カテゴリー「お江戸散策」の25件の記事

2016年2月11日 (木)

東禅寺、泉岳寺、高輪大木戸跡、etc...

2月6日(土)、田町で開催された懇親会に合わせ、ちょっと高輪周辺の東海道を散策してきました。

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スタートは品川駅から。
東海道を田町駅方向へ向かって北上します。

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まずは東禅寺へ。
慶長14年(1609)の創建で、開基は飫肥藩主・伊東祐慶。仙台藩伊達家や岡山藩池田家の菩提寺にもなったそうです。

そして山門前の碑にある通り、幕末にはイギリス公使館が置かれました。
文久元年(1861)5月28日夜、東禅寺のイギリス公使館は攘夷を掲げる水戸脱藩浪士ら14名の襲撃を受けます(第1次東禅寺事件)。この事件で公使館員2名が負傷した他、幕府が手配した警備兵にも犠牲が出ましたが、公使オールコックは辛うじて難を逃れました。

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1861年10月12日付、The Illustrated London News紙が伝える第1次東禅寺事件

更に文久2年5月29日には、警備にあたっていた松本藩士・伊藤軍兵衛が代理公使ニール(オールコックは帰国中)の殺害を企て、ニールの寝室を警備していたイギリス兵2名と戦闘になり、この2名を殺害した後、自らも自刃するという事件も起こります(第2次東禅寺事件)。

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そんな歴史の舞台となった境内を、少し散策させていただきます。

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三重塔と本堂

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大玄関

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大玄関もなかなかの年代を感じさせますが、本堂を含めた殆どの建物は昭和に入ってからの再建で、イギリス公使館が置かれていた頃の名残は、僅かに境内裏手にある僊源亭と庭園を残すのみだそうですが、残念ながらこれらは非公開です。

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庫裏の脇には、とても古そうな土蔵が・・・。
あの土蔵なら、或いは事件を目撃していないかなぁ~などと考えながら、境内をあとにしました。

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東海道に戻ってしばらく進むと・・・

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高輪海岸に用いられていた石垣石が展示されていました。
今でこそ埋め立てによって海岸線は街道から随分離れてしまいましたが・・・

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ご覧の通り、江戸期には東海道のすぐ脇まで海が迫っていました
ちなみに一番手前に描かれているのは高輪大木戸の石垣です。
※後ほど出てきますので、この絵を覚えておいてください。

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さて、次の立ち寄りポイントは泉岳寺
元禄赤穂事件でもあまりに有名ですね。

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大石内蔵助像

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浅野内匠頭が切腹した田村邸の庭にあったと云う石

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吉良邸討ち入り後、吉良上野介の首を内匠頭の墓前に供える前に洗ったと云う首洗井戸

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『仮名手本忠臣蔵』に登場する天河屋義平のモデルになった…天野屋利兵衛の碑

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浅野内匠頭墓

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内匠頭正室、瑤泉院墓

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討ち入りに参加した四十七士に、萱野三平を加えた四十八基の墓碑が並びます。
右奥に大石内蔵助墓碑

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こちらの一番奥には大石主税、その手前に堀部安兵衛

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四十七士のうち、寺坂吉右衛門(左)は討ち入り後に姿を消して(一説には大石らの指示とも)切腹していないため、唯一戒名に「刃」「釼」の一字がありません。
遂道退身信士
如何にも逃亡したかのような戒名になってはいますが・・・?

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また、泉岳寺の山門脇には殉難戦死之碑があります。
こちらは明治10年の西南戦争に、豊後口警視徴募隊として参戦・戦病死した18名を顕彰したものだそうです。
豊後口警視徴募隊といえば、斎藤一こと藤田五郎が半隊長として参加した隊でもあります。

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泉岳寺を出て再び東海道を進むとすぐに、先ほどの「東海道高輪風景」画にも描かれていた高輪大木戸跡の石垣が見えてきます。

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高輪大木戸は江戸の南の玄関口として東海道に築かれ、通行規制や治安維持の機能を果たしました。

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札の辻
高輪大木戸跡の700mほど北になります。
その名の通り高札場がありましたが、高輪大木戸築造と共に高札場も大木戸へ移されました。
※前出「東海道高輪風景」画の高輪大木戸右脇に描かれています

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最後に東京タワー(笑)
さて、ぼちぼち田町駅に到着しますので、今回の散策はこの辺で。

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2015年10月 3日 (土)

浜川砲台跡、涙橋、etc…

京急立会川駅を東側へ出てすぐ、北浜川児童公園という小さな公園には・・・

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坂本龍馬の銅像が建っています。
立会川駅の西側一帯にはかつて、土佐藩の抱屋敷(鮫洲抱屋敷、品川下屋敷とも)がありました。現在の浜川中学校を含む一帯です。
※ちなみに「抱」とは幕府からの拝領ではなく、藩自らが買い入れ、または借用していた屋敷であることを指しています。

そして嘉永6年(1853)にペリー艦隊が来航すると、幕府は品川台場の築造に取り掛かりますが、土佐藩も幕府に砲台の築造を願い出て、翌嘉永7年に抱屋敷から旧東海道を挟んだ海岸に浜川砲台を築きます。
龍馬も一時期、浜川砲台での警備の任務に就いており、この銅像はそれを記念して建てられたそうです。
ちょうど龍馬が砲台警備に就いていた二十歳頃をイメージして作った、とのことですが、、、どうみても例の有名な肖像写真のポーズですよね、これ…。寄りかかっている台や履物は変えてあるけど(笑)
なおこちらの像には、高知桂浜の銅像を修復する際に出た金属片が溶かし込んであるそうです。

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旧東海道浜川橋(通称:涙橋)
1600年頃には既に橋が架けられていたと云います。(現在の橋は昭和9年の架け替え)
また、慶安4年(1651)には品川に鈴ヶ森刑場が設けられ、そこで処刑される罪人はこの橋を渡って江戸府内から護送されて行きました。
その時、罪人の親族らが見送りに来て、この橋で涙を流しながら別れを惜しんだことから、涙橋とも呼ばれるようになりました。

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立会川と涙橋
ここから立会川沿いに少し東へ進むと・・・

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件の浜川砲台跡に至ります。
砲台築造に使われていた石が展示されていました。

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浜川砲台跡
浜川砲台には8門の大砲が据えられていました。
警備にあたる藩士らは、抱屋敷に滞在して砲台へ通っていたと云いますので、立会川駅から龍馬像の建つ商店街の細い路地を抜け、立会川沿いに進む道が、坂本龍馬も歩いていた道ということになります。
今となっては埋め立てによって対岸にもビルが建ち並び、砲台を偲ばせるものは何も残っていませんが・・・。


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さて、次は少し足を伸ばして品川歴史館へ。

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品川宿のジオラマ展示などと共に、品川台場に関する展示もあります。

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こちらはなんと、発掘調査で明らかになった第五台場土塁断面標本です。

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今は埋め立てで埋没した第一、第五台場に関する資料

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歴史館前には、品川御殿山下台場跡から出土した築造石も展示されていました。

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最後に余談ですが…立会川駅へ戻る途中、駅南の諏訪神社がとても気になる地形をしていました・・・まるで砲台みたい。
まぁ、どの資料を見てもここが砲台だったという記録はありませんが…(^_^;)

※品川台場については、コチラ の記事もご参照ください。
※品川宿に関してはコチラ も。

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2015年8月19日 (水)

「丸の内夏の陣 真田幸村と戦国武将たち」展

外回りの途中、たまたま通りかかったので・・・

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丸ビル1F、MARUCUBEで開催されている
丸の内夏の陣 真田幸村と戦国武将たち
に立ち寄ってみました。
(2015年8月13~29日/入場無料)

ズラリと甲冑が立ち並ぶ中、個人的に一番興味を惹かれたのは・・・

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この真田丸のジオラマ☆
※反射による写り込みが激しくてスミマセン…(^_^;)

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縮尺比率は明らかにおかしい(真田丸が大き過ぎww)とは思いますが、上町台地の雰囲気も出ているし、、、

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何よりも四天王寺の石鳥居まで再現されていたのが、私的にはツボ♪

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折角なので、甲冑コレクションも・・・

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逃げる家康、追う幸村♪
真田丸を冬の陣の象徴とするならば、夏の陣といえばやはりこの構図☆

ま、入場無料ですし、何かのついでに立ち寄る分には楽しめるかと思います。

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2015年7月29日 (水)

太田道灌創建の法恩寺

錦糸町駅から徒歩10分ほど・・・

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墨田区太平1丁目、平河山法恩寺

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長禄2年(1458)、太田道灌が江戸に城を築くにあたり、その丑寅(北東=鬼門)の方角である平川口(山号の由来)に城内鎮護の祈願所として創建した本住院が始まりとされています。
その後、道灌の孫である資高が父・資康(道灌の子)の追善供養のため堂塔を再建し、資康の法名をとって法恩寺と改められました。
徳川家康の江戸入府後に数度の移転を経て、元禄元年(1688)より現在の地に建ちます。

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「江戸名所図会」にみる法恩寺
幕末の慶応4年4月には、江戸脱走を決めて市川国府台へ向かう元幕府歩兵奉行の大鳥圭介が、ここ法恩寺で本多幸七郎・大川正次郎らをはじめとする伝習隊と合流しています。

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道灌公記念碑
影で分かり辛いですが、道灌の詠んだ歌;

七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき

をモチーフに彫られています。

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太田道灌供養の五輪塔(右)
中央は開山・本住院日住上人の墓所

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参道から振り返る・・・
すぐ背後に聳えるスカイツリ―が、時の移ろいを鮮明に際立たせていますね。

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2015年1月20日 (火)

「上野清水堂不忍池」名所江戸百景めぐり…Part3

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江戸名所百景「上野清水堂不忍池」

清水堂とは東叡山寛永寺の伽藍の一つで、現在も上野公園内に建つ清水観音堂のことです。京都の清水寺を模して作られており、ちゃんと舞台も設けられています。
舞台の先に見える枝が円形に曲がった木は、その形から月の松と呼ばれ、江戸庶民にも親しまれていましたが、残念ながら明治初期に消失してしまいました。

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清水観音堂

そして、、、
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「上野清水堂不忍池」・・・その現在
今でこそ不忍池は見えませんが、舞台を含む建物は寛永八年の創建当時のまま。
そして、何故か消失したはずの月の松までもが…!?

実は寛永寺関係者の発案により再現が試みられ、2012年12月からお披露目されたのだそうです。
詳しくは分かりませんが、ここまで見事な円形に仕上げるのはきっと難しいことなのでしょう。
それを考えると、江戸時代の「初代」月の松を育てた職人への敬意は無論のこと、「二代目」を再現してくれた現代の関係者の努力にも感謝ですね♪

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2014年10月30日 (木)

島津、岩崎、前田…洋館旧邸めぐり

旧島津公爵邸

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旧島津公爵(元薩摩藩主)邸は五反田駅から徒歩10分、清泉女子大学キャンパス内にあります。
通常は非公開ですが、東京文化財ウィーク2014の一環で10月29日のみ、一般に公開されていました。

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玄関のステンドグラス。あれはやはり、島津家の家紋だよね…(≧▽≦)

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元々この地には仙台藩伊達家の下屋敷がありましたが、明治初年に島津家の所有に移ったそうです。
その後しばらくは伊達家下屋敷の建物を使用していましたが老朽化が進み、大正6年にご覧の通りの洋館に建て替えられました。
同年5月には大正天皇・皇后が行幸啓され、時の寺内首相や松方正義、山本権兵衛、東郷平八郎らも参列したと云います。

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数年前の大河ドラマ「龍馬伝」のロケにも使われたとか。

毎正時には邸内を見学できるツアーも組まれていますが、予想外の混雑ぶりで直近のツアーは既に満員、更にその次まで1時間半も待たなくてはならなかったので諦めました。


旧岩崎邸

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さて、お次は湯島駅から徒歩すぐにあるこちら、、、

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言わずと知れた三菱財閥創始者、岩崎弥太郎の旧邸(明治29年築)です。

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邸内は撮影禁止なので写真はありませんが、それはまぁ見事なものでした。暖炉だけでも一体いくつあったんだろう…?

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和館も併設されています。

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ビリヤード場(撞球室)
洋館と地下通路で繋がっているそうです。

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土佐の地下浪人の倅が、まさかこれほどの邸宅を構えるまでになろうとは、当の本人もきっと想像すらできなかったでしょうね…(;^ω^)


旧前田侯爵邸

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最後に駒場公園内に建つ旧前田侯爵(元加賀藩主)邸へ。

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第16代当主・前田利為の本邸として、昭和4年に築かれています。
元々は文京区本郷(赤門で有名なあそこですね♪)にありましたが、関東大震災後の復興計画で当地に移転してきました。

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こちらは邸内も撮影OKだったので、、、

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とっても素敵ですが、自分で住むとなると広過ぎて落ち着かないなぁ…(;・∀・)

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利為の書斎

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そして寝室

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さすがに当時、東洋一の邸宅と称されただけあって、とても立派なお屋敷でした。

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2014年9月20日 (土)

特別展「高須四兄弟」と、高須藩上屋敷跡

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とある昼下がり、ふらりと新宿歴史博物館へ。
お目当ては勿論、平成26年度の特別展「高須四兄弟 新宿・荒木町に生まれた幕末維新」です。

高須四兄弟とは一般に、美濃高須藩10代目・松平義建の子息のうち;

◆次男:慶勝
尾張藩14代藩主(尾張徳川家14、17代当主)

◆五男:茂栄
高須藩主(義比)~尾張藩15代藩主(茂徳)~一橋家当主(茂栄)

◆七男(会津松平家系図では六男):容保
会津藩主(京都守護職)

◆八男:定敬
桑名藩主(京都所司代)

以上の4名を指します。
高須藩自体は3万石の小藩ですが、御三家尾張藩2代目の光友の次男・義行が立藩しており、尾張の支藩的な存在として宗家に嗣子なき時は養子に入ってこれを相続してきました。

小さな博物館の割には思いの外(と言っては失礼ですが…)充実の展示内容で、特に;

・孝明天皇宸翰写「一橋徳川家文書」
・孝明天皇御製
・松平容保宸翰添書
・緋色地唐草葵紋錦袋
・会津藩家訓…松平容保、山川浩筆

などを拝観できて良かったです。
変わったところでは、鳥羽伏見戦後、徳川慶喜が大坂城を脱して江戸へ無事帰還したことを祝った(皮肉った?)慶勝の書状も興味深かったです…(;^ω^)
この頃の慶勝は明治新政府の議定に任ぜられ、小御所会議において決定した慶喜に対する辞官納地催告の通告役にも指名されており、慶喜(旧幕府軍)が退去した後の大坂城受け取りの大役も果たしています。

1000円で販売している図録もgood!


ところで、新宿歴史博物館のすぐ近くには新宿区荒木町(江戸期は四谷荒木町)という町名があり、ここにはかつて高須藩の上屋敷がありました。
江戸期の古地図だと「松平範次郎」と表記されていることもあります。「範次郎」は四兄弟の父・義建の通称です。
現在の地図に当てはめるとこのようになります。

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「高須四兄弟」展で展示されていた図面を参考にしました。
薄くグリーンをひいた部分が屋敷地で、青いのは庭園の池、茶色は御殿があったと云われる部分です。手書きなので多少の位置のズレはご容赦願います。
この庭園の風景を描写した絵図も展示されていました。(「松平摂津守様御庭之図」)

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津の守坂通り
高須松平家は代々「摂津守」を称しており(一部例外あり)、摂津(の)守の屋敷があったで、津の守坂

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天和3年(1683)、高須藩主の守護神たるべく、この地に祀られた金丸稲荷神社
(地図

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車力門通り
車力門は高須藩上屋敷の門の一つ。説明文には;

江戸時代、荒木町が松平摂津守の屋敷だった頃、「車力門横丁」と呼ばれ、物資が屋敷へ荷車で持ち込まれていた。

とあります。

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上屋敷跡地を歩いていると所々、極端な地形の高低差に出くわします。
これは位置的に、庭園の池(津の守池)の名残かなぁと思いますが…確信は持てません。

実はこの付近からは、池の排水用として設けられていた石組みの暗渠が見つかっています。この暗渠、なんと現在でも公共下水道として充分に機能を発揮していたとかで殆どをそのままに残し、再構築する必要のあった一部を撤去して落合水再生センターの敷地内に復元・展示されているそうです。

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この付近は御殿があったと推定される位置
すなわち・・・松平容保らが生まれた場所。(地図

美濃高須藩上屋敷。
石垣や堀、塀といった明確な遺構が残っているわけではないですが、暗渠のことを知った時は正直驚きましたし、紛れもなく幕末の歴史にその名を深く刻んだ四兄弟が生まれ育った場所
特別展示と合わせて、とてもいい歴史散策になりました。


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ちなみに荒木町のお隣の舟町には、天然理心流宗家を養子で後の新選組局長・近藤勇に譲って隠居した周斎先生(三代目近藤周平)の隠居宅がありました。


【参考】高須(岐阜県海津市)を訪れた時の記事はコチラ

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2014年3月 1日 (土)

増上寺 徳川将軍家墓所に参拝

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港区芝大門にある増上寺へ行ってきました。

今回の目当てはこちら・・・

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そう、徳川将軍家墓所の特別拝観です!
平成26年になり、個人向けにも土・日・祝日に限って特別公開されています。
(~平成26年12月28日まで。10名以上の団体は予約制で常時公開)

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それでは早速♪

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こちらには;

二代   秀忠公夫妻
六代   家宣公夫妻
七代   家継公
九代   家重公
十二代  家慶公
十四代  家茂公
皇女和宮(家茂正室)
将軍生母・側室らの合祀塔

といった方々が祀られてます。
本当は国宝指定されていたもっと立派な御霊屋があったのですが、第2次大戦の空襲で焼失してしまいました。。。
(現在の墓所は改葬)

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500円の拝観料を払うと、ご覧の3点セットを頂けます♪
特に「絵葉書」と書かれた封筒に入った中身が凄かった・・・

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明治後期に描かれた増上寺の境内図の他、焼失した御霊屋をはじめとした境内古写真の絵葉書が10枚も☆

期間は年末までありますし、歴史にご興味をお持ちの方は足を運んでみてはいかがでしょうか♪

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2013年12月26日 (木)

「名所江戸百景」巡り…Part2

前回の「虎の門外あふひ坂」、「糀町一丁目山王祭ねり込み」、「湯しま天神坂上眺望」に続く歌川広重『名所江戸百景』巡り第2弾です。

今回はまず、こちらから・・・
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「永代橋佃しま」
実は職場から歩いて3分くらいの場所・・・(^_^;)

浮世絵の方は橋脚が見えていますから、橋の下からの構図になりますかね。私は橋の上から。
ところでこの永代橋、実は江戸の昔と現在とでは少し位置がズレているのです。

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まずは江戸期の古地図から。
右上に永代橋が見えます。大きな流れの隅田川に注ぐ日本橋川の北(上)側に架けられていますよね?
※大きく「松平越前」と書かれた位置、現在はそこに「越前堀公園」があります。以前、会社の花見をした場所(笑)

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そして現在。
いかがですか?現在の永代橋は反対に日本橋川の南(下)側に架けられているのです。
私の撮影した写真はその分だけ、広重の浮世絵より佃島に近付いたということになりますね♪

それにしても古地図と現在の地図との比較。
例え川や堀が埋め立てられていても、その「ライン」はしっかりと現在の道路や区画などに悉く残されていることに気付かされる。本当に楽しい☆

更に・・・
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「日本橋雪晴」
なかなか同じ構図は難しい…(^_^;)

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「する賀てふ」
富士山は望むべくもありませんが…方角的には確かにこの方向。
そして・・・

藍色に染め抜かれた「三越」の暖簾!・・・それは現在もそのまま☆
(日本橋三越)

次は何処の街角に立ちましょうかね♪

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2013年12月 6日 (金)

名所江戸百景「虎の門外あふひ坂」…の今

とある本で見かけた1枚の浮世絵・・・
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江戸後期を代表する浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」シリーズの1枚、「虎の門外あふひ坂」です。
ふと何気なく眺めているうちに、中央右に堰堤が描かれているのが気になってきました。虎の門外」で堰堤があるということは・・・あの先は溜池ですね☆

平成の現在、広重と同じ視点からの眺めがどのように変わっているのかを確かめてみたくなり、現在の地図と江戸期の古地図をじっくりと見比べてみました。すると・・・

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町の区画だけでなく、今は埋め立てられて跡形もないと思っていた溜池のラインに至るまで、想像以上に現在の道路区画に残っていることに気付きました!

それぞれに対応する箇所を同じ色のラインで示しています。
水色で塗った部分が溜池(と外堀)です。特に北側のM字曲線とか、見事に現在の道路と一致していますよね♪

そして、地図を見比べながら浮世絵に描かれた堰堤を部分と特定し、描かれたアングルから広重が立っていた位置を地点と見定め、早速現地へ向かいました。

それがこの写真↓
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「虎の門外あふひ坂」の今…
ちょうど古いビルを壊して工事中だったので見通しがきいていました。

写真左手前、虎の門病院(切れちゃって殆ど写っていませんが…)からJTビルにかけての坂が「あふひ(葵)坂」です。
今では地形も削られて、すっかり緩やかな坂になってしまっていますが・・・(^_^;)

そして中央奥の信号が見えている辺りに、件の溜池堰堤が築かれていた筈です。。。

林立するビル群に隠れて見えませんが、浮世絵に描かれた右奥の建物が建っている丘、あの丘の地形は今でもハッキリ残っています。

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ほら、特許庁付近や、、、

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「溜池」交差点からも高低差がハッキリと確認できますよね♪
あの高台の上、樹木が生い茂っている場所は総理大臣官邸になっています。

こうした地形を利用して外堀を堰き止めて溜池を築き、この水が、特に上水が整備される以前の江戸市民の生活を支えていたのですね。


ついでにもう1枚。

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同じく名所江戸百景の一つ、「糀町一丁目山王祭ねり込み」。江戸城半蔵門の土橋を向こうに見た構図です。こちらは全く同じですね☆
※糀町=麹町

更に・・・

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「湯しま天神坂上眺望」
湯島天神の女坂上からの1枚です。これ以上後ろに下がるスペースがなくてアングルを揃えることはできませんでした。
今となっては不忍池を眼下におさめることは叶いませんが・・・石段と鳥居、建物の位置関係が全く同じでした♪

時空を超えて広重と同じ場所に立ち、同じアングルを眺める・・・これ、案外楽しいです♪
これからも折を見て続けます(笑)

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