カテゴリー「お城、史跡巡り 中国」の11件の記事
2018年4月24日 (火)
2018年4月23日 (月)
鳥取城、他
織田家の将、羽柴秀吉は周囲の山々や城下に付城(陣城)を築いて鳥取城を厳重に包囲し、海上からの補給ルートも封鎖して兵糧攻め(いわゆる「渇え殺し」)にしました。
山麓に築かれた陣跡は既に消滅していますが、山中にはまだ多くの遺構が残っているのです。
今回はその包囲線をめぐるため、4月14~15日にかけて鳥取市へお邪魔してきました。
初日はまず、じっくりと鳥取城を攻めることにします。
鳥取城の城山、久松山を背景に直立する吉川経家像。
鳥取城跡
見事な石垣群が迎えてくれますが、これらは一度、昭和18年の鳥取大震災でその大半が崩れており、後に復元されたものになります。
まずは麓の近世城郭遺構を見ていきます。
中仕切門
昭和50年の台風で倒壊していますが、すぐに再建されました。
二ノ丸の西側に築かれた登り石垣
二ノ丸三階櫓の石垣
山陰地方初の層塔型三階櫓として創建され、元禄5年(1692)に山頂(山上ノ丸)の天守が落雷で焼失して以降は、鳥取城を象徴する存在となりました。
享保5年(1720)の石黒大火で一度は焼失しますが、同13年に再建されて明治の世を迎えます。その後、明治12年に解体撤去されました。
三階櫓の石垣に積まれた「お左近の手水鉢」
近世鳥取城築城の折、侍女お左近の働きが目覚ましく、これにあやかってお左近の手水鉢を石垣に用いたところ、難工事であった三階櫓も無事に完成した、との伝説が残されていました。
そして昭和38年、この「お左近の手水鉢」と思われる石材が発見されたため、石垣修復に際して伝説の通りに復元されました。
二ノ丸の石切り場
元々この場所には、久松山からの尾根が伸びていたようです。それを切り開いて曲輪を造成し、採掘された岩を石垣用の石材として用いました。
二ノ丸から東の方角。
翌日の鳥取城包囲線めぐりは、手前から2本目の尾根を北(左)へ向かって登っていきます。
菱櫓
何故か斜めに積まれた雁木石垣・・・確かに目的がよく分からない(^_^;)
鳥取城の象徴的な存在の一つ、天球丸の巻石垣。
文化年間、崩れそうになっていた石垣の補強のために築かれました。残念ながら甲羅状に貼られた石材の多くが抜き取られていたため、後に復元されています。
巻石垣を上から。
ところで、鳥取城の石垣の中にはこんな、小さな扇状の刻印を持つ石があります。
詳細な場所は失念しましたが、二ノ丸下段の東寄りだったかと・・・目線の高さにありますので探してみてください。
それでは山上の曲輪群(山上ノ丸)へ向かいます。
天球丸からの登山道に入ってすぐ、八幡宮跡。
久松山の登山道は細く、岩場も多くて結構タフな道のりでした。
五合目に祀られていた神社
八合目付近で見かけた石垣
石垣の上は藪ですが、綺麗に削平された痕跡が認められましたので、おそらく曲輪跡と思われます。
登り始めてから約30分弱、ようやく山上ノ丸に到着しました。。。
山上ノ丸の二ノ丸
そして本丸
奥に天守台が見えます。
鳥取城本丸から眺める、羽柴秀吉本陣・太閤ヶ平(中央、鉄塔のようなものが3本見えている山の頂上)。
吉川経家以下、籠城する将兵らが日々にらみつけていた光景・・・こんな距離感で対峙していたのですね。
本丸にあった井戸跡
天守台の石垣
天守は元禄5年(1692)に落雷によって焼失し、以後再建されることはありませんでした。
天守台
穴蔵の痕跡(石列で四角く区画された部分)も。
天守台からは鳥取砂丘も見えていました。
天守台から見下ろす出丸。
残念ながら出丸は見学が制限され、立ち入ることはできませんでした。
この日はとてつもなく風が強かった(もはや台風並み…)のですが、なんとか無事に下山できました。
下山後は県立博物館や・・・
少し離れた場所にある市立歴史博物館にも立ち寄ってから・・・
鳥取東照宮へ
一直線に伸びる参道
鳥取東照宮・・・樗谿神社
慶安3年(1650)、鳥取藩主・池田光仲により、日光東照宮の分霊を勧請して創建されたことから、因幡(鳥取)東照宮とも呼ばれてきました。
こちらの唐門、及び拝殿・幣殿・本殿は国の重要文化財に指定されています。
左手前から拝殿・幣殿、そして少し離れて本殿。
参拝後は徒歩で駅前まで戻り・・・
鳥取へ来たからには・・・ということで、すなば珈琲へ。
驚いたことに、店内の足元が本当に砂場になっていました。
夜は鳥取駅前で、翌日の包囲線めぐりをご一緒するメンバーと前夜祭☆
贅沢な一夜でした・・・♪
2014年9月17日 (水)
因島水軍城、金蓮寺、青陰城
因島到着後、まずは因島村上家菩提寺の金蓮寺へ。
山門の瓦にも…♪
村上水軍墓地
金蓮寺が現在地に移転した際、それまで各所に分散していた墓石・石塔類を集めたものと伝わります。
そのため、どの石塔が誰の墓石にあたるのかは分からなくなっていますが、因島村上一族とその家臣団のものと云われています。
墓地から振り仰ぐと、因島水軍城の雄姿が・・・
※実際に村上水軍の城があった場所ではなく、資料館に併設された観光用の模擬天守です。
早速行ってみましょう。
現在、資料館ではご覧の特別展が開催されています。
書状や甲冑などの他、海中に逃れた敵を引っ掛けて捕獲するための熊手(やがらもがら)や、織田水軍を第一次木津川沖海戦で散々に苦しめた焙烙玉のレプリカなど、水軍独特の武器類も展示されていて楽しめました。
水軍戦法会議の様子
車で少し移動し、次は因島村上家の居城でもあった青陰城址へ。
青影山の中腹まで車で上がり、山頂の城域までは20分ほどの登山になります。
図
青陰城址図
登城(登山)路を登っていくと、まずは図でいうⅣ郭に出ます。
そしてⅡ郭
このⅡ郭からの眺めが素晴らしかった・・・
Ⅱ郭から、本丸と推定されるⅠ郭へと続く尾根道。
Ⅰ郭にて
ここからは、先程までいた因島水軍城を眼下に収めることが出来ます。
写真やや左寄りの尾根上。分かります?
因島村上水軍の居城にしてはこじんまりとした印象ですが、郭の遺構が分かり易くてよかったです。
何と言っても、これぞしまなみ!な絶景を拝むこともできたしね♪
青陰城(青影山)下山後は今夜の宿泊地、尾道へ。
最近、城好きの間で何かと話題?の、、、尾道城(;・∀・)
天守閣風の建築物というだけで、歴史的根拠はありません。しかも、もはや廃墟といった風情・・・
一旦ホテルに入った後は、尾道水道沿いのこちらのお店で懇親会♪
美味しい海の幸とお酒で時間が過ぎるのも忘れ、楽しく盛り上がりました☆
…お蔭で〆に狙っていた尾道ラーメンを食べそびれてしまいましたとさ(笑)
2014年4月18日 (金)
萩の城下町♪
萩城攻めの後は、城下町散策です♪
天樹院、毛利輝元の墓所。
あぁ、如何にも「萩」って感じ♪ 鍵曲。
いいなぁ☆
禄高1,018石を誇った大身の口羽家住宅。
毛利家の庶流で、口羽通良は「毛利元就御座備図」にも描かれています。
萩のマンホール。城下の街並に夏みかん♪
ご存じ、高杉晋作の生家。
晋作さんち。
…♪
高杉晋作立志像・・・似てない。
萩の街並には至る所に夏みかん☆
高杉晋作や伊藤博文が幼い頃に学び、遊んでいたという円政寺。
この円政寺本堂の向かって左手には、来年(平成27年)の大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン、文(吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻)が住んでいたそうな・・・
という訳で、この駐車場辺りかな?
木戸孝允(桂小五郎)生家。
萩城の外郭、北の総門。
分かり易い案内図もありました。
外堀
そして松陰神社へ。
雨と湿気でレンズが・・・(^_^;)
松下村塾
私はてっきり移築だと思い込んでいたのですが、当時からこの場所に建っていたのだそうです。
ここで吉田松陰の元、錚々たる面々が学んでいたのですね…。
吉田松陰の実家・杉家旧宅、松陰幽因の間。
こちらも当時のままの場所に建っています。
傘みくじ♪
最後に、解散場所の新山口駅へ向かう前に立ち寄った道の駅には、松陰記念館なるものがありました。入館無料です。
萩のジオラマ☆
これにて1泊2日の津和野~萩オフ会も終了。
アッという間に過ぎ去った2日間。なんだか夢でも見ていたかのようです。。。それに比べて帰りの新幹線の長かったこと…(^_^;)
幹事・運転手を務めてくれたあむさんを初め、ご一緒頂いた皆さん、楽しい時間をありがとうございました☆
萩城
この日の行程は萩城や萩の街並を隈なく巡る、というもの。朝から生憎の雨でしたが…午前7:30に集合。まず向かったのは、、、
岩倉獄跡。身分の低い人用の牢屋=下牢ですね。
その向かいには、、、
野山獄跡。
こちらは上牢で、あの吉田松陰も一時こちらに収容されていました。
そして、萩城の指月山☆
内堀と本丸門の眺めを古写真と比較。
藩祖・毛利輝元の銅像。
この喰い違いっぷりが堪らないねぇ♪
これを下から見ると・・・
こうして、侵入してくる敵からは先が見通せないようになっています。
軒瓦なども無造作に・・・
まだ城跡の開園まで時間があったので、先に旧厚狭毛利家萩屋敷長屋へ。
ここには萩城のジオラマも展示されています。
更に萩史料館も見学してから、、、
いよいよ萩城へ☆
山麓にあった天守台。
天守台の礎石
いいね!こういう複雑に入り組んだ感じ、好きよ(笑)
さ、詰丸目指して指月山登りますよ!
20分ほどで山頂に到着すると、素敵な虎口の石垣がお出迎え☆
・・・しかし。
裏に回るとご覧の有様。絶対にダメです!こんなことしては!!
さて、指月山々頂の詰丸は本丸と二の丸、2つの曲輪からなるシンプルな造りです。
二の丸から本丸方面。
手前の石の矢穴の凄いこと。でもこれで驚いてはいけない。本丸のはもっと凄かった…(^_^;)
本丸から、入ってきた矢倉門の枡形虎口。
そして本丸内へ…スゴッ!
本丸埋門の枡形虎口。
もはや矢穴が碁盤の目…(^_^;)
ここまでやったら何とかして割ればよかったのに…300年近く、誰も気にならなかったのかな?(笑)
麓に下りてきました。
花江茶亭
志都岐山神社
毛利輝元を主祭、元就・敬親を配祀し、歴代藩主を合祀しているそうです。
・・・元就が主祭じゃなくてよかったのかな?…(^_^;)
萩城、最後は東側の石垣で固められた防塁を見学します☆
海岸沿いを行けども石垣の切れ目は見えず・・・見事の一言!
いや~萩城、毛利の「本気」が垣間見えるような、なかなかの造りでした☆
引き続き城下町を散策します。
2014年4月17日 (木)
津和野城と城下町♪
企画としては昨年秋くらいから温めていたオフ会。ようやく時来る!
…という訳で、まずは初日から。
新横浜から新幹線に乗って4時間強、午後12時30分過ぎに新山口に到着!
ここで、先に集合して既にいくつかの城を攻めてきたメンバーと合流。
今回の参加者は、幹事・あむさん、轟士さん、ロームさん、みかんさんに私を加えた5名。あむさんの愛車(新車♪)に乗り込んで出発です☆
途中、道の駅で昼食を摂りながら向かった先は、、、
津和野城です♪
こちらのリフトに乗って城跡のある山頂部へ向かいます。
ちなみに登山できる遊歩道もあるのですが、崩落の為か整備が追いつかないのか、、、ご覧のように立入禁止になっています。
左には「熊出没注意」の貼紙も見えますが、結構出るみたいです、ここ…(^_^;)
リフトを降りて少し歩くと、すぐに織部出丸の石垣が迎えてくれます♪
織部出丸にて。
いい味出している、この石垣♪
いいねぇ…☆
出丸だけで充分、テンション上がりました(笑)
そのまま尾根伝い?に主郭部へ向かいます。
こちらの石垣の、また見事なこと…☆
三の丸から人質郭(更に奥は三十間台)の石垣を見上げる・・・高い!
スケールに入って貰ったあむさんの小さいこと!(笑)
本丸に相当すると思われる三十間台から、人質郭越しに三の丸を・・・
素晴らしい眺めです♪
太鼓丸から三十間台の虎口。
写真右手の二の丸から上がってきて、三十間台へは180度折り返す構造になっています。
天守跡。奥は台所郭。
ところでこの天守跡、場所がちょっと不思議なのです。何故かって…?
反対側から見るとホラ、一段低い位置に築かれていたことになるのです。折角高い天守を築いても、場所が低いんじゃ…ねぇ?(笑)
あの上が三十間台になります。
リフトの営業終了時刻(16:30)が迫っていたので急ぎ足での城攻めとなりましたが、なかなか見応えのあるお城でした☆
津和野城の素晴らしい石垣を堪能した後は、城下町を散策します。
まずは稲成神社に参拝。
西周(にしあまね)旧居。
徳川15代将軍・慶喜の側近だった方・・・だそうです。←
城山を仰ぎ見ると、、、三十間台の石垣が見えています♪
(逆光ゴメンww)
津和野の城下町・・・
ちょっと良さ気な雰囲気の教会も☆
津和野と言ったら、やっぱり鯉?
多胡家老門
鷺舞の銅像
マンホールも鯉♪
サクッと城下町を散策した後は、この日の宿泊地となる山口県は萩市へと向かいました。
※そうそう、津和野から萩へと向かう途中、かなり長い距離に渡って路面陥没や土砂崩れの痕が見受けられました。昨年(平成25年)7月の大雨による被害の爪痕でしょう・・・。早い復旧を祈ります。
到着した東萩駅前に展示されていた天守☆
ホテルの部屋には、こんなのも・・・さすがお膝元(^_^;)
各々宿にチェックインした後は、、、
お楽しみの懇親会♪ 山口の海の幸テンコ盛り☆
中央奥は名物のキンタロー☆(ヒメジです)…顔は大きくないよ(笑)
更に更に、、、見蘭牛!!
いやぁ~城好き、歴史好きの皆さんとの旅先での一献は格別ですね☆
・・・はい、今回も呑み過ぎました(反省)
2013年9月29日 (日)
水木しげるロード -山陰への旅⑤
旅の最後は境港へ。
松江からはそんなに離れていませんが、ちょうど特急が来たので「やくも」に乗って米子で境線に乗り換えます。
境港駅。愛称は勿論、「鬼太郎駅」☆
駅前でとっても贅沢な海鮮丼で腹拵えをしてから散策開始です。
あんな所にも目玉おやじ(笑)
・・・悪いことは出来ませんねぇwww
ぬりかべ~
いい湯だったようで…(笑)
一反木綿。実は一番お気に入り♪
ねずみ男
トイレの標識も…☆
おや?またお会いしました、ねずみ男さん☆
水木しげるロードの終点、水木しげる記念館。鬼太郎もいましたね☆
そして、ずっと探し続けたマンホールの蓋。やっと見つけました☆
結構注意深く見ていましたが、どうやら他の蓋は何の変哲もない柄で、鬼太郎柄のマンホールは殆どありません。
タクシーにも♪
港に出てみると、鬼太郎妖怪倉庫。第二章とか…何のことかは分かりません(笑)
郵便ポストの上にも♪
最後に、駅前で先生を囲んで全員?集合☆
お土産に、とても可愛かったので一反木綿のマグカップとメモ帳「いったんメモ」(笑)を購入ww
境港から空港駅までは、ほんの15分程度。その車内。
空港でも☆
初めと終わりは鬼太郎尽くしな旅でした(笑)
フライトまで時間があったので、空港で旅の〆の一杯☆
ちょうど折り返し乗って帰る飛行機が到着しました。
念願だった山陰への一人旅。これまでで一番ゆったりとした時間の流れる、リラックスした旅だったかも。何だか気持ちがまぁるくなるような、いい旅になりました☆
今回は時間と旅程の都合で石見銀山や鳥取城(とその包囲網跡)にも行けなかったので、いずれまた訪れたいと思います。
てか、鳥取城は誰かオフ会開いてくれないかなぁ?←他力本願www
松江城 -山陰への旅④
旅の3日目。こちらも念願だった松江城を巡ります。
・・・と、折角なので前日に楽しんだ堀川めぐり(遊覧船)も合わせてご紹介します。
松江城絵図
あえて北を上に向け、ご紹介していく順に赤文字で番号をふりました。
まずは前日の堀川めぐりから。
絵図1のカラコロ広場から遊覧船に乗り、外堀を反時計回りに進みます。
・・・脱いである靴の数を見て!まさかの貸切(笑)
堀に面した民家の裏手には、かつて堀の水を生活用水として利用していた名残の石段も。
絵図2地点。ここで左に折れて外堀(米子川)を北上します。
写真をご覧頂くと分かる通り、松江城の堀に架かるいくつかの橋は水面から高さがあまりなく、そのままでは通れないので船の屋根を下げ、乗船客も屈んで通過します。
東面の外堀から米子橋(絵図3)方面。
もう少し進むと…見えてきましたね、松江城天守♪
内堀に入り、絵図4地点の石垣。
長閑な時間が流れます・・・
絵図5の塩見縄手を眺めやる・・・
折角なので一旦絵図6で下船し、塩見縄手を歩いてみることにしました。
あちらの亀の石像、、、
甲羅にハートマーク♥
おっと、すぐに塩見縄手へ向かおうと思ったのに…こんな看板を目にしたら・・・
入っちゃうじゃない(笑)
丁度良かったので昼食も。ビールは季節限定の黒ビール、昼食メニューは出雲蕎麦にしじみご飯、しじみ汁♪
この日(2日目)の夜もしじみのだし巻き卵を食したし…これだけしじみ尽くしで過ごしたら、肝臓治っちゃうかも!?ww
…さて、今度こそ塩見縄手へ。武家屋敷や、、、
小泉八雲旧家跡などが建ち並びます。
(入りませんでしたけど…)
軽く散策を終えて再び遊覧船に乗船。絵図7の堀(城山西堀川)を南下します。
途中、こんなに狭い橋も通過、最初に乗船したカラコロ広場まで乗船しました。
さて、ここからは3日目に入ります。
前日に遊覧船でも通った、絵図3の堀。
米子橋を左折して大手に向かいます。
大手前から見上げる中櫓と南櫓(絵図8、9)
いきなり感動もののスケール!
そして、堀尾吉晴さんの銅像。
二ノ丸下ノ段の石垣(絵図でいうと「現在地」の文字がある辺り)
二ノ丸上ノ段の南櫓を内側から(絵図9)。中に入れます。
興雲閣(明治36年の完成)
当初は明治天皇をお迎えしようとしたが日露戦争の勃発によって山陰行幸は実現せず。その代わり、明治40年には当時の嘉仁皇太子(後の大正天皇)が山陰行啓の際にお泊りになったそうです。
ところで、興雲閣の現地説明板に一ヶ所ツッコミどころが…
「当時はロシア宮殿風といわれ、その名は広く近隣にとどろいた。」
って…どっちやねん!(笑)
松江神社
二ノ丸上ノ段から太鼓櫓(絵図10)
本丸へと続く一ノ門。そして・・・
遂にやって参りました、松江城天守!(絵図11)
全国に12ある現存天守の一つです。そして私にとり、12番目に訪れた現存天守。そう、遂に全国12現存天守をコンプリートしました!!
昨年9月に福井の丸岡城を訪れてリーチをかけてから丸一年、本格的に城跡巡りを始めてからは足掛け9年での達成です☆
実はこの時、まだ朝の8時頃で天守の中に入れなかった(午前8:30~)ので、しばし本丸内を散策。
天守を正面から…
天守の足元には埋め込まれた瓦・・・これは雨水による浸食防止の為、だったかな?
野面積みの石垣、好きだな~♪
ここで登閣時間になったので天守内へ♪
現存建築物のこの木材の感じ、いいね☆
天守最上階から。宍道湖が見えています。
北ノ門から本丸を抜けた先にある枡形。
搦手(絵図12)
この複雑に折れ曲がった道が、枡形虎口の名残かも♪
この日も遊覧船はひっきりなしに通ります☆
脇虎口ノ門(絵図13)から北惣門橋。
橋の向こうに見えているのは松江歴史館。その昔は重臣たちの屋敷があった場所です。
松江歴史館では天守を眺めながら抹茶などを頂くことが出来ます♪
勿論私も一休み☆
LEGOで出来た松江城天守。石垣まで本当によく出来ています。
松江城と城下のジオラマ。
大坂冬の陣で真田幸村が真田丸の櫓から松平直政(結城秀康三男。初代松江藩主)に投げ与えたと云われる軍扇(複製/本物は松江神社蔵)
100年毎の松江城下のパネル。こういう比較、好きよ♪
いや~すっかり満喫しました☆
帰りしな、大手門前では甲冑姿の武士がお見送り?!
松平直政像
最後にもう一度振り返って、松江城天守☆
うん、私にしてはじっくり時間をかけて観た方(笑)
やはり素敵なお城でした☆
2013年9月28日 (土)
宍道湖の夕陽 -山陰への旅③
出雲大社前から再び一畑電車に乗り、、、
松江しんじ湖温泉駅に到着。
※本当はこの後、遊覧船に乗って松江城のお堀を巡る「堀川めぐり」を楽しんだのですが、当ブログではこの翌日に訪れた松江城天守・他と合わせてご紹介したいので、一旦とばして先へ進めます。
堀川めぐりの遊覧船を楽しんだ後はテクテクと歩いて宍道湖大橋を渡り、、、
県立美術館の脇を抜けて夕日スポットへ。
実はこの時点でまだ午後3時過ぎ。夕日には早過ぎるのですが最早歩く気力もなく…炎天下の中を延々と腰掛けて湖畔で待機していました…(^_^;)
ただひたすら宍道湖の湖面を眺めるだけの時が2時間以上も過ぎ、「俺は馬鹿じゃなかろうか?」という疑問も湧き始めた午後5時半過ぎ、ようやく見頃がやって来ました。。。
宍道湖の夕陽。。。
少し雲が多かったのは残念ですが、何とか観れて良かった・・・
この時、周囲には同じく夕陽目当てで200人はいましたかね。一生に一度は拝んでおきたい景色であることは確か。
さ、納得したので宿に向かいます(笑)
2日目の晩は松江駅前の居酒屋にて一献☆ カウンターが空いていたこともあり、ゆったりと寛ぎながら頂く地物の肴と酒は格別ですね♪
時計を全く気にしないこういう時の流れ、本当に好きです。
出雲大社 -山陰への旅②
旅の2日目、いよいよ念願の出雲大社へ。。。
早朝の電鉄出雲市駅にて。一畑電車に乗って向かいます。
途中、乗り換えの川跡(かわと)駅にて。
到着した出雲大社前駅にて。
駅の目の前を通る参道を歩くと、すぐに正門鳥居が見えてきます。
正門鳥居をくぐり、まずはこちらの祓社にお参り。無論「二礼四拍手一礼」の作法に則って。
身を(心も?)祓い清めます。。。
松並木の参道。中央はかつて、皇族や勅使が使用した道だとか。今も一般の参拝者は左右両脇を通ります。
そもそも参道の真ん中は神様の通り道ですしね。
「御自愛の御神像」
シロウサギの神話を再現しています。
「ムスビの御神像」
・・・あえて太陽に合わせてみた(笑)
御仮殿
平成の大遷宮期間中は、こちらに御祭神・大国主大神が祭られていました。
こちらにも参拝し、、、
さぁ、いよいよ御本殿へ。
今年(2013年)の5月、遷宮で御修造なったばかりの御本殿。
神々しいばかりの存在感。本当にお参りできて良かった。
神楽殿の大注連縄。
この後は境内を出て周辺を散策。
出雲阿国のお墓にも参拝。
稲佐の浜
高天原からの使者が大国主命に「否、然(いな、さ)」と国譲りを迫ったという神話が残る浜。
島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている「宇豆柱」
平成12年に出土した巨大神殿の柱です(本物)。
古代の巨大神殿模型
館内には発掘された銅剣・銅鐸・銅矛なども展示されています。もう圧倒されるほどの数ですが、その殆どが国宝。
凄いものを拝ませていただきました。
また少し歩いて、1990年まで使われていた旧大社駅舎。
こちらの駅舎は大正13年の改築。
D51も停まっていました。
少し疲れましたがノンビリと歩き回り、満喫させていただきました☆
この後は松江に移動します。
より以前の記事一覧
- 米子城 -山陰への旅① 2013.09.28