる面々が学んでいたのですね…。

20140413b20
吉田松陰の実家・杉家旧宅、松陰幽因の間。
こちらも当時のままの場所に建っています。

20140413b21
傘みくじ♪

20140413b22
最後に、解散場所の新山口駅へ向かう前に立ち寄った道の駅には、松陰記念館なるものがありました。入館無料です。

20140413b23
萩のジオラマ☆

これにて1泊2日の津和野~萩オフ会も終了。
アッという間に過ぎ去った2日間。なんだか夢でも見ていたかのようです。。。それに比べて帰りの新幹線の長かったこと…(^_^;)

幹事・運転手を務めてくれたあむさんを初め、ご一緒頂いた皆さん、楽しい時間をありがとうございました☆

| | コメント (0)

萩城

さて、萩で迎える旅の2日目。
この日の行程は萩城や萩の街並を隈なく巡る、というもの。朝から生憎の雨でしたが…午前7:30に集合。まず向かったのは、、、

20140413a01
岩倉獄跡。身分の低い人用の牢屋=下牢ですね。
その向かいには、、、

20140413a02
野山獄跡。
こちらは上牢で、あの吉田松陰も一時こちらに収容されていました。

20140413a03
そして、萩城の指月山☆

20140413a04
内堀と本丸門の眺めを古写真と比較。

20140413a05
藩祖・毛利輝元の銅像。

20140413a06
この喰い違いっぷりが堪らないねぇ♪
これを下から見ると・・・

20140413a07
こうして、侵入してくる敵からは先が見通せないようになっています。

20140413a08
軒瓦なども無造作に・・・

20140413a09
まだ城跡の開園まで時間があったので、先に旧厚狭毛利家萩屋敷長屋へ。

20140413a10
ここには萩城のジオラマも展示されています。

更に萩史料館も見学してから、、、

20140413a11
いよいよ萩城へ☆

20140413a12
山麓にあった天守台。

20140413a13
天守台の礎石

20140413a14
いいね!こういう複雑に入り組んだ感じ、好きよ(笑)

20140413a15
さ、詰丸目指して指月山登りますよ!

20140413a16
20分ほどで山頂に到着すると、素敵な虎口の石垣がお出迎え☆
・・・しかし。

20140413a17
裏に回るとご覧の有様。絶対にダメです!こんなことしては!!

20140413a18
さて、指月山々頂の詰丸は本丸と二の丸、2つの曲輪からなるシンプルな造りです。

20140413a19
二の丸から本丸方面。
手前の石の矢穴の凄いこと。でもこれで驚いてはいけない。本丸のはもっと凄かった…(^_^;)

20140413a20
本丸から、入ってきた矢倉門の枡形虎口。

20140413a21
そして本丸内へ…スゴッ!

20140413a22
本丸埋門の枡形虎口。

20140413a23
もはや矢穴が碁盤の目…(^_^;)
ここまでやったら何とかして割ればよかったのに…300年近く、誰も気にならなかったのかな?(笑)

20140413a24
麓に下りてきました。

20140413a25
花江茶亭

20140413a26
志都岐山神社
毛利輝元を主祭、元就・敬親を配祀し、歴代藩主を合祀しているそうです。
・・・元就が主祭じゃなくてよかったのかな?…(^_^;)

20140413a27
萩城、最後は東側の石垣で固められた防塁を見学します☆

20140413a28
海岸沿いを行けども石垣の切れ目は見えず・・・見事の一言!

いや~萩城、毛利の「本気」が垣間見えるような、なかなかの造りでした☆

引き続き城下町を散策します。

| | コメント (0)

2014年4月17日 (木)

津和野城と城下町♪

2014年4月12~13日、1泊2日の強行日程で津和野&萩へ遠征してきました☆
企画としては昨年秋くらいから温めていたオフ会。ようやく時来る!

…という訳で、まずは初日から。

2014041201
新横浜から新幹線に乗って4時間強、午後12時30分過ぎに新山口に到着!

ここで、先に集合して既にいくつかの城を攻めてきたメンバーと合流。
今回の参加者は、幹事・あむさん、轟士さん、ロームさん、みかんさんに私を加えた5名。あむさんの愛車(新車♪)に乗り込んで出発です☆

途中、道の駅で昼食を摂りながら向かった先は、、、
2014041202
津和野城です♪

2014041203
こちらのリフトに乗って城跡のある山頂部へ向かいます。

2014041204
ちなみに登山できる遊歩道もあるのですが、崩落の為か整備が追いつかないのか、、、ご覧のように立入禁止になっています。
左には「熊出没注意」の貼紙も見えますが、結構出るみたいです、ここ…(^_^;)

2014041205
リフトを降りて少し歩くと、すぐに織部出丸の石垣が迎えてくれます♪

2014041206
織部出丸にて。
いい味出している、この石垣♪

2014041207
いいねぇ…☆
出丸だけで充分、テンション上がりました(笑)

そのまま尾根伝い?に主郭部へ向かいます。

2014041208
こちらの石垣の、また見事なこと…☆

2014041209
三の丸から人質郭(更に奥は三十間台)の石垣を見上げる・・・高い!
スケールに入って貰ったあむさんの小さいこと!(笑)

2014041210
本丸に相当すると思われる三十間台から、人質郭越しに三の丸を・・・

2014041211
素晴らしい眺めです♪

2014041212
太鼓丸から三十間台の虎口。
写真右手の二の丸から上がってきて、三十間台へは180度折り返す構造になっています。

2014041213
天守跡。奥は台所郭

ところでこの天守跡、場所がちょっと不思議なのです。何故かって…?

2014041214
反対側から見るとホラ、一段低い位置に築かれていたことになるのです。折角高い天守を築いても、場所が低いんじゃ…ねぇ?(笑)
あの上が三十間台になります。

リフトの営業終了時刻(16:30)が迫っていたので急ぎ足での城攻めとなりましたが、なかなか見応えのあるお城でした☆


津和野城の素晴らしい石垣を堪能した後は、城下町を散策します。

2014041215
まずは稲成神社に参拝。

2014041216
西周(にしあまね)旧居。
徳川15代将軍・慶喜の側近だった方・・・だそうです。←

2014041217
城山を仰ぎ見ると、、、三十間台の石垣が見えています♪
(逆光ゴメンww)

2014041218
津和野の城下町・・・

2014041219
ちょっと良さ気な雰囲気の教会も☆

2014041220
津和野と言ったら、やっぱり鯉?

2014041221
多胡家老門

2014041222
鷺舞の銅像

2014041223
マンホールも鯉♪

サクッと城下町を散策した後は、この日の宿泊地となる山口県は萩市へと向かいました。

※そうそう、津和野から萩へと向かう途中、かなり長い距離に渡って路面陥没土砂崩れの痕が見受けられました。昨年(平成25年)7月の大雨による被害の爪痕でしょう・・・。早い復旧を祈ります。

2014041224_2
到着した東萩駅前に展示されていた天守☆

2014041225
ホテルの部屋には、こんなのも・・・さすがお膝元(^_^;)

各々宿にチェックインした後は、、、

2014041226
お楽しみの懇親会♪ 山口の海の幸テンコ盛り☆
中央奥は名物のキンタロー☆(ヒメジです)…顔は大きくないよ(笑)

2014041227
更に更に、、、見蘭牛!!

いやぁ~城好き、歴史好きの皆さんとの旅先での一献は格別ですね☆
・・・はい、今回も呑み過ぎました(反省)

| | コメント (0)

2013年9月29日 (日)

水木しげるロード -山陰への旅⑤

旅の最後は境港へ。

20130923b01
松江からはそんなに離れていませんが、ちょうど特急が来たので「やくも」に乗って米子で境線に乗り換えます。

20130923b02
境港駅。愛称は勿論、「鬼太郎駅」☆

駅前でとっても贅沢な海鮮丼で腹拵えをしてから散策開始です。

20130923b03
あんな所にも目玉おやじ(笑)

20130923b04
・・・悪いことは出来ませんねぇwww

20130923b05
ぬりかべ~

20130923b06
いい湯だったようで…(笑)

20130923b07
一反木綿。実は一番お気に入り♪

20130923b08
ねずみ男

20130923b09
トイレの標識も…☆

20130923b10
おや?またお会いしました、ねずみ男さん☆

20130923b11
水木しげるロードの終点、水木しげる記念館。鬼太郎もいましたね☆

20130923b12
そして、ずっと探し続けたマンホールの蓋。やっと見つけました☆
結構注意深く見ていましたが、どうやら他の蓋は何の変哲もない柄で、鬼太郎柄のマンホールは殆どありません。

20130923b13
タクシーにも♪

20130923b14
港に出てみると、鬼太郎妖怪倉庫。第二章とか…何のことかは分かりません(笑)

20130923b16
郵便ポストの上にも♪

20130923b17
最後に、駅前で先生を囲んで全員?集合☆

20130923b22
お土産に、とても可愛かったので一反木綿のマグカップとメモ帳「いったんメモ」(笑)を購入ww

20130923b18
境港から空港駅までは、ほんの15分程度。その車内。

20130923b19
空港でも☆
初めと終わりは鬼太郎尽くしな旅でした(笑)

20130923b20
フライトまで時間があったので、空港で旅の〆の一杯☆
ちょうど折り返し乗って帰る飛行機が到着しました。

20130923b21
念願だった山陰への一人旅。これまでで一番ゆったりとした時間の流れる、リラックスした旅だったかも。何だか気持ちがまぁるくなるような、いい旅になりました☆
今回は時間と旅程の都合で石見銀山や鳥取城(とその包囲網跡)にも行けなかったので、いずれまた訪れたいと思います。

てか、鳥取城は誰かオフ会開いてくれないかなぁ?←他力本願www

| | コメント (0)

松江城 -山陰への旅④

旅の3日目。こちらも念願だった松江城を巡ります。
・・・と、折角なので前日に楽しんだ堀川めぐり(遊覧船)も合わせてご紹介します。


20130923a00
松江城絵図
あえて北を上に向け、ご紹介していく順に赤文字で番号をふりました。

20130923a01
まずは前日の堀川めぐりから。
絵図1のカラコロ広場から遊覧船に乗り、外堀を反時計回りに進みます。
・・・脱いである靴の数を見て!まさかの貸切(笑)

20130923a02
堀に面した民家の裏手には、かつて堀の水を生活用水として利用していた名残の石段も。

20130923a03
絵図2地点。ここで左に折れて外堀(米子川)を北上します。
写真をご覧頂くと分かる通り、松江城の堀に架かるいくつかの橋は水面から高さがあまりなく、そのままでは通れないので船の屋根を下げ、乗船客も屈んで通過します。

20130923a04
東面の外堀から米子橋(絵図3)方面。

20130923a05
もう少し進むと…見えてきましたね、松江城天守♪

20130923a06
内堀に入り、絵図4地点の石垣。

20130923a07
長閑な時間が流れます・・・

20130923a08
絵図5の塩見縄手を眺めやる・・・

20130923a09
折角なので一旦絵図6で下船し、塩見縄手を歩いてみることにしました。
あちらの亀の石像、、、

20130923a10
甲羅にハートマーク♥

20130923a11
おっと、すぐに塩見縄手へ向かおうと思ったのに…こんな看板を目にしたら・・・

20130923a12
入っちゃうじゃない(笑)
丁度良かったので昼食も。ビールは季節限定の黒ビール、昼食メニューは出雲蕎麦にしじみご飯、しじみ汁♪
この日(2日目)の夜もしじみのだし巻き卵を食したし…これだけしじみ尽くしで過ごしたら、肝臓治っちゃうかも!?ww

20130923a13
…さて、今度こそ塩見縄手へ。武家屋敷や、、、

20130923a14
小泉八雲旧家跡などが建ち並びます。
(入りませんでしたけど…)

20130923a15
軽く散策を終えて再び遊覧船に乗船。絵図7の堀(城山西堀川)を南下します。

20130923a16
途中、こんなに狭い橋も通過、最初に乗船したカラコロ広場まで乗船しました。

さて、ここからは3日目に入ります。

20130923a17
前日に遊覧船でも通った、絵図3の堀。
米子橋を左折して大手に向かいます。

20130923a18
大手前から見上げる中櫓と南櫓(絵図89
いきなり感動もののスケール!

20130923a19
そして、堀尾吉晴さんの銅像。

20130923a20
二ノ丸下ノ段の石垣(絵図でいうと「現在地」の文字がある辺り)

20130923a21
二ノ丸上ノ段の南櫓を内側から(絵図9)。中に入れます。

20130923a22
興雲閣(明治36年の完成)
当初は明治天皇をお迎えしようとしたが日露戦争の勃発によって山陰行幸は実現せず。その代わり、明治40年には当時の嘉仁皇太子(後の大正天皇)が山陰行啓の際にお泊りになったそうです。

ところで、興雲閣の現地説明板に一ヶ所ツッコミどころが…
「当時はロシア宮殿風といわれ、その名は広く近隣とどろいた。」
って…どっちやねん!(笑)

20130923a23
松江神社

20130923a24
二ノ丸上ノ段から太鼓櫓(絵図10

20130923a25
本丸へと続く一ノ門。そして・・・

20130923a26
遂にやって参りました、松江城天守!(絵図11
全国に12ある現存天守の一つです。そして私にとり、12番目に訪れた現存天守。そう、遂に全国12現存天守をコンプリートしました!!
昨年9月に福井の丸岡城を訪れてリーチをかけてから丸一年、本格的に城跡巡りを始めてからは足掛け9年での達成です☆

実はこの時、まだ朝の8時頃で天守の中に入れなかった(午前8:30~)ので、しばし本丸内を散策。

20130923a28
天守を正面から…

20130923a30
天守の足元には埋め込まれた瓦・・・これは雨水による浸食防止の為、だったかな?

20130923a31
野面積みの石垣、好きだな~♪

20130923a33
ここで登閣時間になったので天守内へ♪

20130923a34
現存建築物のこの木材の感じ、いいね☆

20130923a35
天守最上階から。宍道湖が見えています。

20130923a36
北ノ門から本丸を抜けた先にある枡形。

20130923a37
搦手(絵図12
この複雑に折れ曲がった道が、枡形虎口の名残かも♪

20130923a38
この日も遊覧船はひっきりなしに通ります☆

20130923a39
脇虎口ノ門(絵図13)から北惣門橋。
橋の向こうに見えているのは松江歴史館。その昔は重臣たちの屋敷があった場所です。

20130923a40
松江歴史館では天守を眺めながら抹茶などを頂くことが出来ます♪
勿論私も一休み☆

20130923a41
LEGOで出来た松江城天守。石垣まで本当によく出来ています。

20130923a42
松江城と城下のジオラマ。

20130923a43
大坂冬の陣で真田幸村が真田丸の櫓から松平直政(結城秀康三男。初代松江藩主)に投げ与えたと云われる軍扇(複製/本物は松江神社蔵)

20130923a44
100年毎の松江城下のパネル。こういう比較、好きよ♪

いや~すっかり満喫しました☆

20130923a46
帰りしな、大手門前では甲冑姿の武士がお見送り?!

20130923a47
松平直政像

20130923a48
最後にもう一度振り返って、松江城天守☆

うん、私にしてはじっくり時間をかけて観た方(笑)
やはり素敵なお城でした☆

| | コメント (0)

2013年9月28日 (土)

宍道湖の夕陽 -山陰への旅③

出雲大社前から再び一畑電車に乗り、、、

20130922a25
松江しんじ湖温泉駅に到着。

※本当はこの後、遊覧船に乗って松江城のお堀を巡る「堀川めぐり」を楽しんだのですが、当ブログではこの翌日に訪れた松江城天守・他と合わせてご紹介したいので、一旦とばして先へ進めます。

20130922a26
堀川めぐりの遊覧船を楽しんだ後はテクテクと歩いて宍道湖大橋を渡り、、、

20130922a27
県立美術館の脇を抜けて夕日スポットへ。

実はこの時点でまだ午後3時過ぎ。夕日には早過ぎるのですが最早歩く気力もなく…炎天下の中を延々と腰掛けて湖畔で待機していました…(^_^;)

ただひたすら宍道湖の湖面を眺めるだけの時が2時間以上も過ぎ、「俺は馬鹿じゃなかろうか?」という疑問も湧き始めた午後5時半過ぎ、ようやく見頃がやって来ました。。。

20130922a28
宍道湖の夕陽。。。
少し雲が多かったのは残念ですが、何とか観れて良かった・・・

この時、周囲には同じく夕陽目当てで200人はいましたかね。一生に一度は拝んでおきたい景色であることは確か。

20130922a29
さ、納得したので宿に向かいます(笑)

2日目の晩は松江駅前の居酒屋にて一献☆ カウンターが空いていたこともあり、ゆったりと寛ぎながら頂く地物の肴と酒は格別ですね♪
時計を全く気にしないこういう時の流れ、本当に好きです。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧