カテゴリー「八王子城」の18件の記事
2022年4月24日 (日)
2020年7月21日 (火)
八王子城・滝山城の城ラマ(日本遺産パネル展)
令和2年6月19日、八王子市が申請したストーリー「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」が、東京都では初となる日本遺産に認定されました。
それを記念し、八王子市役所八王子駅南口総合事務所でパネル展が開催されているとのことでしたので、ちょっと覗いてきました。
北条氏照が礎を築き、養蚕や織物といった「絹」を基幹産業として「桑都」と称された甲州道中屈指の宿場町・八王子。
霊山・高尾への信仰と、そこで育まれた豊かな文化と共に歩んできた「桑都」発展の歴史(ストーリー)を構成する関連文化財として;
・高尾山や薬王院、薬王院文書(北条氏照発給文書)など
・八王子城跡や御主殿出土品、八王子神社、北条氏照および家臣墓
・滝山城跡
・小仏関跡(→参照)
・絹の道
・各種伝統行事・文化
など、計29件が指定されています。
※詳細は八王子市のHPなどでご確認ください。
新型コロナウィルス感染症の影響で遠出もままなりませんので、これを機に地元の歴史を構成するこれらの文化財を一つ一つ、改めて訪ねまわってみるのもいいかなと思いました。
会場には八王子城と滝山城の城ラマ(ジオラマ)も展示されています。
実は、これが訪れた一番の目的。上の写真は八王子城のもので・・・
こちらが滝山城。
私が滝山城の中でも特に好きな、二の丸周辺の造形も見事の一言。
これだけ複雑な縄張にもかかわらず、細かい土塁や堀の一つ一つまで精巧に再現されていました。
自宅から最寄りの城跡で、思い入れも一入な滝山城。是非とも多くの方にご覧いただき、「滝山城ってこんなに凄いお城だったのか!」というのを実感していただきたいところではありますが・・・このような状況では、なかなかそうもいかないですね。。。
2020年1月 4日 (土)
八王子城→富士見台→熊笹山→太鼓曲輪
2020年の城初めは、地元の八王子城。
主な目的は、昨年10月の台風による城跡への影響を確認をしつつ八王子神社に参拝し、富士見台まで足を伸ばして富士山を拝もうというもの。
以前から、熊笹山辺りにも何か遺構はないのか気になっていたので、富士見台からは熊笹山を経由して太鼓曲輪尾根を下るルートを選択しました。
さて、いざ登山開始という段階で早速、台風の爪痕が・・・。
向かって右側から迂回できるルートが付けられていましたが、のっけから先が思いやられます。
金子曲輪脇の石垣はどうやら無事な様子・・・。
柵門台下の石垣も。
この2つの石垣は特に危惧していたので、一安心。
高丸を過ぎた先からの絶景。
遠くにスカイツリーもはっきりと見えていました。
無事、八王子神社にお参り。
本丸に建つお社にも。
八王子神社参拝の後は富士見台を目指し、詰城方面へ向かいます。
駒冷やしの堀切を通過し・・・
詰城へ。
詰城では、いつのものかはわかりませんが大きな倒木があり、曲輪の法面が一部損壊していました。
また、落雷によるものなのか、黒く焦げた倒木も。
詰城背後の大堀切。
この大堀切を越えた先は、しばらく緩やかな尾根道が続きます。
しばらくは尾根上を進み、最後にこの急斜面を直登すると・・・
富士見台に到着。
到着したのが正午前後で陽も高くなり、少し霞んでしまいましたが、無事に富士の姿を拝むことができました。
富士見台から熊笹山へ向かう途中の尾根。
熊笹山。
その名の通りに熊笹が生い茂り、斜面などの形状は視認できませんでしたが、ちょっとした見張台くらいにはなっていたかもしれません。
駒木野方面へ向かうルートと、木下沢方面へ下るルートの分岐点手前で目に付いた、連続竪堀のような痕跡。
2本あり、1つはY字になっていました。
ただの崩落かもしれませんが、道中何ヶ所かで見かけた同様のものよりは明瞭でした。
こちらが駒木野と木下沢方面との分岐点。
ここは駒木野方向へ向かいます。
まるで切岸を思わせるような急斜面。
慎重に下りましたが、乾いた砂地に足を取られそうになります。
何の標識もないので見落としそうになりますが、こちらが駒木野と太鼓曲輪尾根との分岐点。
GPSで位置を確認しながら歩いていたので、何とか見落とさずに済みました。
分岐点の先も急な下り坂。
これが結構、膝に来ます・・・(;^_^A
こんな獣道を掻き分け・・・
ようやく、太鼓曲輪の第五堀切に到着。
この後、第四~第二堀切を経由して、大手門横の竪堀から下山しました。
下山後は御主殿の滝へ。
曳橋の下も結構土が流されたようです。
あちらの石積み、前から露出していましたっけ?
御主殿の滝近くの石垣。
台風の影響でこの石垣近くの近くの土が流され・・・
石垣から直角に折れる石垣列が、新たに検出されました。手前の2つの石です。
これにより、この石垣が隅部分だったこともわかります。
何も知らずに足を掛けちゃう人もいるので、注意喚起するなり、更なる調査をする予定もないのなら埋め戻すなりして欲しいところですが・・・。
御主殿の滝すぐ脇の石垣も無事だったようです。
御主殿背後の四段石垣でも、土砂が流れ込む被害が出ているようですが、立ち入りが制限されているので確認できておりません。
今回辿ったルートは後半の下りがきつく、膝が悲鳴を上げておりますが、楽しい山歩きになりました。
そうそう、八王子市(北条氏照の八王子城)と神奈川県の小田原市(北条氏の本拠)、埼玉県寄居町(北条氏邦の鉢形城)は姉妹都市を結んでおり、それぞれのデザインマンホールを交換して互いに設置しています。
先日訪れた小田原では「かまぼこ通り」に設置されていましたが、八王子では八王子城跡の駐車場から管理棟前にかけて揃っていました。
訪れた際は是非、こちらもコンプリートしてみてくださいw
2017年2月27日 (月)
馬蹄段最下段部の発掘現場
今年度(平成28年度)は金子曲輪下馬蹄段、その最下段部の発掘調査が行われているとの事だったので、ちょっと様子見に訪れてみました。
いつもはボランティアガイドさんたちが常駐している管理棟も老朽化のため、現在は改修工事中。
昨年実施された調査で顕在化した、ニの鳥居脇の石垣。
これまでも一部が表出していましたが、私はてっきり、後世に積まれた八王子神社参道の土止めの石積みと思っていました・・・。
そして、今月(2017年2月)に発掘調査が行われた、ニの鳥居を潜ってすぐの場所。
ブルーシートが掛けられていますが、三段ほどの段差が認められます。
間に八王子神社の参道(破壊道)を挟んで左側にも段差があり、左右それぞれの段差のラインは綺麗に繋がります。往時はそれぞれが一つの小さな曲輪のようになっていたのでしょうね。
果たして何か新しい発見はあったのか・・・報告が待たれます。
金子曲輪下の馬蹄段
柵門台東脇の石垣
枯葉が積もったせいでそう見えるだけなのか、調査直後(2~3年前)に比べて少々心許ない感じが・・・。
2016年3月27日 (日)
八王子城搦め手口(山麓部)
先日入手した「巨大山城 八王子城 精密ルートマップ2016年版」(揺籃社)を主な参考資料にめぐります。
八王子城搦め手口、北浅川に架かる松竹橋
搦め手道が真っ直ぐに伸びます。
北浅川は案下川とも呼ばれ、八王子城のお堀の役割も果たしています。
並行して走る道は陣馬街道、ですが・・・往時の案下道はこの辺りで城内側に取り込まれていたと考えられています。
松竹橋を渡ってすぐ左折した地点、案下道の旧道候補の一つ。少し行くと道路は途切れますが、心源院の方向を向いていますので、あながち間違ってはいないかな、と。
写真左手、民家の奥を左に折れた先が・・・
松竹橋が本来架けられていた場所、とも伝えられているそうです。
その橋跡?から南に位置する、馬出し跡と伝わる地点。
一部、土塁らしき痕跡が残ります。
馬出し内側(南)から見た土塁
そのコーナー部分
手前に折れてすぐに消失していますが、どうやら角馬出しだったようです。
この馬出しの位置からして確かに橋の位置は、現在のものよりも東寄りでいいのかもしれません。
また、付近の路地には気になる段差がありました。
この段差、すぐ脇の民家の畑にも続いていました。(石垣部分)
・・・何でしょうね?
搦め手道に戻って城山側(南)へ進みます。
北を振り返ると浄福寺城が目の前に迫ります。
搦め手門の手前で通路をグイッと曲げる腰巻坂
このカーブを抜けた先が・・・
搦め手門跡
両サイドを土手?のような段差が固めます。
こちらは搦め手道の左側で・・・
右側には松嶽稲荷神社があるのですが、その境内にも段差が続いていました。
松嶽稲荷神社
城山へ向かって一直線に伸びる搦め手道
横切る滝ノ沢川は渇水・・・。
ここからがいよいよ城山への登山道となる、搦め手虎口付近
朽ち果てて転がっていた手作りの案内板・・・。
搦め手虎口手前で見かけたこちら・・・お!虎口を守る土塁か!?
とも思いましたが、よ~く見るとコンクリのブロックなどが交っており、明らかに廃棄物の堆積ですね…(^_^;)
虎口らしき痕跡は、登城路右脇の土塁に付けられています。
虎口
少し下ると、進入路を屈折させる土塁も。
登城路を虎口から100mほど行った先、東沢に架かる木橋
渡るにはとても勇気が要りますが…(^_^;)
東沢は人工的な開削が加えられているようにも見えました。
・・・天然の堀代わり?
さて、今回は登山の装備を用意していないのでここまで。
いずれは柵門台まで続く搦め手道や青龍寺跡方面、心源院からの向山砦・大六天コースにも挑戦してみたいと思います。←道連れ募集中?!(笑)
2015年12月29日 (火)
八王子城、御主殿曳橋の再建状況(H27.12.29)
久しぶりに八王子城跡を訪れ、御主殿曳橋の再建工事の進捗を確認してきました。
平成28年3月末竣工予定とのことでしたが、思いのほか進行は早いようで、パッと見にはほぼ完成しているようにも見えます。
新しい橋脚
以前のものは橋脚も含め全て木製でしたが、新しい橋脚は鉄筋を木目調のもので覆っているようです。
初代の復元曳橋同様、間違えたままの位置(本来の位置は写真右手側)に架け直されています。
これについてはいろいろご意見もあるでしょうが、位置を修正することで万が一新たな遺構破壊に繋がったりしては元も子もありませんので、今となってはこれでよかったのではないかと個人的には考えています。
あともう少しでまた、曳橋を渡って御主殿に入れる日もきますね☆
そして今回訪れてみて何より嬉しかったのは、2015年夏、大雨により工事用車両の足場の堰堤が流失し、その大量の砂利が城山川を埋め尽くしてしまった、というニュース(参照記事 )をご紹介しましたが・・・
なんと、あれだけの大量の砂利が取り除かれ、城山川の流れが回復していたのです!
堰堤の設計は甘かった(流失原因は、川の流れを通すための暗渠の径が小さ過ぎたため)ですが、これは良い仕事♪…安心しました。
2015年8月 1日 (土)
曳橋工事現場の堰堤流失状況
曳橋作業用の堰堤が流失
というニュースを目にし、状況が気になって仕方なかったので現場へ向かってみました。
堰堤流失現場
本来は城山川対岸の石垣下まで水平に砂利が盛られていましたので、相当な量が流されたことになります。
こちらは今年(2015)4月に御主殿跡から撮影した工事用堰堤の様子。
2枚の写真を見比べると、流失箇所・規模が一目瞭然です。。。
原因は先日の台風11号がもたらした大雨によるものらしいのですが…想定できないほどの雨量ではなかったはず。それがこれほどの流失を招くとは・・・。
川の流れを通すための暗渠の径が小さ過ぎたことが流失原因のようですが、雨が降れば川が増水するのは、子供でも分かること。
もしこの事故が作業中に起きていたらと思うと・・・まずは人的被害がなかったことが何よりです。しかし・・・
2014年12月 6日 (土)
八王子城の石垣 …柵門台下、他
2014年、発掘調査によって姿を現した柵門台下の石垣を中心に、石垣をテーマにしてサクッと歩きます。
新道(左)と旧道(右)の分かれ道。
旧道も長らく通行止めになっていましたが、いつの間にか開通していたのですね。
しかし、今回は金子曲輪を経由して行きたいので新道をチョイス。
馬蹄段曲輪群を抜けて、、、
金子曲輪へ
金子曲輪の外側(北)には、ご覧のように石がゴロゴロしています。
立入禁止になっていて確認には行けませんが、この辺りからも発掘調査で石垣が顕在化していますので、これらもその石垣の名残でしょう。
少し進むと新道の右手に、妙に形の整った石段が現われます。
しかし一直線に過ぎるし、後世に八王子神社への参道として築かれた新道に面していることからも、この石段は城の遺構とは考えられません。
登った先には大きな石碑があり、恐らくはそのための石段かと…。
更に柵門台方面へ向かって登って行くと、いよいよ、、、
発掘調査によって顕在化した柵門台下の石垣が見えてきます!
柵門台から旧道へ回り、下から見上げた様子。
ズームで寄ってみる…素敵です♪
柵門台下の石垣はまだ調査中で、周囲にはロープが張られていて立入禁止です。崩落も激しく、遺構を痛める恐れもありますので決して近付かないでください。
ルールを守ってロープの外から見下ろすか、少し離れた旧道から見学するようにお願いいたします。
柵門台
ここからは山頂曲輪群へは向かわず、、、
山王台経由で殿の道を下ります。
殿の道、第四石垣群
更に下って第三石垣群へ
第三石垣群越しに第四石垣群も奥に・・・
第二石垣群
そして第一石垣群
第一石垣群は三段構成になっていて、間にはそれぞれ犬走りも確認できます。
横幅も広いし、間近で見ると結構迫力があります☆
殿の道を抜けて御主殿へ
御主殿脇に残る石垣
※こちらは、ボランティアガイドさん同行でないと入れません。私も居合わせたガイドさんにお願いしました。
御主殿から見下ろす曳橋
御主殿の滝
御主殿の滝の脇には櫓台の様な土盛りがあるのですが、その側面にもご覧の石垣が。
最後に大手虎口の枡形(内側より)
大手枡形を外側より
ここも以前は周囲に石がゴロゴロしていました(片付けてしまったのか、今回見たらなくなっていましたが…)し、私は大手も御主殿同様、石垣で組まれた階段状の枡形(あの先、右に折れた後は上りになっています)だったと考えています。
いつか調査が入る日も来ますかね?
石垣を積む技術が西国に比べて未熟だったこともあるのでしょうが、この城山の土質はサラサラしていて、とにかく崩れやすい。
それも八王子城の石垣がなかなか現存しにくい原因なのでしょう。
せめて今回ご紹介した、今に残るこれらの石垣だけでも後世に伝えていけるよう、願わずにはいられません。
2014年8月16日 (土)
宗関寺 (横地監物屋敷跡)
八王子城跡の麓に建つ宗関寺。
元々は延喜17年(917)の創建。荒廃していたものを、北条氏照が八王子城を築く際に堂宇を再建し、牛頭山宗関寺として再興されました。
その後、天正18年の八王子城落城と共に焼失してしまいますが、2年後には寺号を朝遊山宗関寺として再建されています。
氏照によって再建された時の寺地は現在の所在地より少し城山側、氏照の墓所がある付近に建てられており、この場所には当時、氏照の重臣・横地監物の屋敷がありました。
写真に写る門の脇には土塁の様な土盛りが残っており、横地堤と呼ばれています。
宗関寺の堤とは車道で分断されていますが、こちらも横地堤の名残です。
その手前(左)は八王子城への登城路の名残。現在の車道は真っ直ぐ堤を貫通していますが、当時は堤にぶつかって左に折れ、堤の下を城山川に沿ってお城の方へ向かっていました。
ある意味、根小屋地区への最初の防衛線の役割も担っていたのですね。
「寺関宗」
氏照の重臣だった中山家範(勘解由)の孫で水戸藩家老・中山信治が、氏照の百回忌法要を挙行した際に寄進した梵鐘。
※中山信治のお墓も祖父・家範と共に、氏照のお墓(八王子)の横に寄り添うように建てられています。
八王子城跡
涼しい季節になったら、またゆっくり登りに来ます。
2013年8月24日 (土)
八王子城 ― 御主殿跡の新規発掘調査
八王子城の御主殿跡は今年(平成25年)になって礎石等の復元的整備も終わり、当時どのような建物が建っていたのかがよく分かるようになりました。
しかし実は一部分だけ、これまで全く手付かずで未調査だった箇所があったのです。何でもそこだけ土地の所有者がいて、行政との間で折り合いがつかなかったからだとか…。
ところが今回、その所有者とも話しがついて7月から初めての発掘調査が行われているというので、ちょっと様子を覗きに行ってきました。
ちなみに今回調査されているのは黒い線で囲われ、礎石等がカラー(赤・オレンジ)で表示されている部分です。
主殿の残りの礎石(赤)や庭園の通路(オレンジ)と共に、その発掘範囲にスッポリ収まるように池の跡も発見されました☆
※ガイダンス施設配布の資料より。
残念ながら前日に雨が降ったためか、シートが掛けられていて全容を観ることは出来ませんでしたが…
1枚目の図面で「立石」と表記されている岩。こちらは元々、現代の地表面からも顔を出していました。
池の側面かな?石が積まれていた様子が分かります。
なお、池の底は山砂利を突き固めた上から粘土を敷き詰めてあったようで、水を溜める意図で造成されたことは確実です。
今回も調査が終われば、これらの遺構はその他の箇所同様に埋め戻されるのでしょう。その後はどのように復元展示するのかな?
最後に、、、本日の御主殿の滝。
前日の雨にもかかわらず、この水量。。。今年は特に深刻です。このまま枯渇してしまうのではないかと本気で危惧されます。
より以前の記事一覧
- 八王子城オフ♪ 2013年春篇 2013.05.01
- 小田野城 2013.03.16
- 八王子城「太鼓曲輪」踏査② 2013.03.09
- 八王子城「太鼓曲輪」踏査① 2013.03.09
- 御主殿復元的工事の進捗と、調査後の石垣群 2013.03.02
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- 八王子城:「殿の道」石垣群 2012.11.07
- ぶらっと八王子城、その訳は… 2012.10.14