カテゴリー「お城、史跡巡り 九州・沖縄」の13件の記事

2017年2月 2日 (木)

知念城、斎場御嶽、浦添ようどれ&浦添城 (沖縄グスクめぐり⑥)

楽しい時は過ぎるのも早いもの・・・沖縄の旅もいよいよ最終日です。
眠い目をこすりながら集合時間の7時にロビーへ下りてみると・・・どうやら別ホテルに宿泊している一人が姿を現さない模様。ま、前の晩に遅くまで遊んだからね(^_^;)
部屋に電話をかけてもらい、無事にお目覚めいただいてから出発(笑)


知念城(南城市知念知念)

最終日のスタートは、前日後半にも訪れていた南城市にある知念城。

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知念城前にあったノロ屋敷跡の石垣
ノロは琉球信仰に於ける女性神官のこと。祭祀を司り、御嶽を管理していました。
按司から屋敷地を与えられ、大切に保護されていたのでしょうか。

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知念城の城壁
知念城は主に、ミーグスク(新城)クーグスク(古城)と呼ばれる2つの郭から成ります。
写真はミーグスクの城壁(クーグスクは写真左にある斜面の上)

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正門を通ると、正面には石垣で築かれた蔀状の壁がありました。

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こうして見ると正門(右)だけでなく、裏門(左)にも蔀状の壁が設けられ、まるで枡型のようになっていますね。
こうした蔀、少なくともこの旅でめぐった城では他に例を見ませんでした。そういった意味では、かなり新しい時期に造られたのかもしれません・・・新城だけに。

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すぐ眼前の久高島(写真には写っていない)への遥拝所があった辺り。

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そして近くの山の中腹に、知念按司の墓があるというので向かったみたものの・・・

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かなり鬱蒼とした山道を登って行かねばならず、ビビリな私はハブを敬遠してパス・・・(^_^;)
ちなみに麓はウファカルといって、琉球の稲作発祥の地と伝えられているそうです。

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今では畑になっていて、水田を思わせるものは・・・これくらい?(^_^;)


斎場御嶽(せーふぁうたき)

次は、知念城のすぐ近くにある斎場御嶽へ。

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斎場御嶽へは、こちらの物産館で券を購入してから参拝します。

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物産館から斎場御嶽への道順。

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斎場御嶽は琉球王国最高の聖地
はじめに簡単なVTRで参拝の注意事項を確認してから、参道へ向かいます。

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大庫理(ウフグーイ)
「大広間」「一番座」という意味を持つ、御門口から登っていった先の最初の拝所。

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参道脇には、沖縄戦で撃ち込まれた砲弾による爪痕も残っていました。

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参道にも厳粛な空気が漂います。
心配していましたが、さすがに大陸からの観光客グループも、ここではあまり騒いではいませんでした。

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寄満(ユインチ)
意味としては「台所」。豊穣の満ちた所、と解されています。

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「聖なる水」を滴らせる2本の鍾乳石と、それを受けるシキヨダユル・アマダユルの壺。

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巨大な岩でできた三角形の通り道の先が三庫理(サングーイ)

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いざ、三庫理へ・・・

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三庫理

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三庫理からは、琉球創成の神アマミキヨが天から降臨し、国創りを始めたという神の島久高島を正面に見据えることができます。
各地に点在する全ての御嶽が拝する久高島・・・その先にあると云うニライカナイ。それが今、眼前に・・・。
この地が何故、琉球最高の聖地と成り得たのか・・・それを明瞭に物語ってくれるような光景でした。

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去り際、見送りに来てくれた小鳥。


浦添ようどれ浦添城(浦添市当山)

3泊4日の沖縄旅、ラストは浦添へ。

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浦添城図

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まずは13世紀の中山王・英祖、そして第二尚氏七代・寧の陵墓である浦添ようどれへ。

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浦添ようどれの石垣
「ようどれ」とは「夕凪」の意味。それだけだと、なぜ陵墓にそう名付けられたのか分りづらいのですが、他に「極楽」という意味もあるそうです。それなら・・・なんとなく分かるような気もしますね。
背後にある浦添城共々、ようどれは沖縄戦に於いてアメリカ軍の激しい攻撃に晒され、破壊されています
近年、発掘調査に基づき修復されて戦前の姿を取り戻しました。

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現地には戦前の古写真も展示されていましたが、岩肌の形まで随分と変わっていました
砲撃の激しさを物語っているかのようです。

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このアーチ門を抜けた先に・・・

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英祖王(手前)、尚寧王(奥)の眠る墓室があります。

続いて浦添城へ。
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復元された浦添城の石垣

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あちらの石垣も復元のようです。
沖縄戦での破壊により、遺構らしきものは殆ど残っていません。

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城跡内にあるディークガマ御嶽
沖縄戦により、市内各地で亡くなった5,000人もの人々を祀る「浦和の塔」もありました。

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かすかに痕跡を留めている浦添城の石垣

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浦添城の前の碑
1597年、浦添城と首里城とを結ぶ道路を建設した際の、竣工記念碑。尚寧王の命で国民が力を合わせ、道を築いた様子が具に記されています。
こちらも沖縄戦で破壊されたため、1999年に復元されました。

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確かに浦添城から、首里城の正殿の屋根も見えていました。
(写真中央、小高い丸い丘の左上)

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石碑前の岩は「馬ヌイ石」、馬に乗るための踏み台と考えられています。
とすると、その首里城とを結ぶ道はこの辺りから延びていたのでしょうか。

さて、これにて3泊4日に及ぶ沖縄グスクの旅も終了です。
この後は空港へ向かい、昼食がてらに簡単な打ち上げの後、各自のフライト時間に合わせて追々解散となりました。

初めて訪れた沖縄の地。
今回はグスクめぐりに主眼を置いた旅で、実際に訪れたグスクはどれも刺激的で素晴らしかった。
それと同時に、各地をめぐっているうちに自然と目にし、肌で感じることになる72年前の沖縄戦のこと、沖縄の人々の信仰のこと。。。
沖縄に限ったことではないが、旅をする時はその土地の歴史や風習、風土に敬意を払って臨まなくてはならない・・・改めてそう感じた4日間。
特に沖縄では「信仰」というものに、強烈な印象を刻まれました。

楽しく、有意義な旅を共有できた旅仲間にも感謝です。ありがとうございました(^_^)/
・・・次の機会には、7時に起こして桃色の○○○履かせ、緑の財布を持って波に弄ばれましょ~(^m^)

※全6回に渡って記事を上げてまいりましたが、何分、沖縄の歴史には疎いので、随分と薄っぺらい内容になってしまいました・・・。
より詳しく知りたい方は、旅の同行者がブログにまとめてくれているので、そちらも是非☆
山城Love☆ (カテゴリ「九州・沖縄地方」)

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糸数城、玉城城、垣花城、島添大里城、他 (沖縄グスクめぐり⑤)

糸数城(南城市玉城糸数)

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3日目後半は、南山地方のグスクが点在する南城市へ移動、まずは糸数城に到着です。
いきなり心奪われる光景がお出迎えしてくれました。

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城門
糸数城は、玉城(この後訪れます)の按司が自らの三男を糸数按司に任じて築かせたと伝わる城。

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見事な曲線を描きだす堅牢な城壁がとても美しく、感動すら覚えます。

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城門を抜け、城壁を城外側から。
櫓台のようにせり出した箇所もありました。
ちなみに、隅をとんがらせる隅頭石は見当たりません・・・地域差・築城年代などが関係するのでしょうか?

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城門を抜けた先は広い平坦地になっています。
石積みで区画された空間がいくつか散見され、城外ではありますが何らかの居住空間・施設があったものと思われます。

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では、城壁に上がってみます。

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城壁には武者走り状の通路が設けられていました。

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糸数城の城壁・・・素晴らしい

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台地の突端のような場所に築かれた糸数城。
従来はこの城壁が下に見える城壁と繋がっており、林道の辺りにも搦手の門があったのかもしれません。


玉城城(南城市玉城玉城)

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玉城城・・・別名アマツヅ城とも。
沖縄の国土を創成したと云う沖縄神話の神・アマミキヨが築いた城との伝説もあります。
但し、アマミキヨは女神とのことですが。

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玉城城からの眺め
既に夕方近い時刻でしたが、海の青がよく映えていました。

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自然の断崖を利用した一の郭の城壁。上部は石垣で整えられています。
玉城城には段階的に二の郭、三の郭もあったようですが、それらの城壁の石材は基地建設の用材として、米軍が運び去ってしまったようです。

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自然の岩盤をくりぬいたかのような城門

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城門を郭内から
内側には石垣が積まれていました。

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一の郭

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一の郭に祀られる「天つぎあまつぎ」の御嶽

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伝承通りなら沖縄最古ともいえる城。
凄い歴史が残っているものです。。。


垣花城(南城市玉城垣花)

垣花城に関しては特に記録・伝承もなく、詳細は不明です。
城内に残る石垣の垂直に近い野面積みの技法から、グスク時代初期の築城と推測されています。

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確かに垂直の野面積み・・・

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しかし城域全体に鬱蒼と樹木が生い茂り、ハブも怖いので早々に退散しました・・・(^_^;)

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垣花城からご覧のような切通の石畳小路を抜けると・・・

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全国名水百選にも選ばれている垣花桶川(ヒージャー)があります。

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垣花の町角で見かけた古い石敢當(いしがんどう/いしがんとう)
魔除けの風習で、沖縄ではマジムンという魔物が直進する性質を持ち、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうとされていることから、その丁字路や三叉路などの突き当たりに多く見られます。
塀に表札のようなプレートを埋め込んだものも多く見かけました。


島添大里城(南城市大里大里)

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3日目ラストは島添大里城
南山王・島添大里按司によって築城されたと伝わります。
後に三山統一に乗り出した尚巴志が、真っ先に攻略した城としても知られています。

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現在、城跡は公園になっていましたが、かつては小学校が建てられていたこともあったようで、遺構の残存状況はよろしくないようでした。
南山王の城だけあって、往時はかなり大きなグスクだったようです。

さて、3日目のグスクめぐりもこれにて終了。
結局、1日で11ものグスクをめぐることができました。前日に回れなかった分を補って余りある成果ですね。

夜は勿論、那覇市内で乾杯☆
沖縄での最後の夜は、2次会にカラオケへ。近づく旅の終わりを惜しむかのように、遅くまで盛り上がりましたとさ♪

履かせて~履かせて~♪ 桃色~○○○~♪♪

※4日目へつづく

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2017年2月 1日 (水)

中城城、具志川城、米須城、南山城、他 (沖縄グスクめぐり④)

中城城(中城村泊)

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阿麻和利の勝連城を訪れたら、護佐丸の中城城にも行かない訳にはまいりません。

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中城城図
順路に沿って図面左の、裏門から回ります。

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中城城は先中城按司が数代に渡って築き上げてきた城で、座喜味から移った護佐丸により、北の郭・三の郭が増築されて現在に残る形になりました。
勝連城の記事でも書きましたが、護佐丸は謀反の疑いを掛けられ、勝連の阿麻和利の軍勢が王旗を掲げて攻めてくると抵抗することもなく、中城城で自害して果てます。

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模型と並べてみるw

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裏門
1853年に来島したペリー艦隊一行は、この石造りのアーチ門を「エジプト式」と評しています。

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護佐丸が拡張した北の郭より。
左隅には、グスクでは珍しい狭間も。

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自然の断崖上に築かれた城壁がとにかく美しいです。
北の郭には大井戸(ウフガー/写真下、樹木の陰になっている箇所)もあります。

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西の郭への石門

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二の郭

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二の郭から三の郭を見下ろす。

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同じく、二の郭から一の郭の城壁。

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一の郭へのアーチ門
奥に南の郭へ抜けるアーチ門も見えています。

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二の郭内にある拝所

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一の郭

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南の郭にあった久高遥拝所
南の郭は城内の神域だったようです。
久高島は神の島とされる沖縄信仰の聖地。各地で見られる御嶽・拝所は皆、久高島の方角に向いているのだそうです。

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正門
こちらはどうやら、櫓門になっていたようです。

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南の郭の更に先へ抜けると・・・“例の”廃墟が(^_^;)

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南の郭の城壁を見上げる。狭間が2つ並んでいます。
足元の岩が窪んだ場所はカンジャーガマ。鍛冶を行っていたところで、阿麻和利に備える護佐丸が武具を用意させていたとも伝わります。

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中城城跡の近くには、その護佐丸の墓所もあります。
藪を警戒していましたが、参道は綺麗に整備されていました。

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護佐丸の墓所
最古の亀甲式墓と推定されています。

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ここに眠りながら抱く思いは無念か、それとも・・・


具志川城(糸満市喜屋武)

さてお次は沖縄本島最南端の城、具志川城です。
到着後、まずはロープを頼りに急坂を海岸へ下りてみます。

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海岸から見上げる具志川城
断崖絶壁の上部に石垣が見えています。
写真右手、絶壁には不思議な洞穴もありました。

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その洞穴
中へ入ってみると・・・

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頭上の郭と繋がっていました。
周囲は船着き場のようにもなっていたので、荷物の上げ下ろし有事の際の脱出口だったのかもしれません。

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久米島での覇権争いに敗れた久米島具志川城の真金声按司がこの地に逃れて城を築き、郷里と同じ名前を付けたと伝わります。

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自然の断崖が海岸にせり出した部分。側面をやはり石垣で固めています。

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具志川城跡から望む喜屋武岬
言わずと知れた沖縄戦の激戦地で、米軍に追い詰められた住民や日本兵が身を投げて自決を図った地です。
グスクとは時代こそ違え、決して忘れてはならない沖縄の歴史。

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断崖上に屹立する石垣の城壁

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郭内
柵の中に、海岸の洞穴と直結する穴(ヒーフチミー)があります。

周囲の景観といい、見栄えのする城でした。


米須城(糸満市米須)

米須城には、とある仇討ちの伝説が残っています。
米須按司の美しい妻に横恋慕した家来が密かに按司を殺害し、その妻に自らの妻となるよう迫ります。
それで夫を殺した犯人を悟った妻がその家来を討ち、仇をとったというもの。

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これまで訪れた城と違い、殆ど整備はされていません。
郭へ向かう通路の脇にも石積みが見えます。

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これが郭の虎口かな?

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郭を囲む石垣

結構藪っており、正直ちょっと分りづらい城でした…(^_^;)


南山城(糸満市大里)

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南山城の跡地とされる地に建つ南山神社

南山城は、尚巴志によって琉球の三山が統一される過程で、最後に攻略されたと伝わる城です。
現在は神社や小学校の敷地になっています。

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神社の石垣に残る、或いは現存?と思われる石垣。
この面だけ明らかに古く、石の成形なども周囲とは異なっていました。

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緑のネットが張られている辺りが、城の本来の門跡と思われます。
土塁っぽく見えているのは・・・城壁の名残かな?

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こちらもおそらく御嶽でしょう。

さ、次は・・・楽しみにしていた糸数城へ向かいます。

※つづく

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座喜味城、安慶名城、勝連城、他 (沖縄グスクめぐり③)

沖縄旅3日目。
前日にあまり回れなかった分、この日は朝からガッツリ城を攻めます。
まずは那覇市内、初日にゆいレールの車窓からも見かけて気になっていた場所へ・・・

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崇元寺跡の三連アーチ型石門です。

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崇元寺は臨済宗寺院で第二尚氏の廟所でしたが、残念ながら第二次大戦の沖縄戦で焼失してしまいました。


座喜味城(読谷村座喜味)

さて、この日の1城目は座喜味城です。

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座喜味城碑

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座喜味城は、尚巴志の北山攻略にも参戦した護佐丸の築城と伝わります。

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アーチ門
このアーチ門、最頂部に楔が打たれているのが特徴で、他に類例がないことから、沖縄で現存する最古のアーチ門とも推定されています。

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二の郭

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二の郭と一の郭の城壁に挟まれた通路状の空間。
ここを進むと・・・

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不思議と行き止まりに・・・どんな意図で設計されたのでしょうか?

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城壁からの景色
城のすぐ横は谷のように落ち込む地形・・・前日の今帰仁城で見た光景とよく似ています。
琉球で城を築く際の、一つの特徴的な選地条件なのかもしれません。

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城壁
曲線を伴う屈折がなんとも美しいです。

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第二次大戦時に、日本軍が砲台を置いたと思われる場所。
明らかに城の縄張に含まれそうな位置・地表面形状ですが、石垣のようなものは一切見受けられません。
城壁などは砲台構築の際、もしくは敗戦後に破壊されたものでしょうか。

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城壁上から見る二の郭
2つのアーチ門を同時に視界に捉えます。

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こちらは一の郭

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アーチ門越しの・・・アーチ門(笑)

朝一番からいい城を観れました。
次は安慶名城へ向かいます。


安慶名城(うるま市安慶名)

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安慶名城登城口
周囲はゲートボール場などがある広い公園ですが、ここからは鬱蒼とした樹木の中の山道となります。
念の為、ハブに警戒しながら慎重に進みます。

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しばらく登ると側面の岩肌に、石が積まれた壁のような場所が現れます。
こちらは、安慶名按司の墓と考えられているそうです。

按司」とは主に、地方豪族の首長の称号として用いられていました。
その後、尚氏の時代になると王や王子に次ぐ王族の称号へと変化していきます。

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自然の岩を利用した城門
片面のみ、石垣を用いています。この城門を抜けた先に・・・

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素晴らしい光景が待っていました。
切り立った断崖に積まれた石垣、そして周囲を横堀(帯曲輪?)のように取り囲む城壁・・・古めかしさがまた武骨で、とても格好いいです。

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ちょっとアングルを変えて・・・思わず溜息が漏れそうです。

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眼下には闘牛場が。
沖縄では闘牛を「ウシオーラセー」といい、古くから親しまれてきたそうです。
近年、近くに新しい闘牛場ができたようですが、こちらでもまだ、今でも年に1~2回開催されているとのこと。

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背後(西側)の城壁

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郭内にあったこちらは・・・やはり御嶽か?

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一段低い位置で、主郭周囲を取り囲む城壁

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その城壁伝いに闘牛場の方へ下ります。

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安慶名城、期待に違わぬ素晴らしいグスクでした。


勝連城(うるま市勝連)

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次は勝連城にやってきました。

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勝連城イラスト図
勝連城は阿麻和利の城として知られます。

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阿麻和利は、元の勝連按司を倒して城主の座に収まった人物。
勝連を拠点に勢力を増す阿麻和利を警戒した首里の尚泰久(第一尚氏六代)は、娘を嫁がせてその懐柔を図ります。

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正史によると、密かに王統簒奪を目論む阿麻和利は、やはり勢力と名声に富み、目触りとなる護佐丸(中城城/王の室の父)の排除を図り、泰久王に護佐丸謀反の嫌疑を讒言、討伐の軍勢を差し向けました。
王旗を掲げて攻め寄せてくる阿麻和利の軍勢に対し、護佐丸に抵抗の意思はなく自刃して果てたと云います。
後に阿麻和利の真意を知った王により、阿麻和利自身もここ勝連で討伐されるのですが・・・
この辺りの歴史は、護佐丸・阿麻和利のどちらが善悪ということではなく、結局のところは配下の勢力拡大を恐れた泰久王が、両者の排除を図ったというのが真実に近いのではないかと、個人的には思えてきます。

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鍛冶屋の仲間家が使用した泉(井戸)との伝承から、「仲間ヌウガー」「カンジャー(鍛冶屋)ガー」と呼ばれる井戸跡。
(ガーとは井戸や泉を指す言葉)

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三の郭へ向かいます。

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三の郭の城門跡
ここには四脚門が建っていました。

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三の郭から、二の郭・一の郭を見上げる。

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二の郭

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二の郭、火の神を祀るウミチムン

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同じく二の郭、「身を隠して凌ぐ洞穴」との意味である「ウシヌジガマ」と呼ばれる洞穴。
すぐ頭上の一の郭の洞穴と繋がっており、このことから阿麻和利はここから脱して、読谷村まで逃げ延びたとの伝説もあるとか。

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一の郭への階段
上に行くに従い、幅が細くなっていきます。

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一の郭

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勝連を守護する霊石を御神体とする「玉ノミウヂ御嶽」と、ウシヌジガマに繋がる洞穴。

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一の郭から見下ろす二の郭、及び三の郭
やはりここでも、築城地形の共通性が見受けられます。対岸は東の郭。

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最後に四の郭の城壁へ

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城壁が道路に寸断されている付近にはかつて、西原御門がありました。

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模型で言うと、写真中央部分になります(手前)。

勝連城・・・整備も行き届いて全体構造を把握しやすく、グスクのスケール感を肌で感じることができました。

※3日目はまだまだつづきます・・・

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2017年1月31日 (火)

今帰仁城、古宇利大橋、美ら海水族館、玉陵、他 (沖縄グスクめぐり②)

沖縄旅2日目。
朝一番でレンタカーを確保して高速道路を一気に北上、まずは今帰仁城(今帰仁村)を目指します。

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今帰仁城図
今帰仁城は北山王の居城だったと伝わる城です。
15世紀前半、北山は中山の尚巴志(後に南山も滅ぼして琉球を統一した第一尚氏の二代)に攻め滅ぼされ、それ以降は旧北山地方統治の拠点として、今帰仁城には監守が派遣されるようになります。
1609年、薩摩の島津氏が琉球に侵攻してくると、今帰仁城はその第一攻略目標とされ、あえなく落城の憂き目に遭いました。

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今帰仁城模型

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外郭の城壁
琉球の城は、この独特の曲線を伴う城壁が特に格好いいですね。

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平郎門から中心部内へ。

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平郎門の脇、城内で一番高いという大隅の城壁。
うねりのような曲線が見事です。

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平郎門

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カーザフ
カーは「川」や「泉」、ザフは「谷間」を意味します。名前からして、昔は水を湛えてていたのでしょうか。

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平郎門を抜け、大庭へと続く城の旧道。

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大庭から、一段上の主郭方面。

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大庭にあるソイツギ(城内下之御嶽)

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御内原から、大隅の城壁越しの眺め。
これぞグスク!って感じの偉容ですね。

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こちらは志慶真門郭を眼下に収める眺め。
城壁奥の地形がまた凄い・・・。

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御内原のテンチジアマチジ(城内上之御嶽)・・・今帰仁城の守護神。
御内原は男子禁制だった聖域で、国家繁栄や五穀豊穣、子孫繁栄などを祈りました。

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主郭

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今帰仁里主所火の神の祠。
第二尚氏時代の北山監守一族の火の神を祀っています。

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主郭から志慶真門郭へ抜ける石門

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志慶真門郭
出土品などから、城内で仕える人々の生活空間と推定されています。
写真左上が主郭の石垣。

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志慶真門郭の外郭城壁

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城跡前にあったお店。こちらで・・・

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試しにサトウキビ・ジュースを買ってみました。
・・・脳天に突き抜けるような甘さです(笑)

今帰仁城・・・素人目線の感想ですが、これぞグスク!といえる特徴の詰まった、とても象徴的な城に感じました。

さて、折角沖縄まで来たことだし、予報に反して空には晴れ間も覗いている・・・という訳で、今帰仁城から程近い古宇利島にも立ち寄ってみることになりました。
・・・何故か出発後、すぐにまた今帰仁城跡へUターンせざるをえなくなるハプニングもありつつ(笑)

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古宇利大橋で古宇利島へ渡るの図
古宇利島の海岸でしばし波と戯れ(波に弄ばれている人もいましたがww)、昼休憩のために再度橋を渡り・・・

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美らテラスへ。
こちらで海を眺めつつ、お昼をいただきます。

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私は海ぶどうのスペシャル丼を選択しました。
なんともカラフル♪
(この旅で食した海ぶどうの中では、ここのものが一番粒も大きくて美味しかったです)

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美らテラスから古宇利島を眺める。

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古宇利大橋
海の青さが、信じられないくらいに美しかった。。。

更に更に、これも折角沖縄まで来たんだから・・・

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という訳で、美ら海水族館にもお立ち寄り(笑)
ジンベエザメ・・・でかっ!

凄まじい入館者の数、そして某大陸国からの観光客の自撮り棒乱立に多少辟易しつつ、駆け足気味に見学して回りました。

美ら海水族館を出たら、今度は一気に那覇市内へ戻ります。
一日遅れで那覇入りした最後の参加者とも合流し、2日目のラストは首里城近くの・・・

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第二尚氏の陵墓玉陵(タマウドゥン)へ。
美ら海水族館からの移動距離、そして那覇市内の名物渋滞にハマって拝観時間ギリギリでしたが、なんとか間に合いました・・・。

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参道を進むと見事な石垣が現れます。

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玉陵・・・正面より。

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玉陵は1945年の沖縄戦で甚大な被害を受け、1974年より3年の歳月を掛けて修復されました。

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歴代の王族らが眠る石室

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向かって左から、王と王妃の東室・洗骨前の遺骸を安置する中室・限られた家族の西室

さて、2日目の行程はこれにて終了。
今帰仁城が那覇から遠くて移動に時間を要したこともあり、グスクは結局1城だけになりました。
それでも沖縄らしい観光もできたし、これはこれでよかったかな。

この日も夜は、国際通り近くのお店で2次会まで。
1軒目のお店は料理も美味しく、店員さんの感じも良くてGoodでした。

この日回れなかった分、3日目はガッツリ城をめぐります。

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2017年1月30日 (月)

首里城 (沖縄グスクめぐり①)

2017年1月20~23日の3泊4日で、初めて沖縄を旅しました。
冬の沖縄・・・目的が海ではないのでいいんです。沖縄といえば、グスク(城)でしょう!
※当blog内では文意によって「城」「グスク」を使い分けることもありますが、基本的に城名を記す時は「城」と表記します。

初日はお昼過ぎに無事、那覇空港に到着。
全参加者6名の内、私を含む3名が同じような時間帯に到着する予定でしたので、一番乗りだった私はそのまま空港で残りの2人を出待ち(笑)
無事に合流後、ゆいレールで移動して一旦ホテルにチェックインした後、再びゆいレールで首里城へ向かいます。

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沖縄都市モノレール「ゆいレール」
1日乗車券700円を購入すると購入時間から24h乗り放題で、しかも首里城の入城券も団体割引が適用されます。

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首里城図
まずは図の左側から赤いラインに沿って、外周の城壁から観ていきます。

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琉球石灰岩で積まれた、沖縄独特の曲線を帯びた石垣。
隅のピョコっと飛び出たとんがりも特徴的ですね。あれは「隅頭石」というのだそうですが、どのような意図があるのかは、実はよく分かっていないのだそうです。
単にデザイン的なものなのか、或いは宗教的な意味合いでもあったのか・・・。

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・・・このスケール!

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久慶門

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第二次大戦時に築かれた日本軍第32軍司令部の壕跡

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園比屋武御嶽石門
この門の奥にある御嶽(ウタキ)は、国王が外出の際などに拝礼した場所で、国家の聖地でもあります。

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歓会門から東の方角
奥に正殿などの屋根も見えています。
が、この時点(午後4時頃?)までお昼を食べておらず、お腹が空いたので正殿は後回しにして・・・

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先に腹拵え(笑)
折角なので、ソーキそばをいただきました。

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お腹も落ち着いたところで、首里城の中心部へ向かいます。

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左:広福門/右:漏刻門

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広福門前からの眺め・・・城壁が格好いいですねぇ~

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奉神門前にある首里森御嶽
琉球神話に於ける神がつくった聖地で、城内で最も格式の高い拝所の一つ。
首里城には「十嶽」といって、城内に10ヶ所もの御嶽があったと云われています。
この後の旅で訪れる各城にも、必ず御嶽(拝所)がありました。そしてそれらは単なる城の遺構の一つなどではな、今も祈りを捧げに来る人がいることを知りました。
今も昔も、そして身分の上下も関係なく、信仰が人々の生活に深く根付いていることに大変驚かされました。

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正殿前の御庭へ通じる奉神門

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正殿と御庭

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正殿二階の御差床
国王の玉座で、主に儀式や祝宴の際に出座しました。
正月儀式などでは国王はこの御轎椅に座り、御庭に居並ぶ諸官の拝礼を受けます。

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一階の御差床
こちらは政治や儀式を執り行う場所であったとか。

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一階には床がガラス張りになっている箇所があり、地下に眠る石垣が見えるようになっていました。

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現存と復元石垣の境界
こうして見比べると結構違いますね・・・現在、首里城で目にすることのできる石垣は、その大半が復元のようです。

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瑞泉門

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歓会門
日も暮れて、ぼちぼちライトアップが始まりました。

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御存じ守礼門

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ライトアップされた諸建築物を目当てに、再び広福門前へ。

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奉神門もライトアップ
しかし、残念ながらタイムアップで正殿前の御庭には入れませんでした。

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ちょいと城外に出て・・・真珠道
16世紀に築かれた、首里城と那覇港を結ぶ軍用道です。

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城壁のライトアップ・・・歓会門脇から。

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首里駅へ戻りがてら、城壁に沿って東へ進みます。

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ライトの当たっている部分の雑草が特に生育がいいように思えるのは・・・きっと気のせいではないでしょうね(笑)

グスクめぐりオフの前乗りで訪れた首里城。
特別、大きな期待を持って訪れた訳でもありませんでした(←失礼)が、さすがは琉球王朝の王城。
広大な規模と、石垣造りの独特な城壁には痺れました☆

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首里城をあとにした我々は、ゆいレールの牧志駅から県庁前方面へ、国際通りをブラブラと歩いて前夜祭?のお店を探すことにしました。

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夜の国際通り

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で、選んだお店がこちら。
沖縄料理や泡盛は勿論、店員さんたちによる沖縄民謡の披露などもあって楽しいお店でした。
2次会からは、遅れて那覇に到着した2名も合流して盛り上がりました。

翌日からいよいよ、本島各地のグスクめぐりをスタートさせます。

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2013年8月14日 (水)

名護屋陣跡巡り (城人オフ in 佐賀)

さぁ、旅も大詰め!
名護屋城周辺には、唐入りに向けて秀吉の命で呼び集められた日本全国の大名たちが朝鮮半島への出陣、或いは滞陣の為の陣屋・陣城を築いています。
とても全部を回ることは出来ませんが、その中からいくつかをPick upして巡ります♪


◆木下延俊陣跡

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まずは博物館裏にある木下延俊(秀吉の正室・おねの甥)の陣跡へ。

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遺構はかなり「薄く」なっている印象でしたね。
坂を下った先などに何かありそうな「匂い」はしていたけど、、、ここには木の通路が設置されていて、これを外れて探索できなかったので確認出来ず。

次の陣跡に移る前に、波戸岬の国民宿舎内にあるレストランで昼食。
やはり佐賀に来たからには・・・

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呼子のイカー!!
まだ活きてる!透き通ってるっ!!!・・・って皆大騒ぎ(笑)

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刺身を食べ終えるとこんな姿に…(^_^;)
残ったゲソや頭頂部は・・・

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塩焼き♪ や、、、

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天麩羅♥ にして供されます。
どれもこれも美味しいのなんのって・・・もう東京のスーパーのイカは食えないかも(笑)
ごちそうさまでした♪


◆増田長盛陣跡/北条氏盛陣跡

呼子のイカをとっても幸せな気分で堪能した後は、国民宿舎のすぐ隣にある増田長盛、及び北条氏盛の陣跡へ。

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こちらは増田長盛陣跡に残っていた石積み。
木が密生する藪の中にあります。

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足元には、この様な側溝跡も点々と一直線に続いています。
他にも斜面を平らにならして曲輪にする為の土盛りなどの遺構もありましたが、写真ではお伝えできないので割愛。

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続いて北条氏盛陣跡へ。。。

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藪に分け入らずとも土塁が確認出来ましたが・・・ろくな写真が無かったので旗竪岩だけご紹介…(^_^;)


◆島津義弘陣跡

ここからはそれぞれ、少しずつ車で移動します。

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二段に別れた石垣。これだけでも凄いと思っていたのに・・・

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なんとまぁ、立派な石垣!
島津家は本国からの兵や物資の到着が遅れ、義弘が散々嘆いていたエピソードも有名ですが…いつの間にこんな立派な陣を構えたんですかね?

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いくつもの細かい区画に分けるかのような石積みも・・・
反って横の連携を妨げかねないし、陣城として考えると少し違和感も残る。
まさか周辺の石垣から崩れた石を、後世の誰かが寄せ集めたなんてことはないよね・・・

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T字に積まれた石積み。
島津義弘陣跡、一部謎は残るが大満足☆


◆生駒親正陣跡

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こちらは島津陣跡とはうって変わって細かい石で積まれた石積みが特徴的でした。

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こんな感じ。
どんな理由があるのかは分からないけど、大名間でも違いがあって、、、
実に興味深い。(by 湯川教授)


◆古田織部(重然)陣跡

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お次は古田織部の陣跡へ。
名護屋城の搦手が見えています。

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ここは綺麗に整備の手が入っています。

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織部さんも結構立派な石垣を構築したのね。

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石垣の脇に山百合が自生していました。
さすがは織部、侘びってるねぇ♪


◆前田利家陣跡

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さすがに大大名だけあって、とても立派な虎口なのですが・・・
如何せん藪が酷い!(^_^;)

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虎口周辺の石垣は確認できるものの・・・

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その先へは進めず・・・
この後、車での移動中に前田陣の搦手側を通り掛かったのですが、そちらにもヒッソリと立派な石垣が佇んでいました。お時間ある方は是非確認してみてください。


◆堀秀治陣跡

陣跡巡り、ラストは堀秀治。
車から降りて早速虎口を正面から覗き込んだら・・・

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どツボ!(笑)
正面の行く手を遮る土塁とか大好物ですねww

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少し薄くなってるけど、手前にはもう1本土塁が築かれており、2度3度と侵入者の行く手を屈折させています。あの先も更に・・・

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もう1度折っています☆

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城内側から。クネクネな様子、ハッキリ伝わりますよね?
もうね、この虎口だけでご飯3杯いけます!(笑)

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本丸?への虎口。ここには石垣が。

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本丸。建物礎石跡が展示されています。

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本丸から更に先に伸びる曲輪。途中で堀切が横切っています。横に線が入っているので分かり易いですね♪

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各曲輪の周囲にもご覧のように、堀が穿たれています。
虎口の構造といい、曲輪の配置といい、堀といい、規模といい、、、これはもう立派な山城ですね。堪能させていただきました。

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どこかから見付けてきたみたい(笑)

さぁ、これで陣跡巡り、そして福岡~佐賀と巡った旅も終了です。
最後に流星☆さんのご希望で大谷吉継の陣跡の前に立ち寄ってから博多へ。
博多駅前で解散、福岡空港で同じ便に乗る寺さんと打ち上げの乾杯をしてから東京への空の旅へ・・・。
(そうそう、時間ギリギリまで飲んでいたので館内放送で「出発時刻が迫っております、お急ぎください!」との呼び出しを受けるという初めての体験もしましたw)

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帰りの空の旅も至って順調、定刻より早く到着しました。
写真は羽田から乗ったリムジンバスの車内。まさかのりらっくまバス…(笑)

いやーあまりに楽しかったので早く次の旅に出ることしか頭にない!(笑)
今回もお世話になった皆様、本当にありがとうございました☆また何処かの旅の空でお会いしましょう!

PS.酒席ではご迷惑をお掛けすることなく済んでホッとしています?!(^_^;)
(おわり)

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肥前名護屋城 (城人オフ in 佐賀)

朝7時、唐津駅前に集合したこの日の参加者は総勢8名。
車2台に分乗して出発!

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あむさん・・・煽り過ぎだから(^_^;)
アグレッシブだなぁ・・・(笑)

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交差点の名前が!?・・・いよいよ近付いて来ましたね☆

そうです、秀吉による唐入り(朝鮮出兵)の大本営、肥前名護屋城です!
博物館近くの大手口から攻城スタート☆

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なんだか、いきなり凄いんですけど・・・

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破城(城割)の跡。
名護屋城には至る所にこうした破城の跡が残ります。理由はいくつか考えられますが、本格的に破城が行われたのは島原の乱の後とのこと。2度と再び一揆勢が立て籠もった原城の如く、軍事利用されることのないように、ということだったのかもしれません。

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博物館の向こうに見える丘は木下延俊の陣跡(後ほど行きます)。

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東出丸からの眺め。眼下に多くの大名の陣跡が広がります。

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三の丸。あの石垣の向こうに本丸があります。

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三の丸の井戸跡。

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苔生した石垣の風情は問答無用でいい!(笑)

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本丸にて。発掘により出土した名護屋城本丸、初期段階の石垣。
このことにより、本丸が何らかの理由で拡張されていたことが判明しました。

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多聞櫓跡の礎石が出土した地点。この辺りでも内側に初期の石垣ラインが発見されており、多聞櫓の幅の分だけ拡張されていました。
奥に見えているのが天守台。

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名護屋城天守台

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天守台にて。視界が良ければ対馬も望めるようですが・・・あいにくこの日は霞んでしまって確認出来ませんでした。

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天守台から眼下の遊撃丸。
虎口奥に築かれた蔀(しとみ)状の土塁が何気にツボ(笑)
この左側には二の丸が広がります。

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う~ん、真っ青な海も拝みたかったなぁー残念!

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でもまぁ、素晴らしい眺めであることには変わりありません☆

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空も綺麗♪(=暑い!)

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さて、こちらは上山里丸の虎口。
山里丸は秀吉の居館があった場所だそうです。
・・・ふ~ん、本丸じゃなかったんだね。

上山里丸跡には現在、広沢寺というお寺が建っています。

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その境内に植えられた蘇鉄。
なんと加藤清正が朝鮮から持ち帰り、秀吉の為に献上したものと伝えられているそうです。清正っていろんなものを持ち帰っているよね、石とか。案外ミーハー?(笑)

この蘇鉄の奥には秀吉の遺髪塚もあるそうですが・・・拝観はできません。

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下山里丸の虎口。格好いいっ!!

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肥前名護屋城図屏風に描かれた往時の様子。手前が山里丸、みたいです。

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一体何度、屈折させているんだ?凄いなー

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上から。もう見ているだけで楽しい!(笑)

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水手口から再び入城し、二の丸にて。
ここにも破城の跡が連続しています。

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遊撃丸から天守台。手前は天守台の上から見えていた蔀状の土塁。
あれによって二の丸からの虎口の進入路を屈折させています。
※あまりの暑さの為、木陰にて休憩中(^_^;)

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馬場跡

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弾正丸から馬場下の破城跡。

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搦手口から。今何かと話題の原子力発電所(玄海)が見えています。。。

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搦手虎口

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連続する破城跡を重ねるようなアングルで・・・

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名護屋城博物館に展示されていたジオラマ。
しばらく展示品を見学した後、今度は各大名の陣跡をいくつか巡ります。

いや~それにしても良かった、名護屋城☆
文禄・慶長の一時期、ある意味この地に政権の中枢が置かれていた、と言っても過言ではないもんね。さすがの威容!

(つづく)

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唐津城 (城人オフ in 佐賀)

オフ会2日目(旅の3日目)、最終日です。
この日の集合時間は午前7時。その前に早朝の城攻め!ってことで同じホテルに泊まっていたゆっきー&流星☆さん夫妻と、近くの唐津城へ。
(車で向かっている途中、朝のお勤め=お散歩中のサイガさんとも出くわすw)

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本丸へと続く階段を上っていると・・・

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なんとクワガタ!すげぇ…お店以外では初めて見たw

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唐津城天守(復興)
現在、石垣修復工事中で何とも情けない姿になっています。。。

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まぁ、でも今だけの貴重な姿ではありますね(^_^;)

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そういえば唐津城内には猫が多かったなぁ。
このコなんかどういう訳だか、しばらく我々のあとを着いて離れなかった(笑)

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朝焼けの唐津湾。

さ、それでは集合場所に向かいますよ☆

(つづく)

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獅子ヶ城 (城人オフ in 佐賀)

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獅子ヶ城は佐賀県唐津市にあった山城です。戦国期には大友氏や竜造寺氏等の勢力圏の境界にあたったようで、度々争奪戦の舞台ともなっています。
かなりの山の上にありますが、三の丸近くまで車で登れます。

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まずは出丸(1枚目の写真の縄張図右)に向かいます。
いきなり現れた出丸と主郭部を隔てる堀切。

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こちらが出丸。この曲輪の周囲には縄張図にも描かれている通り、竪堀や横堀?が穿たれていて実際に確認しました。
が、写真だと何が何だかさっぱり伝わらないので省略します…(^_^;)

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三の丸まで登ると、いきなりこんな素敵な石垣がお出迎えしてくれます。。。

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苔生した感じがまたいいねぇ・・・

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シダなどの植物に覆われていますが、ここも石垣。横矢を掛けられるように屈折させてあります。

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ほぉ~♪

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岩盤をくり抜いた虎口?です。
写真右上には岩盤に石垣を組み合わせた部分も見えています。

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この岩盤、表面にノミなどの痕がハッキリと残っており、城の機能として人工的に形を整えた様子が窺えます。

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井戸曲輪を経て、一の曲輪付近の石垣。そして・・・

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真っ直ぐ一直線に伸びる石垣。もう圧巻!!
凄い、山城にこれほどの規模の石垣を築くとは・・・!

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その石垣の上を進む参加者達♪
一直線の真っ直ぐなラインがハッキリ分かります。

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反対側からも・・・素晴らしいとしか表現できない。

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本丸にて

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本丸虎口の一つ。
本丸も勿論、周囲をガッチリ石垣で固めています。

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ほら、こんな感じで・・・

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本丸周囲の石垣は石の大きさが揃えられている箇所が多く、かえって見た目に独特なものを感じました。

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奥と手前の石垣のコントラスト、もう少し上手く撮りたかったんだけど・・・

それにしても、総石垣の山城の迫力は凄い。
これほどの石垣技術は間違いなく戦国も末期、改修を重ねた「戦う城」としての最終形でしょうね。感動しました。
石垣の風合い・雰囲気も好きです♪


さて、獅子ヶ城でオフ会の初日の行程は終了です。
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唐津城を眺めやりつつ・・・この日の宿となる唐津市街に向かいました。

ホテルチェックイン後は唐津駅前の居酒屋で懇親会。
大好きなお城と歴史を肴にした宴は本当に掛け値なしで楽しいもの。特大ジョッキのビール、最高でした☆

(最終日へつづく)

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