カテゴリー「滝山城」の11件の記事

2020年7月21日 (火)

八王子城・滝山城の城ラマ(日本遺産パネル展)

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令和2年6月19日、八王子市が申請したストーリー「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」が、東京都では初となる日本遺産に認定されました。
それを記念し、八王子市役所八王子駅南口総合事務所でパネル展が開催されているとのことでしたので、ちょっと覗いてきました。

北条氏照が礎を築き、養蚕や織物といった「絹」を基幹産業として「桑都」と称された甲州道中屈指の宿場町・八王子。
霊山・高尾への信仰と、そこで育まれた豊かな文化と共に歩んできた「桑都」発展の歴史(ストーリー)を構成する関連文化財として;

・高尾山や薬王院、薬王院文書(北条氏照発給文書)など
・八王子城跡や御主殿出土品、八王子神社、北条氏照および家臣墓
・滝山城跡
・小仏関跡(→参照
絹の道
・各種伝統行事・文化

など、計29件が指定されています。
※詳細は八王子市のHPなどでご確認ください。

新型コロナウィルス感染症の影響で遠出もままなりませんので、これを機に地元の歴史を構成するこれらの文化財を一つ一つ、改めて訪ねまわってみるのもいいかなと思いました。

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会場には八王子城と滝山城の城ラマ(ジオラマ)も展示されています。
実は、これが訪れた一番の目的。上の写真は八王子城のもので・・・

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こちらが滝山城。

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私が滝山城の中でも特に好きな、二の丸周辺の造形も見事の一言。
これだけ複雑な縄張にもかかわらず、細かい土塁や堀の一つ一つまで精巧に再現されていました。

自宅から最寄りの城跡で、思い入れも一入な滝山城。是非とも多くの方にご覧いただき、「滝山城ってこんなに凄いお城だったのか!」というのを実感していただきたいところではありますが・・・このような状況では、なかなかそうもいかないですね。。。

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2020年2月 5日 (水)

滝山城の畝状遺構

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最近下草が刈られ、上図A曲輪東側の畝状の遺構(水色の〇で囲んだ部分)が綺麗に見えるようになったと聞き、様子を見に行って来ました。

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A曲輪
ここもかなり伐採したようで、曲輪中央を仕切るような土塁も綺麗に見えていました。

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A曲輪から見下ろす東側の畝状遺構
パッと見の印象としては、畝の規模とか雰囲気は、同じ八王子市内の浄福寺城のものに似ているような気もします。

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畝が残る地点は緩やかな傾斜になっており、横堀という感じでもなさそうです。
(写真のすぐ右手は、A曲輪の切岸)

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畝が並ぶ北側には、大きな竪土塁が行く手を遮ります。

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縦土塁(写真手前)にぶつかって右(写真左)へ折れた先は・・・

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急斜面となって、大池方面に落ち込んでいます。
(奥に大池の堤が見えています)

こうして見ていくとA曲輪下の畝状遺構は、曲輪下に残る緩斜面を横移動や足掛かりとして、寄せ手に利用させないための処置だったのかもしれないと思えてきました。

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2019年2月 3日 (日)

大馬出先端の横堀 (滝山城)

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最近、「大馬出先端の横堀が伐採で綺麗に見えるようになった」との情報を受け、久しぶりに滝山城へ行ってきました。
図のでマーキングした部分です。

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二の丸南に位置する大馬出。

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南面の土塁上から見下ろす横堀。

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この横堀はずっと藪が生い茂っていて、一度も踏み込んだことはありませんでした。

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“折れ”もしっかりと確認できます。
今まで見れなかったものが見えるようになるのは嬉しいものですね。

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ついでにもう一つ、千畳敷に向けて突き出す角馬出も。

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こちらも整備により、以前よりも綺麗に見えるようになっています。

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先程の大馬出が本当に馬出かどうかは置いておくとして、こちらは歴とした馬出。
こじんまりとコンパクトな分、構造をよく見て取ることができます。

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ところで、千畳敷といえばとても残念な個所が・・・。
近年、北側の弁天池へ向けた斜面が、大雨によって崩落してしまったのです。

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弁天池から見上げる千畳敷方向(2013年撮影)
斜面に道や小曲輪のような痕跡が残されていたのですが、これらの遺構が一時に失われたのかと思うと無念でなりません。

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また、カゾノ屋敷か刑部屋敷だったかの土塁にも、通行禁止の立て札が。
こちらは、人が歩いて削れてしまった土塁を保護するための措置のようです。

土塁を保護するのなら、他にも・・・

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本丸東虎口のこの部分とか・・・

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二の丸枡形虎口のこの部分とかも、是非お願いしたいところ。

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今回新たに気付いたのが、小宮曲輪の虎口付近。
立派な枡形虎口があるにも関わらず、その先に立ち入り禁止の柵が立ち塞がっているためか、案内板の右横に踏み跡による傷みがクッキリと・・・。
僅か2年前の2017年3月に撮影した写真では確認できなかったので、ごく最近になってつけられてしまったものです。
大切な遺構なので、無闇に土塁に登ってはいけませんね。「城好き」こそ、気を付けないといけないこと・・・私も肝に銘じます。

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最近は、安全の確保や遺構の保護といった観点から以外にも、「園路ではないから」という理由での通行禁止の立て札が増えました。
写真は三の丸の横堀。

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こちらは、本丸南虎口を出た先の西側。

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図の通り、この先にもいい遺構がたくさんあるのですが・・・。

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小宮曲輪の横堀まで通行禁止になっていたのには驚きました。
物凄く見応えのある遺構なのに・・・。

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場所によっては、こうして見学させていただける箇所も。
(以前、コチラの記事でご紹介した小宮曲輪北にある枡形虎口一帯)

地権者のご都合とか、公園利用としての交渉とか、いろいろと致し方のない大人の事情があるのでしょう。
しかし、こうも制約が増えて見れる箇所が限られてくると、地元の人間としては;
滝山城の凄さはこんなもんじゃない!!
という思いが強くなるだけに、逆に胸を張って誇れる城跡ではなくなっていく感覚もジワジワと湧いてきてしまいます。

大好きな城跡なだけに、なんだか寂しい。。。

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2017年3月22日 (水)

小宮曲輪(群)の北枡形虎口、他

滝山城全体図(現地案内板より)
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今回は部分、小宮曲輪の北側周辺を中心に見ていきます。

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こちらは小宮曲輪の南虎口

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遊歩道を、小宮曲輪の東側面に沿って北へ進みます。
下草が刈られ、曲輪の土塁が割と良好に視認できました。

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遊歩道の東側、私有地で立ち入れない部分にも削平の跡を確認できます。
(上図1

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小宮曲輪の外周(南~西)を取り巻く横堀は遊歩道に当たって一旦途切れますが、道を挟んだ反対側へ続いています。(2
この堀のすぐ脇(写真右)には・・・

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遊歩道から分岐する細い道が付けられ、その先には・・・

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見事な枡形虎口(仮に小宮曲輪の「北枡形虎口」とする)が待ち受けています。
この虎口を抜けると・・・

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広い曲輪跡(3)がありました。一部、土塁らしき痕跡も残っています。
※この土塁、写真奥方向へ竪土塁のように下って続き、下段には腰曲輪状の削平地もあります。更に下ると弁天池へと続く沢に出ました。

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3曲輪から通ってきた北枡形虎口を振り返る。

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現地案内板では、先ほどの遊歩道から分岐した細い道を本来の城道とし、そのルートはこの枡形を経由して3曲輪に入り、上段の切岸を回り込んで南側へと抜けていた、としています。
※先の全体図とは南北が逆転しています。
赤線は現在の遊歩道のルート

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北枡形虎口の上段から見た3曲輪。
現地案内板の説に従えば、正規のルートは写真左手前の枡形を抜けて切岸沿いに一段下を右へ進み、更に手前方向へと折れて南へ続いていたということになります。
・・・が、実際にはこの右手に、それらしき道・通路の痕跡は見受けられませんでした

他に、北桝形虎口から堀を挟んだ対岸の土塁まで、真っすぐに木橋が架けられていたのでは?と推定している説もあり、実際のところ如何なるルートが設定されてていたのかは、まだまだ謎と言わざるを得ません。

小宮曲輪北枡形虎口や3曲輪周辺はこれまで、結構ススキが生い茂っていて地表面が分かりづらかったように記憶しているのですが、整備のお陰でしっかり確認することができました。

さて、折角来たのでもう少し散策・・・

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二の丸、南側虎口の枡形。

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その南側虎口の先、正面に見える小馬出を挟んで三方向に伸びる土橋。

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二の丸南面の横堀(と帯曲輪)
二の丸の周辺には、主郭部(中の丸~本丸)へと続く複数のルートが集約されており、滝山城でも最も重要な、主郭部防衛の要だったと考えています。

※ちなみに滝山城に於ける「大手」は、小宮曲輪と三の丸の間を抜けて千畳敷の前を通るルートとされていますが、この道は中の丸に国民宿舎を建設する際に付けられたもの。
構造からして本来は、小宮曲輪と三の丸の横堀は屈折しながら1本に繋がっていたものと思われますので、少なくともこの部分は道の敷設による改変です。
本来の大手は、城下の少林寺から鎌倉道の古道で加住丘陵の尾根に上がり、そのまま尾根伝いに東からカゾノ・刑部・信濃屋敷と呼ばれる曲輪群を抜けてくるルートであったと、私は考えます。

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三の丸東曲輪4の切岸。
屈折させて横矢を掛けています。

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こちらは中の丸と二の丸間の横堀に見られる、中の丸切岸の横矢。

滝山城は広大な城域を誇り、一つ一つの遺構のスケールも見事ですが、こうした細部まで本当によく作り込まれています。

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2016年11月 7日 (月)

滝山城下町と「かまくら道」 (& 三ノ丸横堀)

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今回は滝山城の城下町を歩きます。
滝山城が築かれていた加住北丘陵と、それと並行して走る南丘陵の間には谷地川(写真)が流れており、城下町はこの谷地川に沿うような形で築かれていたと考えられます。

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谷地川河畔から北、滝山城方向を見る。

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反対の南側。
まるでこれら南北2つの丘陵に、包み込まれるかのような場所です。

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谷地川にはいくつか橋も架けられており、それらの中には城下町の名残を伝えてくれるものもあります。
こちらは八幡宿橋。

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八幡宿橋から少し東へ進むと・・・

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横山
昭和30年頃に加住地区(村)が八王子市に編入されるまで、この辺りは横山と呼ばれていました。また、先ほどの八幡宿橋と新横山橋の中間には、やはり八日市と呼ばれる地区もありました。
(横山・八日市ともに、加住村の八王子市編入後は滝山町に統一)

北条氏照が滝山城から居城を移した八王子城下にも八幡宿の名が見えますし、西から順に八幡宿→八日市→横山というこの並びは、現在のJR八王子駅北西の甲州街道沿い(江戸時代に甲州道中八王子宿が置かれていた場所)の八幡町→八日町→横山町とそっくり同じです。
現在の八王子の中心街は、天正18年(1590)の北条氏滅亡後に八王子城下から移されたもの(だから八王子城周辺を「元八王子」と呼ぶ)。
滝山城下から八王子城下、そして八王子宿へ・・・こうした地名の由来に、八王子の中心地の変遷が垣間見えるようです。

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八幡宿橋と新横山橋の間に架かる梅坪橋。

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梅坪橋から南へ伸びるこの道は、鎌倉や北条氏の本拠・小田原方面へと抜ける中世のかまくら道(鎌倉古道)と推定されます。
今度はこのかまくら道を辿って南へ歩いてみます。

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途中で横切る都道169号(新滝山街道)を越えて細い小路に入ると、古い庚申塔に道標がありました。
道標の文字は「向右 西中野・・・」までは辛うじて判読できたものの、あとは風化で読み取れませんでした。
確かに加住南丘陵を越えた先には、今でも「中野」という地名が存在します。

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加住南丘陵をなだらかに登っていくかまくら道。

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一旦下った先で・・・

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舗装路は途絶え、雑木林の中へ入っていきます。

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雑木林の先は都の管理地らしく、立入禁止の看板とフェンスが張り巡らされていましたが、そのフェンスを迂回するように右へ続く山道を進むと・・・

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峠や山中に於ける古道特有の、見事な堀割道が現れました。
右へカーブし・・・

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少し進んで・・・

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今度は左へカーブ・・・事前に想定していたものよりもハッキリとした形状でした。

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かまくら道はこの先、車道による開削で消滅していますが、本来はひよどり山~御殿峠へと続いていたものと思われます。
滝山城主時代には氏照も幾度となく、小田原への往還にこの道を利用していたのではないでしょうか。
(御殿峠についてはコチラの記事参照)


■滝山城三ノ丸外周の横堀

さて、滝山城の三ノ丸外周の横堀が最近、藪も払われて見易くなったとの情報を得たので、この機会にちょっと様子を見ていくことにしました。
かまくら道を北へ引き返し、少林寺山門前から加住北丘陵に上がって尾根を西へ進み城域内へ。
二ノ丸~三ノ丸間から堀底に下りてみると・・・

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ご覧のような見事な横堀がドーンと!

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元々立派な横堀があることは判ってはいましたが、藪で見えづらく、正直ここまで見事な形状を残しているとは思いませんでした。

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所々、畝のような盛り上がりも・・・3本くらいありました。

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三ノ丸の周囲をグルーッと廻って・・・

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最後は小宮曲輪の対面に繋がります。

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素晴らしい遺構に出会えて興奮しているところへ、こちらの立て看板が目に入ってビックリ・・・。
私は二ノ丸側から堀底に下りたので気づきませんでしたが、今まではこんな看板などありませんでした。

藪を刈って人が入り易くなったために掲げたのか、それとも今後調査でもする予定があるのか・・・?
「園路ではないから」とありますが、城址公園の敷地であることに変わりはないはず…仮に私有地だというのならば、それとわかるようにするべきだし。
「園路」しか通れないのであれば、この城郭遺構の傑作も魅力は半減。。。無論、無闇やたらに土塁や切岸に踏み入られるのは困るけど、それは城域全体にも言えること。
そこは節度ある見学マナーを喚起しつつ、折角整備していただいているのだから、公平にオープンにした方がいいのではないかと、個人的には思います。

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2014年1月 5日 (日)

武田勝頼の滝山城攻城ルート(「私的」考察)

永禄12年(1569)、関東へ侵入した甲斐武田軍は小田原への途次、北条氏康の子・氏照が籠もる滝山城に攻め寄せました。

※武田軍による滝山城攻めの様子は江戸期に書かれた『武田三代軍記』などに描かれていますが、言い慣わされてきた合戦の詳細については、その出典も含めて不明です。
従いまして、本記事でも以降は口伝・通説を元に考察していきますので、あしからずご承知置きください。


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武田軍総帥・信玄は図のように多摩川を挟んで滝山城の対岸、拝島大師のある辺りに本陣を構え、滝山城攻めの指揮を任された四郎勝頼は南方、尾崎山(現・八王子インター一帯。地形は改変されて残らず)に陣を布いたと云います。

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尾崎山の勝頼本陣があったと云う場所付近から、滝山城方面の眺め。
正面、印を付けた丘が視界を遮って、高い建築物が無かった当時でも滝山城への視界は効かなかったと思われます。
(地図も地点)

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ちなみに信玄本陣付近からの滝山城の眺めはこんな感じ。

尾崎山に陣取った武田勝頼はまず始めに、北方にあった左入城に攻めかかったとも伝わります。
※地図左入城地点

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なお現在、勝頼陣所跡すぐ北西近く(地図地点)にも「左入城祉」の石碑が建ちますが、丘(山)に挟まれた窪地の地形、勝頼本陣や滝山城との距離・位置関係等を考え合わせてもここに将兵が籠もる理由がなく、少なくとも合戦が行われた時点で「城」として機能したとは思えません。
なのでここでは、国道16号沿いの尾根上を「左入城」と推定して話を進めます。

とすると、勝頼が左入城を攻略した(と仮定して)その目的は何か。
おそらくは滝山城に攻め寄せるルート(地図赤ライン)確保のためだったのではないかと考えました。
※武田軍は滝山街道沿いに進軍して滝山城の「大手」とされる小宮曲輪・三の丸下から攻め寄せた、とする見解もあるようですが、現地を訪れれば一目瞭然の通り滝山街道は常に尾根筋の眼下に収められており、進軍するには危険極まりないルートになります。

折角近所に住んでいるので、そのルートを歩いてみることにします。

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左入城推定跡地。
すぐ脇(下)を国道16号線が通ります。

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国道16号線。こうして見ると、道路によって尾根が分断された様子がよく分かります。
尾根は実際には更に東(写真左)へ続き、現在のJR小宮駅手前まで伸びていました。

国道16号のすぐ東、多摩川の南岸には平町という集落があり、その昔には「平の渡し」という多摩川の渡し場が設けられていました。
そのルートは多摩川を挟んで南北に連なる現在の都道162号線に該当し、小田原攻めに向かう上杉謙信の軍勢や、関東に入封した徳川家康も通行したと伝えられていることからも、この付近が歴史上、重要な交通路であったことは確かで、左入城も或いは滝山城の東方を守備すると共に、この街道を押さえる役目も負っていたのかもしれません。

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16号線から脇道に逸れると、すぐに尾根道に入ることができます。

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しばらくは尾根道としては幅広な道が続きます。

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そうかと思ったら、急に雰囲気が変わったりしつつ・・・

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分岐点。ここは左へ・・・

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てくてくてく・・・

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少林寺真裏の地点。
正面に見える段差の奥(上)は削平地になっていました。堀切のように切り立った自然地形(写真手前)を利用した防禦(監視)施設の一部かもしれません。

なお、この付近を鎌倉古道の一つが南北に横切っています。

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更に道は続き・・・

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滝山丘陵の見晴らし♪

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気がつけば呆気なく城域に到達してしまいました。。。「刑部屋敷」先端の堀。

ここに至るまで、尾根上にはこれといって防禦の為の遺構は見当たりませんでした。
立地からするとあまりに無防備。やはり左入城と呼ばれるような出城なりは尾根上にあって然るべしと思いました。

ちなみに勝頼は、滝山城の二の丸前(ニ階門:『武田三代軍記』より)まで攻め寄せたと云いますから、この先の進軍ルートは以下のようになります。
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このルートはそのまま、滝山城の本来の「大手」だったとも考えています。

ところで、我が自宅から滝山城域まで要した時間、尾根伝いに徒歩で僅か1時間20分。
脇目も振らずに歩けば1時間以内で行ける♪・・・今後は駐車場を気にすることなく、歩いて行こうかな?(笑)

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2013年4月13日 (土)

高月城 (滝山城オフの続き)

4/10の滝山城オフの続きです。
少し時間があったので、そのまま滝山城の北西、尾根が多摩川方向に突き出た辺りにある高月城へ移動しました。
※高月城は滝山城の出城として認識し、カテゴリーも「滝山城」に分類しました。

潰れたラ□ホに車を停めて攻城開始~
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tantanさん、ちょっとお疲れ?ww

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この人は山城にいる限り、いつだって元気!(笑) 土橋っヽ(^o^)丿
※注)山城忍者のこばたかさんです。

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5分も登れば主郭に到達します。途中、堀や曲輪跡もありますが、薄くなっていたり藪でよほど注意して見ないと分かりません。

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さ、藪を掻き分け…

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主郭下の堀。高月城では唯一といってもいい見応えのある遺構でした。

この後は近くのファミレスで食事しながらお城・歴史談笑。
何といっても滝山城をじっくり堪能出来て大満足!参加者の皆さん、ありがとうございました☆

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滝山城オフ♪ 2013年春篇

先日(4/10)行われた滝山城オフ会の様子です。
滝山城に関しては既に何度か当blogでも載せていますので、今回はまだあまりご紹介できていなかった遺構を中心にレポート。

それぞれの車に分乗して朝10時、多摩川の河川敷にある「滝が原運動公園」駐車場に集合。今回の参加者は;
幹事役:あいすさん、サイガさん、なっちさん、さとみんさん、tantanさん、こばたかさん、ロームさん、私の計8名。

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今回はこちらの縄張図にある表記を元にご案内します。
(現地解説版より。abcdeは、しみず追記)

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運動公園の駐車場からは徒歩10分、早速搦手から攻城スタート。
その虎口(a)。右の舗装路は、その断面から道を通すために土塁を切り崩したものと判断しています。

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そのまま堀底道を進んですぐ、左手の中の丸方面を見上げた様子。
中の丸の周囲を固める数段の腰曲輪と虎口(左)

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その虎口を曲輪側から見た様子。

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中の丸に入って、南面の土塁上(お手洗い裏)から堀底を見る。この辺り、出枡型になっています。

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サイガさんに出枡の土塁ラインを示していただきましたが…写真だと藪でサッパリ (^_^;)

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同じく中の丸から北、搦手方面。こちらも数段に分けられた小曲輪の形状がハッキリと残ります。

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中の丸から引き橋を渡り、この枡形虎口を抜けると本丸に至ります。
山城忍者・こばたかを探せ!(笑)

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本丸に残るもう一つの虎口(南側)

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その虎口を外から見ると、こんな感じ。綺麗な形状してますね~♪

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石碑の前で記念撮影

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まだ本丸です。井戸越しに出枡土塁。

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思い思いに本丸北側の小曲輪へ下りる参加者たち。
高低差が大きくて、人間が殆ど分からない…(^_^;)

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無謀な突入を試みるローム兵!(笑)

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こちらは弁天池の堰跡。

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その弁天池の底から。こうして城内至る所に土木(築城)の跡が残ります♪

この後は山の神曲輪へ移動し、昼食。

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昼食後、こばたかさんの案内で最初に向かったのは山の神曲輪の東に残る竪堀群(b)。
真っ直ぐ一直線にストーンと落ちてます!

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もう1本、別の竪堀。こちらも写真で見る以上の規模です。

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竪土塁も良好な残存状態。

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縄張図でもハッキリと確認できる半円状の切岸。
とてもよじ登れる角度ではありません!

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小宮曲輪西側に築かれた土橋(中央)と堀を縁取る土塁(左右)
この正面には馬出しがあります(c

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小宮曲輪の堀底を進む。右手には岸縁入路状の土塁。北条さん好みの造りですね~

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時折、ニクい屈折も確認出来ます(笑)

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こちらは千畳敷の切岸(南西側)
出枡の形状が確認出来ます。

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二の丸南側の堀と岸縁入路状の帯曲輪。個人的に一番好きなポイント♪(d
しかも、これまでにないくらい綺麗に整備されていて見易い!堀底に立つサイガさんのサイズで深さを推し量ってください(笑)

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初めて滝山城を訪れた9年前、真っ先に心奪われた光景も復活☆(先程の帯曲輪の南面、堀の反対側から)
この辺りもここ数年はススキに覆われて全然見えなかったのに…ありがたや。

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土橋ヽ(^o^)丿
その向こうには先程の二の丸の堀。

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これは以前にもご紹介しましたね。二の丸側から続く三連土橋。
右手のものが一つ前の写真の土橋です。

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辿ってきたルートを振り返る。
堀といい、帯曲輪といい、土橋といい、、、こんなに見易くなって!本当にいいタイミングで来れました♪

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こっちも見易くなってる!!
e部分の堀と土塁。

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反対側の堀底から。。。
※ちなみにこの時、ローム君が迷子になって待機中(笑)

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あちらも土橋ヽ(^o^)丿

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滝山城探索も終盤。カゾノ屋敷先端の土塁に向かう参加者たち。

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カゾノ屋敷南東側の堀。ここが城域の最東端になります。
恐らくは武田軍進攻の際、勝頼たちが最初に攻めかかった場所と推定。

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最後に駐車場へ戻る途中に撮影した二の丸。

今回の滝山城踏査に要した時間は約5時間。
思った以上に押してしまったため、この後は八王子城の石垣は諦めて近くの高月城へ向かいました。

その様子はまた次回に。

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2012年12月 9日 (日)

滝山城、ひとりぼっちの追加踏査

先週の踏査から僅か1週間。あの時にサイガさんから頂いた縄張図を眺めているうち、どうにも気になるポイントが出てきてしまい…またまた行ってしまいました、滝山城(笑)

今回はまだ歩けていない、小宮曲輪から山の神曲輪まで南北に伸びる西側の尾根と、反対に城域東側の信濃・刑部・カゾノ屋敷跡と呼ばれる各曲輪周辺の堀や土塁を巡ってみます。

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という訳で、今回はこちらからスタート。小宮曲輪の枡形虎口。

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この小宮曲輪、南北に長い作りとなっているが、削平地には複雑に土塁が張り巡らされており、3~4段構えの構造になっている。

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小宮曲輪を囲むように張り巡らされている堀の北端部分。この左上には櫓台跡もあります。

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縄張図によると、曲輪とは散策路を挟んで反対の東側には中小の曲輪群がいくつも複雑に配置されている筈なのだが…何故か私有地とのことで立入禁止!!(>_<)
すぐそこにも見えているのに…ここで一つ目論見が外れた。。。

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山の神曲輪。滝山城では最北西に位置する。

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現地案内板より。本当は右の図にも描かれている「現在地」から右方向に下りて行った先の、何本も穿たれている竪堀を見たかったのだが…東(右)側は全面的に立入禁止。
その更に先に見えている「滝の曲輪」というのが、現在は運動公園方面の集落になっているので、もしそちらには入れれば或いは確認できるのかも…?

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山の神曲輪からの眺め。…信玄はいずこぞ?!

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引き返している最中にも帯曲輪を確認。下りて行った先にはもっと凄いものが待っていそうなのに…

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ま、でも小宮曲輪の土塁もだいぶ薄くはなっていますが充分に楽しめますよ♪

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小宮曲輪から反対(東)側の信濃・刑部・カゾノ屋敷跡へ向かう途中、二の丸南面の堀に架かる岸縁入路にて。
先週は何ともなかったのに、この日はやたらと倒木が目立った。八王子城といい、どうしたのだろう?…土塁が崩れる~(>_<)

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カゾノ屋敷跡の先端の堀。ここは整備されていてとても見易い!

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反対側に目を向けると、立派な土塁も♪

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現在立っているのは右の図の右下、木橋が架かっていたとされる場所。そこから両サイドを見た堀と土塁でした。
この後は「大池」側の斜面を下って同左下に見える「土手」と書かれた部分を探しに行きます!
(しかし「土手」って…(^_^;) 自然地形の谷底を活かした水堀の様な大池に架けられた大きな土橋、と言った方がイメージ近いと思うけどww)

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密生するススキを掻き分け、坂を駆け下り、、、見つけました!想像よりも低いけど、しっかり形を残しています。

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図面通り、水を通すためか途中でザックリと切り落とされている部分(堰)も確認!
(藪ってるのでボーッと歩いていると落ちますw)
この「土手」(笑)が2つ目の目的だったので、非常に満足!

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こちらの写真だと藪も少なくて分かり易いですね。
(2014年1月撮影)

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ちなみにこの斜面を下りてきたので、当然登って戻らないといけません(笑)
この辺りも小さな帯曲輪がいくつか配されています…ススキで見え辛いですが(^_^;)

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大馬出に、自然地形の斜面を更に穿って堀を設けた部分。徹底していますね。

さて、来週の竹田城オフに備え、衆議院や都知事選などの期日前投票にも行かないといけないし、本日はこの辺で。
所要はほんの1時間30分。どこを見ても存分に城跡の醍醐味を味わえる、素敵な場所ですよ♪

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2012年12月 5日 (水)

八王子2大城跡ツアー① 滝山城!

いや~遂にフォロワーさんを地元・八王子にお迎えする日が来ましたね♪
滝山城も、この翌日に予定している八王子城も幾度となく訪れていますが、城郭の構造にはあまり詳しくないので私自身、一から勉強し直すつもりで参加させていただきました。

12月2日(日)の初日、滝山城探索に参加するメンバーは講師役のサイガ先生とゆうりサン、しろうさぎサン(お2人とも関西から駆け付けてくれました)、それに私の4名。
朝7時に八王子駅で待ち合わせて2日間に渡る八王子の2大城跡を巡るツアー?のスタートです!

※この日は特に冷え込みの厳しい朝となった。
皆さんを迎えに駅へ向かおうと、駐車場に着いてビックリ。車の窓もドアもビッシリ凍りついて全く動かせない!自宅から駐車場まで少し距離があるので家からお湯を運ぶことも叶わず、仕方なしに自販機でホットのお茶を買ってぶっ掛けかけたのだが…溶かしたそばから瞬時に再凍結。。。危うく遅刻する所でした(^_^;)


城跡近くのコンビニで昼食も買い込み、いよいよ攻城戦のスタート!
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…と、その前に! 滝山城とはこんな感じのお城です(八王子城跡管理棟前で撮影)。この鳥瞰図を見るだけでも垂涎ものでしょ?ww
今回は南東の「丹木三丁目」交差点近くの入り口から入城します。

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登城開始後、すぐに出迎えてくれる「小宮曲輪」と呼ばれる曲輪下の土塁と堀。最初の「ツカミ」には充分なパンチが効いてます!(笑)

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何度も屈折する複雑な土橋。
今立っている場所も土橋、正面に横切っているのも、、、土橋!

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その土橋を逆側から。この辺りの舗装路全体が土橋です。

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二の丸南面の土塁と大堀切。この雄大さと深さ…堀底に立つゆうりサンのサイズで推し量ってください(笑)

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この堀切には通路状の細長い土塁が1本通っています。侵入した敵をひとまとめに殲滅するための仕組みで、サイガ先生によるとこれを「岸縁入路」というそうです。細い水色のラインを引いた箇所です。
代表的なところでいうと、江戸城の竹橋門から平川門に架かる帯曲輪とか、姫路城の西面の中濠とかがあります。江戸城の帯曲輪についてはコチラ をご参照ください。
更にこの先には…

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二の丸の枡形虎口の先にある「三つ巴」の土橋に繋がります!
甲斐武田軍の滝山城攻めの際も二の丸付近で引き返したとされるので、もしかしたらこの辺りが最後の攻防線となったのではなかろうか。滝山城、最大の見所の一つです。

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こちらは二の丸と中の丸を隔てる堀切。これだって相当な規模です。

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中の丸脇から眼下を見下ろすと広い削平地が。
今は公園の様な広場となっていますが、その昔は池、だったとか。。。ホントに?
真ん中辺りで人工的な段差があるし、むしろ家臣や城主(北条氏照)直属部隊の屋敷跡だった、とか言われた方が信憑性あるけどなぁ…

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そのまま進み、まずは中の丸と本丸の間に架かる引橋を♪

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そして、中の丸に上がって暫し休憩&この後の攻城ルートの軍議♪
この奥に多摩川と、武田軍総大将・信玄が陣取ったと伝わる拝島方面の景観が広がります。

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紅葉もまだまだ見頃?…もう12月ですよ?(^_^;)

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引橋を渡った先、本丸の虎口。現地でご覧いただければ分かりますが、見事な形状を残しています♪

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本丸に残る井戸。紅葉の絨毯♪

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滝山城祉の碑

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本丸、南面の虎口。ここも大好物スポットの一つ♥
この後は搦手側に回ります。

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搦手口。
一見すると見知らぬオジサンが向かってきているこの舗装路の先が虎口に思いがちですが、おそらくこのルートは本来あった土塁を削り取って通したもの。土塁の断面を見ると小石が混じっており、明らかに土塁として形成した跡があるとのこと(サイガ先生談)。
本来の搦手虎口は写真左端からゆうりサンが示すラインに沿って形成されていたものと推定。水色のラインに沿って土塁が通っていたのではなかろうか。

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搦手から主郭方面。こういう人工的な造成、、、好きだな。

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搦手口から少し西側へ、藪漕ぎして遺構を探してみたら…
見事な竪土塁が!右脇にはもう一つ別の土塁も走り、その手前には曲輪も形成されていた。。。こんな遺構がこの周辺だけでも嫌って程ありますよ~w

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更に北西へ進み、北端に位置する小曲輪へ。その縁をかたどる土塁。
ここは形状から馬出しの役目を負っていたのかな?

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次は本丸の西側下に展開する小曲輪群へ向かってみます。
またまた藪漕ぎ~♪

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意外にも芝刈り?などの整備も進み、とっても見易くなっていました。この辺りにも素敵な遺構がちりばめられていましたよ♪

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その小曲輪群でサイガ先生の講義に熱心に聞き入る生徒2名…
あれ?もう1名は??(笑)

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更にその先にも凄い遺構が眠っていそうな匂いがプンプン漂ってきていましたが…
まだ芝刈りが追いついておらず、ご覧の藪だったので今日は断念。今度コッソリ一人で来ようかなぁ?

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戻りがてら、小宮曲輪にて。
今回は時間の都合上、小宮曲輪から北側に伸びる尾根筋の遺構は確認出来ませんでしたが、どうやら見学ルートも写真の通り設けられているみたいだし、やっぱりまたすぐに来よう♪
東端の通称「信濃・刑部屋敷」跡も行っていないし、皆様またのお越しをお待ちしております(笑)

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約5時間に及ぶ踏査を終え、午後は近くの市民センター?で催されていた滝山城に関する歴史講演会へ。
滝山城に関する研究・執筆では第一人者ともいえる中田先生の講義もあったのだが…、少なくともサイガさんと私の2名は舟を漕いでいて殆ど記憶に残っていないものと推察する!(笑)

この後、一旦駅まで皆様を送り、電撃日帰りツアーでお越しのしろうさぎサンとはここでお別れ(また竹田城でお会いしましょ☆)。
急ぎ車を自宅に戻し、バスで駅まで引き返してサイガさん、ゆうりサンとの3人で懇親会へ♪

お城やら歴史やらの話に華を咲かせているうち、nikkoさんも駆けつけてくれて4名での楽しい宴となった。
正直な話、私は気持ちよく酔っ払ってしまい、話した内容とか記憶が定かではない…(^_^;)
もし不遜な発言とかあったら、ひらにご容赦を!!www

翌日は八王子城へ♪(つづく)

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